四天王像の光背の下図

 

 

四天王像の光背の下絵を描いていました。

四天王像の後輩は法輪という輪に炎がまとわりついています。

彫刻では炎が上と左右に三つに分かれています。

炎の難しさは、下手すると昆布に見えてしまう可能性があるので炎らしく表現するのは結構難しいです。

元々、炎に姿形があってないような物なので、造形として炎とわかるように表現するのは難しく、この形に落ち着くまでには、いろんな形を過去の人々が試みたのだと思います。

仏像の炎の揺らぎで大切なのは、炎の先を尖らさないという事です。

先はよく見ると若干丸くなっています。

しかしそれだけを注意しても他にもたくさんの炎に見える要素があります。
時代によっても、材質によっても雰囲気は変わって来ます。

こういった部分は紛失しやすいので、平安時代の仏像であっても持物や光背が後の修理で作られたものは意外と多いです。

光背ってあまり真剣にみられることはないのですが、よく見ると彫り手によって様々な形があって面白いですね

四天王像の彫刻としての下図

四天王像の彫刻としての下図


彫刻をする場合、写真撮影したものをプリントアウトして四角い木に貼り付けてアウトラインを削りとる作業の進め方が一般的です。

そのやり方で初めて彫刻する人や慣れていない人だと、例えばこの忿怒尊の場合、肩が下がる可能性があります。

肩が下がると胸の筋肉の張りが弱くなり少し力強さがなくなる可能性があります。

それに肩の位置は非常に重要で僅かな高さの違いで印象を大きく変えます。

低くなった肩を修正しようとして顔の顎を残っている木の余裕を見極めて下げると眼鼻口耳すべて下がることになります。

そうすると他の四天王像よりやや低い印象を与えることになります。

なぜ肩が下がるのかというと、像をどの位置からカメラで撮影したのかという事が重要になってきます。

一般的に仏像を撮影する場合は少し見上げた状態で撮影します。

立像の場合、台座は天板が見える位置になるので、カメラの位置は足の膝から臍(へそ)の位置ぐらいの高さから撮影することが多いように感じます。

撮影するカメラの距離は10メートル以内です。

見上げると顔が前に傾いているので肩が下がります。

このわずかな差を意識してアウトラインを木取りするかしないかで、完成した時の迫力が全然違うものになってきます。

しかもお手本のような素晴らしい仏像をコピーしているのだから間違いないと思いギリギリまでアウトラインを削ることになり余計失敗する可能性が出てきます。

しかし、仏像を写真から起こしてそれを元にしても、カメラの位置を予測して修正しながら下図を描くと肩が下がることなく邪鬼の足も変な方向に向かうことなく安心して木取をすることができます。

フォトワークショップの案内 カメラマンの写真

フォトマスターエキスパートってどんな資格なんだろうかという疑問を忘れるぐらい、私は単なる写真がアートに変身する魔法を間近で見ていたので、どうしたら的確にピントを合わせたりぼかせたり、光をコントロールできるのか不思議で仕方がなかった。

でもテックニックだけではないのだろうなって、写真を沢山観るだけでなく美術館に足を運んだり、感性を磨くという経験も必要なんだろうなって想像させるぐらい彼女の写真はとてもアートです。
アート的な感性は評価されずらいところですが、しかしそのシャッターを切った瞬間に今まで培ってきた経験や感性をなどが集約されているようにも感じます。
プロほど作業が簡単そうに見えるとよく言われますが彫刻でもカメラでも同じなんだなって彼女をみて感じます。
スピーディーで無駄のない操作、おそらく一瞬でシャッタースピードと絞りの値を正確に割り出しているのだと思います。
あとは操作するだけで迷いがない、これがプロの仕事なんだなってこの写真を改めてみて感じました。

撮影者 (@wakataminako)

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日時

平成29年8月27日(日)

会場 京都・大雄寺

住所 京都府京都市上京区三番町 京都府京都市上京区七本松通下立売上る三番町284

時間 10時~16時まで

講師 @minakowakata  さん (インスタグラムアカウント)

費用 御一人様 6000円 (昼食付)

募集人数 13名

持ち物 カメラもしくはスマートフォン、それぞれ機種は問いません。

昼食の内容はイタリアンか和食か暑い夏の時期なので今は決めかねていますが、コーヒー、紅茶、中国茶、日本茶などを楽しみながら一日過ごしていただけたらと思います。

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お寺でフォトワークショップ

フォトワークショップ-02

 

この度、京都・大雄寺さんのご厚意によりフォトワークショップを開催する運びとなりました。

とても素敵なお部屋で講師の @minakowakata さんをお招きして、お茶を楽しみながら写真撮影のノウハウを学ばせてもらいます。

カメラマンの若田さんの作品です。

フォトワークショップの案内 カメラマンの写真

 

 

日時

平成29年8月27日(日)

会場 京都・大雄寺

住所 京都府京都市上京区三番町 京都府京都市上京区七本松通下立売上る三番町284

時間 10時~16時まで

講師 @minakowakata  さん (インスタグラムアカウント)

費用 御一人様 6000円 (昼食付)

募集人数 13名

持ち物 カメラもしくはスマートフォン、それぞれ機種は問いません。

昼食の内容はイタリアンか和食か暑い夏の時期なので今は決めかねていますが、コーヒー、紅茶、中国茶、日本茶などを楽しみながら一日過ごしていただけたらと思います。

募集開始中です。

 

 

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四天王像の下図作成

四天王像の彫刻

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四天王像の彫刻を始める前に、まずはイメージとしてどちらの四天王像を基本にするのかを決めていきます。

個人的にいいなと思う四天王像をあげると

奈良・興福寺蔵の四天王像(作者不詳)

和歌山・高野山金剛峰寺蔵の四天王像(快慶作)・
京都・東寺蔵の四天王像(平安初期)

奈良・法隆寺講堂の四天王像(室町時代)

この四種類の四天王像が私の中でほぼ決まっていました。

この中で四体の四天王像のお姿が全体としてまとまっているのが、個人的には金剛峰寺蔵の快慶作の四天王像のように感じました。

 

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京都の東寺も大変好きなのですが、快慶展を見た後もあって快慶の方向に目がいっていたのかもしれません。

快慶さんの四天王像をモデルとして決まると、資料集めをしなければいけません。

この前の快慶展の図録もあるのですが、彫刻のような立体の場合、真横や後ろの写真も必要で図録だけで資料とするのは難しいのです。

そこで様々な角度を掲載している、図版が必要になるのですが、その本が日本彫刻史基礎資料集成 という結構高価なものになります。

しかし、大きな図書館で置いてあるところもあるので図書館でコピーをとれば、真横や真後ろの画像も容易に手に入れることができます。

四天王像のモデルが決まっても、トレースするときは輪郭線と大雑把な流れの線だけをトレースして、細かいところはこの段階では書き込まないようにします。

モレスキンのA3のスケッチブックに収まるように拡大コピーをかけて輪郭線に沿ってカットし、裏に鉛筆で黒く塗りつぶしてスケッチブックに写し取っていきます。

別にモレスキンのスケッチブックでなくても良いのですが、こういうのは気分的な問題が大きいですね。

良い道具を使うと最後まで気持ちよく描くことができますしね。

 

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四天王像の彫刻準備 トレース

四天王像の彫刻
四天王像の彫刻を始める前にまずはイメージとしてどこの四天王像を基本にするのかを決めていきます。
まずは個人的にこれはいいなと思う四天王像をあげると、奈良・興福寺蔵の四天王像(作者不詳)そして 和歌山・高野山金剛峰寺蔵の四天王像(快慶作)そして 京都・東寺蔵の四天王像(平安初期)最後に奈良・法隆寺講堂の四天王像(室町時代)この四種類の四天王像が私の中でほぼ決まっていました。
この中で四体の四天王像のお姿が全体としてまとまっているのが、個人的には金剛峰寺蔵の快慶作の四天王像のように感じました。
京都の東寺も大変好きなのですが、このあたりは快慶展を見た後もあって快慶の方向に目がいっていたのかもしれません。
快慶さんの四天王像をモデルとして決まると、資料集めをしなければいけません。
この前の快慶展の図録もあるのですが、彫刻のような立体の場合、真横や後ろの写真も必要で図録だけでというのは難しいのです。
そこで様々な角度を掲載している、図版が必要なのですが、その本が日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代編という結構高価なものになります。
しかし、大きな図書館で置いてあるところもあるので図書館でコピーをとれば、真横や真後ろの画像も容易に手に入れることができます。
四天王像のモデルが決まっても、トレースするときは輪郭線と大雑把な流れの線だけをトレースして、細かいところはこの段階では書き込まないようにします。
モレスキンのA3のスケッチブックに収まるように拡大コピーをかけて輪郭線に沿ってカットし、裏に鉛筆で黒く塗りつぶしてスケッチブックに写し取っていきます。

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折り鶴を木彫する 6 完成

まずは動画から

動画は前回と同じです。

 

 

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この段階でも彫刻としては面白いと思うのですが、さらに仕上げていきます。

翼の形が決まったら、背中側から翼を丸刀で削り出して折り込みの山を表現して仕上げていきます。

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翼が削り終わると、あとは仕上げていきます。

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完成です。

 

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日本では美しい造形美を新しく生み出すのは難しいのだろうか

三人よれば文殊の知恵と言われるように多くの人が携われば携わる程、内容が洗練されたすばらしい物ができるのだろうかどうか、疑問に思うときがあります。

私はどちらかというと、議論自体意味がないように思う事の方が多く、そのほとんどは調整に時間や力を使ったりしているようにも感じます。

また根回しなどが横行している場合、議論自体は形だけになります。

そういう私が団体行動する場合は、出来るだけスムーズに進むように自分の意見は言わずに、団体が向かう方向に合わせて振る舞うのではないだろうかと思います。

そうしなければ全く進まず、何も出来なくなるからです。

団結力の強い日本の平均的な物作りにおいてはクオリティーは常にどの国よりもトップレベルにあり世界一と言われる工業技術を生み出す国民性なのかもしれません。

高い工業技術を生み出す陰にはもしかしたら、長い労働時間や品質要求の高い基準に耐えられなくてそこに携わる人達が最悪の場合鬱になる副作用もあるのかもしれません。

日本の平均的なサービスにおいては、世界のどの国よりも高いレベルで提供され世界中の人々が日本に観光に訪れると大変満足して帰られ、また日本に訪れたいと思われる人も多いように思います。

しかし金額以上の高いサービスを提供しようと思えばその下で働く人々は大変な苦労をする事になります。

ヨーロッパなどは休みが多く、働く人にとっては大変ゆったりと生活出来ているように思えます。

その分自分の好きな事に時間を使い人生を楽しんで生きているように思います。

その反面サービスは最悪だったりします。

平均的なサービスがそれほど高くないヨーロッパに置いて、ヨーロッパのラグジュアリーブランドが世界中で人々を魅了し、ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニなどの超高級外車が生み出されたりという矛盾が起こります。

日本のような高い工業技術や職人の高い技術力があり、なおかつ一人一人が平均以上の働きをする国民性にもかかわらず、超高級というカテゴリーになるとなぜかイメージが結びつかなくなります。

しかし、一人の日本人の力はどれだけすごいのかと感じる時があります。

最近知ったのですが、深谷さんという日本人の方がいらっしゃいます。

その方は本場イタリアでトップレベルの靴を手がけられておられます。

そんな深谷さんも当初は本場イタリアで修行を重ねてこられたのですがその陰では想像以上の苦労を重ねていらっしゃったようです。

深谷さんの作られる美しい靴のフォルムと繊細な高い技術力が融合して美と質がそろった、大変すばらしい靴が生み出され日本人のすごさを垣間見ることができました。

これがもし一人ではなく二人三人と沢山の人が集まって作られたとしたら果たして美と質がそろったすばらしい物が出来上がったのだろうかと疑問に思います。

人が集まりグループになればなるほど、中立的な意見にまとまり、小さく納まるというのが常にあって、それが平均以上の技術力をキープするという良さでもあり、また超高級品が生み出せない側面もあるように思います。

あのランボルギーニのような美しいフォルムも院政期の仏像のような美しい仏像のフォルム、新しく生み出されるすばらしい造形、古くから守り受け継がれてきた美しい造形美など一体どうしたら生まれるのだろうかとふと思ったりします。

必死に働き高い技術を追い求めても、美しいフォルムが生み出されにくく、またのんびり過ごして美しい風景を眺めるだけでも、美しい造形を再現する技術が不足していたりと、世の中うまくいかないようになっているみたいです。

逆に簡単に出来てしまえばありがたみもなくなってしまうかもしれませんが。

様々な事を思いめぐらしていくと、日本人は特に人の評価を気にすると言われていますが、それは評価を気にして生きていかないと本当に生きていけないからかもしれません。

村八分にされ、どこに行く当てもなく、つまはじきにされてしまう。

それは日本で生きていくには死を意味する事なのかもしれません。

現在では村八分にされる事は、よっぽどの事がない限り難しいと思いますが、昔のそういった仲間意識が遺伝子に継承され、本能的に長い物に巻かれなければ生きていけないというような防御本能がはたらいているのかもしれません。

そういった環境のもとで、自分らしさや自分の才能を見つけ出すのは難しいのかもしれません。

もしかしたら個人個人は、自分の事を薄らとは気付いているのだけど、知ると村八分にあい、それが命に関わる危険な事だからそれ以上深く考えないようにしているのかもしれません。

私は安易に自分らしく生きた方が良いとは思いません、自分らしく生きようと思えばそれなりの覚悟が必要だと思います。

多くの人が望まないだろうし暴力ではありませんが、ちょっとした見えない圧力も大なり小なりあると思います。

それに耐えられるか、耐えられないか、耐えられないのに自分らしく生きようと思えばひどい場合本当に精神病院直行になりかねません。

そういった、団結力や我慢すること、怠けてはいけないという意識が働き、作る物に余裕がなくなりそれが平均以上のものを作り上げる日本人の素地になっているような気もしますが、その反面、超高級品が生み出されにくいのかもしれません。

私は伝統工芸に携わっていていつも疑問に思っていました。

技術においてはすばらしい職人さんが沢山いて、世界で注目されるヨーロッパ以上のラグジュアリーブランドを作れる以上の技術力があると自負しています。

しかし、部分的には注目をされているようですが、全体的に評価される事はまだむずかしいようにおもいます。

美しいデザインは、日本の物作りにおける今後の大きな課題なのかもしれません。

そういった能力は目には見えず、評価を難しくしているようにも思います。

何十年も高いレベルの技術の経験を積んでも、美しいデザインを生み出す環境が整っていないと、それらの技術が100%発揮されず勿体ないように思います。

多くの日本人が自分の心の声に素直に聞き入れ、多くのムダを心から楽しみ、質素な生活も大切ですが、贅沢な物を心から楽しむような一見無駄と思える事が、作り手の物に対する捉え方やゆとりが生まれるのではないだろうかと、ふと心の声をそのまま書いてみました。

こんな事書いたらどう周りからどう思われるのか、私は大変怖いです。(笑)

 

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プー太郎 より

 

 

 

 

彫刻刀の刃先が欠けたら

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彫刻刀を毎日使っていると、たまに刃先を痛める事があります。

古い仏像の修理中に釘が入っていたりすると、少しかすっただけでも切れ味が悪くあり、釘がある事をわからずに木を彫るような力でざくっと削ると、このようにすぐに刃先を欠かせることになります。

 

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そのようになると欠かせたところがなくなるまで粗砥石で研ぎ落としていきます。

そのときに最初にする作業が、砥石の面に対して彫刻刀を立てて垂直にします。

その形を保ったまま荒砥の面を前後ろに彫刻刀の刃先を動かして刃先を整えます。

 

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刃先を整えると裏面も真ん中の刃先がへこまない程度にして、研ぎすぎないように面を出します。

 

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さらに今度は刃先の面を荒砥石で平らに砥ぎます。

そのときに刃先にやや力を加えて研ぐと、多少角度が鈍角になりますが、早く研げます。

 

 

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荒砥石で砥いだ面が出てきたら、今度は中砥石に変えます。

 

 

 

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荒砥石→中砥石→仕上砥石という順番に砥ぐ力も弱めていきます。

そのような気持ちで砥ぎ中砥石でも同じように面を出します。

 

 

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裏面も同じように出しますが、あまり砥ぎすぎないように注意します。

 

 

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仕上砥石に移ります。

仕上げに入ると力を入れずに表の面と裏の面を砥ぎます。

 

 

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刃先を目と手で確認して試しに木を削って筋が入っていないかどうか確認して、木の面に筋が入らずに光沢が出ると完成です。

 

 

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道具の種類

彫刻刀に柄をつける

彫刻刀の柄を割って作る

ペンケースに入れる彫刻刀を改良してみる

二種類の砥石を使って彫刻刀を砥ぐ

彫刻刀の刃先が欠けたら

丸刀の研ぎ方

彫刻刀の柄を削って丸刀の刃先を長くする

彫刻刀の柄の先に糸を巻き付ける

 

不便と創意工夫

私が木彫を始めた頃、彫刻刀も材料も手に入れるのが難しかった。

それで、彫刻刀は本職が使うような道具を何本もそろえる事はできずに、身近にある物を最大限利用して、親が持っていた大工道具を利用したり木は間伐材をもらってそれで彫刻していました。

また建築用の固くて節の沢山ある桧を安く分けてもらったこともありました。

その時の私は、身近な物を改良したり、創意工夫して楽しんでいたのかもしれません。

もしかしたら、彫刻を始めた頃にすべてがそろっていたら、途中で飽きていたかもしれません。

最近、私はそんな事を時々回想しています。

実は私のブログを見て、仏像彫刻を始めたという人からメッセージが届きました。

その方は今、日本には住んでいませんが、その国では日本のような彫刻道具や材料を手に入れるのが難しくなかなか思うように彫刻する事が出来ないでいます。

手探り状態ですが、私は今この状態を創意工夫して楽しんでいるのかもしれません。

それは、まるで私が彫刻を始めた頃のようにその当時の心境をもしかしたら思い出しているのかもしれません。