木彫りのセイタロウ

 

いつも大変お世話になっている、セイタロウさんの肖像彫刻を作ってみました。

セイタロウさんは私のブログでは英訳をしていただいて本当にいつも助かっています。

本当にありがとうございます。

今回の木彫りのセイタロウさんは荒彫り仕上げにしてみました。

荒彫りは意外に難しい彫り方で、手数をいかに減らしてピンポイントで彫り上げるかが試されます。

特に細かな顔の表情を形作るときも微調整の回数は限られます。

迷って何度も修正が出来ないので、最初の彫りが肝心になります。

皆さんがよく気になっている制作時間ですが、ちなみに今回は3時間ぐらいです。

私が作るとどうしても僧侶の風格になてしまうのですが、本人は私よりもだいぶ若く、木彫りの彫刻よりももっと男前ですよ。

セイタロウさんの詳しい記事はこちらにリンクを張っておきます。

英訳者セイタロウとは

セイタロウさんの声

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はじめまして

このブログの英訳を担当しているセイタロウ(征太郎)と申します。
私は、数年前に、海外経験もほとんどないまま、日本を飛び出し、海外へと引越しをしました。

英語も、まったくわからないまま、何とか生活を続けている間、たくさんの現地で出会った人たちの
好意、そして家族の支えのおかげさまで、英語も徐々になれ何事も無く生活させていただいております。

ある日、日本のモノがすごく恋しくなり、偶然検索エンジンで、このブログと出会いました。
なんとなく、日本のモノは素晴らしいなとこのブログを拝見しているうちに、カッターナイフで仏像彫刻の記事が目に留まりました。

まさに私は、その記事の中でフウタロウさんが書かれていていた、「使う目的もないナイフをカッコ良いという理由だけで手に入れた」タイプで私の家にその使い道のない宝の持ち腐れのナイフがありました。

これはこのナイフを使う、いいきっかけかも知れないと思い。
見よう見まねで、一刀彫の仏さまをお彫りして、普段わたしを支えてくれている妻へとプレゼントしたところ、とても喜んでもらえました。

改めて、手作りのモノのもつ、暖かさや優しさを肌で実感し、私自身とてもうれしくなり、気がつくと、数体の仏様をナイフ一本で彫っていました。

そして、私は今までずっと探してきた、自分が一生のうちに本当にやりたいことが、仏像彫刻かも知れないと思うようになり、その思いは仏さまをお彫りする度に強くなりました。

このような素敵な経験をさせていただき、そして、私自身が何よりも求めていた自分がやりたいことを見つけるヒントをくれたこのブログの管理人様であられます、フウタロウさんへとお礼のメッセージを送らさせていただいたところ、とても快くお返事を賜り、とても幸せな気持ちでいっぱいにさせていただきました。

それからの日々、私の身勝手な仏像彫刻に対する質問に、たくさん快く、そしてわかりやすくご指導まで賜り、たくさんのメールのやり取りを、フウタロウさんのご好意で現在までさせていただいております。

そして、私が出来ることで、何か少しでも恩返しがしたい。
フウタロウさんがこのブログを通じて伝えたいことを、少しでも多くの人たちへ、国籍も宗教も人種も超えてお伝えするためのお手伝いができないかと思い、このブログの英訳をさせていただく運びとなりました。

私自身、学歴もなく、英語を勉強したこともないので、現地で覚えたつたない英語での翻訳ですので、正しい英文とはいえない文章で、誤りも多々あるかも知れませんがそのことも含めてフウタロウさんのご好意により、英訳を任せていただき、とても素晴らしい経験をさせていただいております。

このたび私が訪れた国の彫刻や風景、それぞれの国の手作りの仕事現場などをご紹介させていただく機会を、フウタロウさんの度重なるご好意により賜りました。

私自身初めての経験ですので、つたない文章力ゆえに、駄文になるかもしれませんが、少しでも多くの日本の皆様、そして世界中から、このブログへとアクセスいただいている皆様へと手作りのモノのもつ暖かさや、優しさが伝わるような記事が書ければと思っております。
最後になりましたが、このページをごらんいただいている皆様へ、お伝えしたいことがございます。

私は彫刻が小学生のときからクラスで一番下手でした。
英語の成績もクラスで一番下でした。

このブログと出会う前の私は、まさか自分が仏像彫刻の練習をしているなど夢にも思いませんでした
海外に出る前の私は、まさか自分が英語で生活をして、仕事をするなど夢にも思いませんでした。

人は変わっていくものだと思います。
いや、変わっているのではないのかも知れない。

自分に秘められた可能性を自分で狭めていただけかも知れません。
自分を知っていたつもりだっただけかも知れません。

そして、他人を、世界を知っていたつもりだっただけなのかも知れません。

今この瞬間は誰にでも平等に訪れます。
そしてその瞬間をどう使うかの自由も同時にあります。

もし、少しでも興味のあることや、気になったことがあれば、一度手を止め、足を止め、目を開き
その世界を覗いてみたらどうでしょうか。

もしかしたら、そこには、あなたの知らない素晴らしい経験が待っているかも知れません。

時間の無駄と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私は無駄や遊び心こそ人間が、人間らしく幸せに生きるうえでの最高の贅沢のような気がします。
皆様が、新しくそして素晴らしい経験と出会えることを、心よりお祈り申し上げます。

このような機会をご提供いただき、いつも暖かくご指導とお心遣いいただいております、フウタロウ様
身勝手な私を支えてくれる、家族、友人の皆様
そして、私の今まで出会ったすべての人たちとこれから出会う人たちにに心より感謝いたします。
私の駄文長文に最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。
合掌

征太郎

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セイタロウさん撮影画像

 

ーセイタロウさんと出会ってー

私、フウタロウの事を最初にお話をする事、御許しください。

私は子供の頃から作文は特に苦手でした。

そんな苦手意識があってか学校で一度も作文や感想文などを書いてほめられた事もありませんでした。

文法が間違っていないだろうか先生からその事を指摘されないだろうか。

おどおどしながら書いていた事を今でも覚えています。

そのトラウマは学校を卒業してからも続き、その後ブログを立ち上げる16年間ずっと引きずっていました。

幸い高校時代にパソコン教育が導入されタイピングゲームで友人と競いあった経験が後に人並み程度にブラインドタッチで打てるきっかけとなりました。

仕事でタイピングする機会もあるのですが、誰かが考えた文章をその通りに(誤字も多いですが)打つのはとてもスムーズなのですが、自分には文章力が無いと最初から決めつけているので原文の文章がこうしたらもっと良くなるのではないだろうか?という疑問はおこりませんでした。

起らないというよりも疑問を感じてはいけないと考えていました。

おそらく思考停止の状態でした。

しかし自分の好きな美術やスポーツは逆に大変楽しんで、取り組んでいました。

美術が好きだった事が仏像彫刻につながりましたが、今では仏像彫刻も20年程経過いたしました。

そして自分の好きな木彫の事をより多くの人に知るだけでなく一度だけでも経験してほしいという気持ちが徐々にわき起ってきました。

そこでブログという方法で発信してみようという気持ちになったのですが、ブログを立ち上げるという事は文章を沢山書き続けなければいけないということで、大変迷いました。

別に無理して立ち上げなくてもよいのですが、それ以上に書きたいという願望をおさえられず、いきなりサーバーと契約をして後戻りできないようにしました。

あれだけ文章を書くのが苦手だった私が、ブログを更新するたびに文法が間違っていたり誤字脱字があったとしても、気にせずどんどんと更新して昔の苦手意識が少なくなりました。

多くの人が何かしらの苦手意識を持っています。

しかし積極的にそれらに挑戦してみると、道が広がったり自分の中の知らない何かに気付く事もあると思います。

私の得意な事が誰かにとっての苦手意識だったりします。

そんな事を考えながらブログの更新を続けていた時にセイタロウさんにブログを通して出会いました。

セイタロウさんとは出会ってから日が経つにつれてメールをやりとりする頻度も増え、時には仏像や木彫以外の話題にも盛り上がったりすることもあります。

日本から離れた場所に住んでいて、簡単に会う事ができませんがメールをする中で彼の一本気なところ、また不器用だと思っていても彼の何でもやってみたいという思いを行動に移す行動力は大変素晴らしい事だと思います。

行動すると苦手なところも顕著に現れてきますが、経験を沢山重ねる事でほとんどの場合解消される事が多いのも事実です。

そして自分の気持ちに素直になって行動すると様々な体験をしたいと思うようになり、その中で色んな種類の経験を積む事になります。

色んな種類の経験を積むということは無駄でなんだか時間がもったいないと思ってしまいます。

私は無駄な事というのは人間にとって生きていくうえでなくてはならない潤滑油のように思っています。

生まれてから就職しそして死ぬまで、一つのプロセスが決まっているかのように外れないように無駄の無いよう周りの目を気にしながら生きて、そして無事に人生を全うして、良い奴だったと皆に囲まれて最後を迎えるのもありだと思います。

生きているのは自分です。

自分が自分の人生を歩んでいるので、失敗も無ければ無駄な事も全くない。

 

たとえ無駄な事だと思っても、自分が楽しいと思ったりワクワクする事がこれから先あると思います。

そんなときも自分の素直な気持ちを大切に貪欲に色んな経験を積んでセイタロウさんやこのブログに訪問する読者さんらしく今後も変わらず生きてほしいと勝手ながら思っています。

セイタロウさんや造佛記の読者の皆さんには私の方こそ励みや勇気をいただき大変感謝をいたしております。

今後ともよろしく御願いいたします。

合掌

フウタロウ

追記

以前アップしましたセイタロウさんの記事を貼り付けておきますのでよかったら覗いてみてください。

英訳者セイタロウとは

 

造佛記、香佛舎の謎の英訳者セイタロウとは

pen hikkitai

 

私のウェブサイトを見て、仏像を彫り始めた人がいます。

後にウェブサイトの英訳をしてもらう、セイタロウ(ペンネーム)さんです。

カッターナイフを使った仏像彫刻の彫り進め方の記事を検索エンジンでヒットしたのがきっかけでセイタロウさんと出会いました。

もともと様々な手仕事を経験していたので飲み込みが早く、今では本格的な彫刻刀の印刀一本を使って仏像の彫り方を練習されています。

当初、このウェブサイトを作るにあたり、日本国内にしか目を向けていませんでしたが、セイタロウさんからメッセージが届いたのは国内ではありませんでした。

セイタロウさんは日本人ですが今は遠い国に住んでいます。

セイタロウさんの住んでいる場所には切れる刃物はないのですが、私にメッセージを送る前は、限られた道具の中で工夫し苦心して仏像を彫られました。

私はカッターナイフならどこでも手に入るだろうと浅はかに考えていたのですが、現地の刃物は日本で販売されている安いカッターナイフの切れ味にも及ばず、そうとう削るのが難しい状況だったと思われます。

それでも仏像の形に彫り上げられたのはたいしたものだと思います。

仕上がった仏像を奥さんにプレゼントされてご家族皆さん大変幸せな気持ちになったとの内容のメッセージを2014年10月9日にいただきました。

私は本当に嬉しくなって、このサイトが人を幸せに出来たのだという気持ちと、日本から離れて暮らしている日本人の方々が日本のものに飢えているという事を知りました。

彼とメッセージをやり取りしていて既に半年近くなっていた事にあまり気付いていませんでしたが、時間の経過は早いものです。

その間膨大な量のメッセージをやりとりしてました。

彼は、日本で後悔を残して今は遠い国で生活をしているのですが、それを全て自分の傲慢な心が引き起こしたもの、それらを沈め、縁の下の力持ちになり、出しゃばらずに仏像を彫りながら人格形成をしていきたいという気持ちで彫刻に励んでいらっしゃいます。

私が以前自分のサイトの英訳を勉強しながら進めていきたいという記事を書いたのですが、それを見たセイタロウさんが是非私に英訳をさせてくださいとのメールを頂きました。

しかし私は英語を勉強しながら、ウェブサイトを全て一人で制作する予定だったのですが、私は英語が苦手です。

彫刻とウェブサイトを作る事で手一杯でいつかは英語をマスターしたいという気持ちはありました。

そんな中彼の英訳したいという気持ちは、私にとって願ってもない事だったのですが、そうなると彼の仕事、そして家族の時間を削る事になり、私としては心苦しく思いました。

しかしセイタロウさんはこのサイトの力になりたいという気持ちが木彫を続けていくうちにどんどんと強くなっていたようです。

そこで、家族と仕事に支障がないよう余裕を持って、まず始めに彼が私にメッセージを送りたいと思ったきっかけである、香佛舎でやりたい事という記事から英訳を始めました。

私は、いつでも良いので数ヶ月かかろうがあまり気にしないよう悠長に構えていましたがその2日後にはすでに英訳を終えていました。

あまりの早さにびっくりして、次の英訳も任せる事になり、それが徐々に増えついに私のウェブサイトの骨格があっという間に完成するに至りました。

そこで私は一つ提案をしました。

英訳をしていただいた功労者のセイタロウさんの本名と英訳に至るいきさつを記事にして書いて皆に見てもらったらどうかということです。

すると彼は、ありがたい話ですが、それにより私に傲慢な気持ちが芽生えるのではないかと心配されてました。

そのような経緯から本名の掲載は今の段階では避け、後に時期がきたら本名に変更し今の段階では仮にセイタロウという名前で掲載をすることに致しました。

彼も私も半人前、これからさらなる飛躍を目指し自分たちに自信が付くまでは地道にそして楽しくコンテンツを増やしていければと思っています。