日本では美しい造形美を新しく生み出すのは難しいのだろうか

三人よれば文殊の知恵と言われるように多くの人が携われば携わる程、内容が洗練されたすばらしい物ができるのだろうかどうか、疑問に思うときがあります。

私はどちらかというと、議論自体意味がないように思う事の方が多く、そのほとんどは調整に時間や力を使ったりしているようにも感じます。

また根回しなどが横行している場合、議論自体は形だけになります。

そういう私が団体行動する場合は、出来るだけスムーズに進むように自分の意見は言わずに、団体が向かう方向に合わせて振る舞うのではないだろうかと思います。

そうしなければ全く進まず、何も出来なくなるからです。

団結力の強い日本の平均的な物作りにおいてはクオリティーは常にどの国よりもトップレベルにあり世界一と言われる工業技術を生み出す国民性なのかもしれません。

高い工業技術を生み出す陰にはもしかしたら、長い労働時間や品質要求の高い基準に耐えられなくてそこに携わる人達が最悪の場合鬱になる副作用もあるのかもしれません。

日本の平均的なサービスにおいては、世界のどの国よりも高いレベルで提供され世界中の人々が日本に観光に訪れると大変満足して帰られ、また日本に訪れたいと思われる人も多いように思います。

しかし金額以上の高いサービスを提供しようと思えばその下で働く人々は大変な苦労をする事になります。

ヨーロッパなどは休みが多く、働く人にとっては大変ゆったりと生活出来ているように思えます。

その分自分の好きな事に時間を使い人生を楽しんで生きているように思います。

その反面サービスは最悪だったりします。

平均的なサービスがそれほど高くないヨーロッパに置いて、ヨーロッパのラグジュアリーブランドが世界中で人々を魅了し、ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニなどの超高級外車が生み出されたりという矛盾が起こります。

日本のような高い工業技術や職人の高い技術力があり、なおかつ一人一人が平均以上の働きをする国民性にもかかわらず、超高級というカテゴリーになるとなぜかイメージが結びつかなくなります。

しかし、一人の日本人の力はどれだけすごいのかと感じる時があります。

最近知ったのですが、深谷さんという日本人の方がいらっしゃいます。

その方は本場イタリアでトップレベルの靴を手がけられておられます。

そんな深谷さんも当初は本場イタリアで修行を重ねてこられたのですがその陰では想像以上の苦労を重ねていらっしゃったようです。

深谷さんの作られる美しい靴のフォルムと繊細な高い技術力が融合して美と質がそろった、大変すばらしい靴が生み出され日本人のすごさを垣間見ることができました。

これがもし一人ではなく二人三人と沢山の人が集まって作られたとしたら果たして美と質がそろったすばらしい物が出来上がったのだろうかと疑問に思います。

人が集まりグループになればなるほど、中立的な意見にまとまり、小さく納まるというのが常にあって、それが平均以上の技術力をキープするという良さでもあり、また超高級品が生み出せない側面もあるように思います。

あのランボルギーニのような美しいフォルムも院政期の仏像のような美しい仏像のフォルム、新しく生み出されるすばらしい造形、古くから守り受け継がれてきた美しい造形美など一体どうしたら生まれるのだろうかとふと思ったりします。

必死に働き高い技術を追い求めても、美しいフォルムが生み出されにくく、またのんびり過ごして美しい風景を眺めるだけでも、美しい造形を再現する技術が不足していたりと、世の中うまくいかないようになっているみたいです。

逆に簡単に出来てしまえばありがたみもなくなってしまうかもしれませんが。

様々な事を思いめぐらしていくと、日本人は特に人の評価を気にすると言われていますが、それは評価を気にして生きていかないと本当に生きていけないからかもしれません。

村八分にされ、どこに行く当てもなく、つまはじきにされてしまう。

それは日本で生きていくには死を意味する事なのかもしれません。

現在では村八分にされる事は、よっぽどの事がない限り難しいと思いますが、昔のそういった仲間意識が遺伝子に継承され、本能的に長い物に巻かれなければ生きていけないというような防御本能がはたらいているのかもしれません。

そういった環境のもとで、自分らしさや自分の才能を見つけ出すのは難しいのかもしれません。

もしかしたら個人個人は、自分の事を薄らとは気付いているのだけど、知ると村八分にあい、それが命に関わる危険な事だからそれ以上深く考えないようにしているのかもしれません。

私は安易に自分らしく生きた方が良いとは思いません、自分らしく生きようと思えばそれなりの覚悟が必要だと思います。

多くの人が望まないだろうし暴力ではありませんが、ちょっとした見えない圧力も大なり小なりあると思います。

それに耐えられるか、耐えられないか、耐えられないのに自分らしく生きようと思えばひどい場合本当に精神病院直行になりかねません。

そういった、団結力や我慢すること、怠けてはいけないという意識が働き、作る物に余裕がなくなりそれが平均以上のものを作り上げる日本人の素地になっているような気もしますが、その反面、超高級品が生み出されにくいのかもしれません。

私は伝統工芸に携わっていていつも疑問に思っていました。

技術においてはすばらしい職人さんが沢山いて、世界で注目されるヨーロッパ以上のラグジュアリーブランドを作れる以上の技術力があると自負しています。

しかし、部分的には注目をされているようですが、全体的に評価される事はまだむずかしいようにおもいます。

美しいデザインは、日本の物作りにおける今後の大きな課題なのかもしれません。

そういった能力は目には見えず、評価を難しくしているようにも思います。

何十年も高いレベルの技術の経験を積んでも、美しいデザインを生み出す環境が整っていないと、それらの技術が100%発揮されず勿体ないように思います。

多くの日本人が自分の心の声に素直に聞き入れ、多くのムダを心から楽しみ、質素な生活も大切ですが、贅沢な物を心から楽しむような一見無駄と思える事が、作り手の物に対する捉え方やゆとりが生まれるのではないだろうかと、ふと心の声をそのまま書いてみました。

こんな事書いたらどう周りからどう思われるのか、私は大変怖いです。(笑)

 

raguju

 

プー太郎 より

 

 

 

 

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