常識にこだわりすぎると心に余裕がなくなるかもしれない。

最近よく心に余裕のない人が増えてきたように言われていますが、余裕は一体どういう風にすれば身に付くのだろうかと、ちょっと思う所があって色々と思いめぐらしていました。

心に余裕があると、人は自分だけでなく周りの人にも気遣いが出来るようになり、余裕があるので楽しみの為に有意義に生きることが出来るように思います。

一方、心に余裕がなくなると、その反対で自分の用事で精一杯で、やる事が多すぎて周りの人の事を思いめぐらすこともできなくなり、出来るだけ効率よく用事をすまそうと思い、ムダな事をするゆとりもなくなり、生きている事がまるで苦行のように感じられるのではないかと思います。

一体なぜこのような事がおこるのか、我々が思っているいわゆる普通の生活というのは実は非常に贅沢なことなのではないだろうかと最近というか以前より感じていました。

私たちは、生まれてから両親に育てられ学校で教育を受け、大学を出て、就職をして、結婚をして、車や住む家(子供の成長にあわせた少し大きめ)を確保して、子供を産んで、教育費、家のローン、車のローンをかかえて生きていきます。

皮肉な事に、周りとあわせて差がないように生きる常識ある大人ほど、しっかりしようと思い、上記の罠にはまっていきます。

というのも無理をすれば、出来ない事はないけれども、一生の生活設計がみっちりと決まりすぎているので、余裕がありませんし外れる事は許されません。

余裕がなくなるとどんなに優しい人でも、徐々に顔色が変わってくるのは容易に想像がつきます。

反論もあります。

ローンの返済に追われる事で、前へ進もうとする原動力にもなるし、もっと待遇の良い役職に就こうとも思います。

しかし大多数の人々が余裕をもち幸せに生きるにはそうすれば良いのかという視点で考えると、一部の人しか通過できないような道は最初から除外されることになります。

ではどうすれば余裕のある人生を送れるのか、それは周りの標準的な物差しを捨てることからはじめなければいけないのかもしれません。

私の結論からいうと、子供には教育費をかけない(ただし、子供の興味を示すものにはお金をつぎ込む)、新築で家を建てる事は考えず、家は両親と最初から一緒に住むか、安い中古物件を見つけて自分でリフォームをしながら生活をして、車は最初から手に入れない。

どうしても車が必要なら、知り合いからもらった(あるいは安くしてもらった)ぽんこつの車を手に入れて、たまに車を楽しみたいときにはかっこいい車をレンタルして楽しむという方法です。

金銭的に余裕ができると、自分の楽しみの為に使うお金が生み出されます。

 

余裕ができると、たまに美味しい食事を食べにいったり、服を楽しんだり、私なら彫刻の為の本や道具の入手に使います。

 

しかし、おおきな目で見ると日本の経済成長を支えているのはむしろ、教育、家、車、などいわゆる一般的な買い物をして一生懸命、働いてきた先輩方の賜物でもあります。

多くの人達が常識を疑い、多くの人達が収入の半分以下で生活をしていくと、きっと余裕のある人が沢山出て来ると思います。

しかし、その影響で今まで売れていた物が売れなくなり別の所で新たな問題も発生をするのかもしれません。

建築会社、車産業、塾の講師、はまず大打撃を受けるのは間違いありません。

日本全体の経済力も大きく変わるかもしれません。

その影響で原油や輸入食材を手に入れるのが難しくなるかもしれません。

大多数の人々が余裕のある生活をして、なおかつエネルギーや食料に困らないようにするにはどうすればよいのだろうか。

人々が使うエネルギーを押さえ、行動範囲を狭めて休日には遠くに遊びにいこうなんて最初から考えなかったり、食べる量を減らし、食べ物のムダをなくし、コンビニの数を減らし、人がばらばらに暮らすのではなく、一つに固まって生活をして、と考えていくと余裕ある生活を送ろうと思っているのに、どんどんと不便になってきます。

でも考えてみると、不便でみすぼらしいけど余裕のある生活を選ぶか、それとも忙しくゆとりのない普通の生活を選ぶのか、もしかしたら私たち大多数の個々の選択の問題なのかもしれません。

しがらみもあるでしょうし、譲れない所もあるでしょう、惨めに見られることに耐えられなくなる事もあるでしょう。

でも、生活することに関しては心にゆとりが生まれてくるのは想像がつきます。

テレビを付けると普通の生活が映し出されています。

本当にそれは我々にとっての普通の生活なのかどうか一度、疑ってみるのも良いかもしれませんね。

 

 

常識にこだわりすぎると心に余裕がなくなるかもしれない。