6 宝幢如来

宝幢如来 東方(胎蔵界曼荼羅画面では上方 金剛界では西方が上方)に位置し「発心」(悟りを開こうとする心を起こすこと)を表す

なお金剛界五佛の阿閦如来(あしゅくにょらい)と同体とされる。

阿閦如来(あしゅくにょらい)

梵名アクショービヤ(अक्षोभ्य [Akṣobhya])は、仏教における信仰対象である如来の一尊で、阿閦仏ともいう。

また漢訳仏典では阿閦婆などとも音写し不動、無動などとも訳される。
三昧耶形は五鈷金剛杵。種子(種子字)は憤怒の叫びを表すウーン(huuM)。
阿閦如来は密教における金剛界五仏の一で、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置する。

唯識思想でいう「大円鏡智」(だいえんきょうち)を具現化したものとされる。また胎蔵界の東方、宝幢如来と同体と考えられている。
梵名のアクショービヤとは「揺るぎない」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示す。

印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(そくちいん)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す。
「阿閦仏国経(大宝積経第六不動如来会)」によれば、昔、この娑婆世界から東方千仏の国を経て阿比羅提(アビラッティー、妙喜・善快・妙楽と訳す)という国があり、そこに大日如来が出現した時、無瞋恚の願を発し修行して、一切の瞋恚と淫欲を断滅し成就完成して仏となり、いま現にその仏国土において説法中であるという。

これを考えると、後の密教でその種子(種子字)が怒りの声「ウーン」とされたのは矛盾しているが、ここでいう怒りとは我欲に基づくものではなく、仏道の妨げとなる煩悩などへの怒りである。我欲からくる小さな怒りを、悟りに繋がる大きな怒りに昇華したものと考えるべきであろう。
日本における阿閦如来の彫像は、五仏(五智如来)の一として造像されたものが大部分であり、阿閦如来単独の造像や信仰はまれである。重要文化財指定品で阿閦如来と称されているものには、奈良・法隆寺大宝蔵殿南倉安置の木造坐像、和歌山・高野山親王院の銅造立像がある。
空海が開創した高野山金剛峯寺金堂(旧堂は1926年に焼失)の本尊は阿閦如来と伝承されていたが、薬師如来とする説もあり、さらには阿閦と薬師は同体であるとする説もあった。同像は古来絶対の秘仏であったことに加え、1926年の火災で焼失してしまったため、その像容は不明である。
後期密教
インド仏教の末期では、イスラム教の台頭と仏教の衰退を背景に後期密教において憤怒相の護法尊が多数信仰されるようになった。

後期密教では五智如来の中心が大日如来から、護法尊を統括する形で阿閦金剛仏へと転換していった。

インド仏教・後期密教の最後の経典である時輪タントラでも、本初仏(勝初仏)として阿閦金剛仏たる阿閦如来が主尊である。

時輪タントラではシャンバラは阿閦如来を本地とする憤怒尊を本尊とするカーラ・チャクラで満ちているとされ、無上不動の信仰・知恵を得ることが説かれる。
真言
オン・アキシュビヤ・ウン

参照 Wikipedia

 

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