9   鬼子母神

鬼子母神(きしもじん/きしもしん)、梵: हारिती [Hārītī]、ハーリティー)は、仏教を守護するとされる夜叉で女神ヤクシニーの一尊。梵名ハーリティーを音写した訶梨帝母(かりていも)とも言う[1]。
なお、「きしぼじん」という読み方は正確には間違いである(ぼが呉音ではなく漢音であるため)。
三昧耶形は吉祥果。種子(種子字)はウーン(huuM)。吉祥天の母でもある。

概説
夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王[1])の妻で、500人(一説には千人[2]または1万人[3])の子の母であったが、それらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べてしまっていた。そのため多くの人間から恐れ憎まれていた。
それを見かねた釈迦は、人間を救うと共に彼女をも救済することを意図して、彼女が最も愛していた末子・愛奴児(ピンガーラ、プリンヤンカラ 嬪伽羅、氷羯羅天、畢哩孕迦[1])を隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。
そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。なら、数人しか持たぬ子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。今のお前にはその苦しみが分かるはずだ」と話し、隠していた子を戻した上で「子を想う気持ちには人間と鬼神に違いは無い」と諭し、自分の行いの過ちを悟らせ仏法に帰依させた。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった[3]。盗難除けの守護ともされる。
インドでは、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、日本でも密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝母法が修せられたり、上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、訶梨帝母法を修している。
また、法華経において鬼子母神は、十羅刹女(じゅうらせつにょ)と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、鬼子母神と十羅刹女に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。
その像は天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果を持つ。 なお吉祥果をザクロで表現するのは中国文化での影響であり、これは仏典が漢訳されたときに吉祥果の正体が分からなかったため、ザクロで代用表現したものである。 よって仏典には吉祥果を持つとあるが、ザクロを持つとは書かれてなく、仏典中の吉祥果とザクロは同一ではない。 また鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、人肉の味がするザクロを食するように釈迦が勧めたからなどと言われるのは、日本で作られた根拠のない俗説にすぎない。
日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなって鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになった。これは、法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものである。この鬼形鬼子母神の造像については、明確な区分ではないものの、関東と関西では異なる傾向がみられる。関東では総髪で合掌した姿であり、子供を伴ってはいない。一方関西では、総髪ではあるものの角を生やし、口が裂け、子供を抱く(あるいは、左手で子供と手を繋ぐ)ものである。 また、子どもを抱き宝冠を付けた姿は一見すると天女形であるが、形相が天女形から鬼形に変容する過程にあると思われる珍しい像が存在することも確認されている。

鬼子母神を祀る寺院
鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる、東京都台東区入谷の鬼子母神(真源寺)、東京都豊島区雑司が谷の法明寺鬼子母神堂(鬼の字には「角」が無い)、千葉県市川市の遠寿院(法華経寺塔頭)の鬼子母神が有名である(江戸三大鬼子母神)。
縁日は毎月8の付く日(8日,18日,28日)である。また、お会式に併せて大祭を行う寺もある。なお、「鬼子母神」の「鬼」の表記について、寺院によっては、第一画目の点がない字を用いる場合がある。これは、鬼子母神が釈尊に諭されて改心した結果、角が外れたためである[4]。

コルヌー・コピアイを携えるパーンチカとハーリティ(3世紀、タフテ・バヒー)

訶梨帝母(鬼子母神)像(醍醐寺、鎌倉時代)

法明寺鬼子母神堂(東京都豊島区)

法明寺鬼子母神堂(東京都豊島区)

本光寺鬼子母神堂(千葉県市川市大野町)

西遊記
西遊記の雑劇である元曲の『雜劇·楊景賢·西遊記·第三本[5]』第十二折鬼母皈依、『鬼子母掲鉢記』、『西天取経』(呉昌齢)第12齣の鬼母帰依などでは愛奴児が三蔵法師を捕まえており、そこに登場した釈迦如来に帰依する。雜劇·楊景賢·西遊記·第三本では愛奴児の別称が紅孩児となっている。明以降の西遊記では紅孩児の回で観音菩薩のところで一箇所取次ぎに顔をだすのみになった。

参照 Wikipedia

 

下の画像は現在の木彫曼荼羅の進行状態です。

 

 

両界曼荼羅

mandara zentai

 左 金剛界八十一尊曼荼羅 

 右 大悲胎蔵生大曼荼羅

 

動画

 

 

 

金剛界八十一尊曼荼羅と大悲胎蔵生曼荼羅の制作

 

私が曼荼羅の事を意識したのは、私の先生が曼荼羅を納める

所を間近でみてきたことが一番大きい。

 

近い距離で曼荼羅を見ると想像以上に、見応えがあります。

宗教心はおそらく関係ない、そして知識も関係ない、ただその

場で見せてもらうだけで、あまりの高貴さと迫力に圧倒されて

しまいます。

 

まず最初に仏様の数にびっくりしました。

 

尊像数

金剛界八十一曼荼羅 81体 胎蔵界曼荼羅

412体 合計493体

 

わたしがこれから開始する浮き彫りの曼荼羅はあまりする人が

いません

非常に長い長い 道のりの彫刻になることは間違いがありません。

 

作業年数でいえば5年ぐらいみておかなければいけない、人に言

ってしま えばやめるにやめれない、きっと出来上がったら魅力的

な彫刻だろうと は思う、やはり人と同じものを作っていてもあま

り、刀が乗らない。

 

私は精神論はできるだけ控えて作業に取りかかりたいと考えてい

ます。

そういうことで少し物足りないこともあるかもしれません。

れから始まる長い長い道のり、今から取り組む作業は仕事では

ないの でもしかしたら私がその前にギブアップするかもしれませ

んが。(>_<)

 

一日に一体、彫ることが難しいので最短でも2年以上はかかると考

えてい ますので、4〜5年ぐらいかなと考えております。

れだけ意気揚々と曼荼羅を浮き彫りで彫ると書いては見たものの

、実 は曼荼羅の事を詳しく知っているわけでもなく、制作しながら

一尊一尊 を確認しての取り組みになります。

では、早速取り掛かります。

 合掌

1. 木彫曼荼羅の開始

2. 曼荼羅の方位

3. 曼荼羅一尊の彫刻の彫進め方

4. 曼荼羅の仮づけ

5. 曼荼羅と善無畏