5  富楼那(ふるな)

富楼那(ふるな、サンスクリット:Purna Maitrayani-putra)は、釈迦十大弟子の一人。説法第一。
十大弟子中では最古参。大勢いた弟子達の中でも、弁舌にすぐれていたとされる。


彼の名は、正しくは富楼那・弥多羅尼・弗多羅(プルナあるいはプンナ・マイトラヤニーあるいはミトラヤニー・プトラ)といい、弥多羅尼(ミトラヤニー)は母の名で、弗多羅は子を意味するので、富楼那弥多羅尼子とも書かれる。またフランナとカタカナ表記される場合もある。漢訳では満願子、満願慈、満足慈、満厳飾女子、満見子などと記される。

出身
コーサラ国のカピラ城近郊、ドーナバストゥ(またはスナーパランタ)という、バラモン種族に生まれた。父はカピラ城主である浄飯王(すなわち釈迦の実父)の国師で、母は釈迦の最初の弟子衆である五比丘の一人である僑陳如(カウンダンニャ)の妹とも伝えられる。彼の実家は巨万の富を有していたといわれる。

経歴
釈迦とは生年月が同じで、幼くして既に聡明で、バラモンの四ヴェーダ(聖典)と五明(声・因・医・工・内)に通じていたが、世塵を厭うて雪山(ヒマラヤ)に入山学道し、苦行を重ねて四禅定と五神通を得たが、釈迦の成道を聞き、波羅奈(パラナシー)国の鹿野苑へ同朋と赴き仏弟子となった。南伝『マハーヴァストゥ』には、五神通に通達した29人の弟子を有していたが、仏が出世したと聞いて、ベナレスへ赴き釈迦の弟子となったと記される。なお『未曾有因縁経』下では、嫉妬心のために出家し、20年修学して外道の学に通じ、王舎城に帰って釈迦仏に議論をいどんだが、仏に破られて弟子となった、また4つの弁才が遇ったと伝えている。
舎利弗は彼の徳風を慕い、日中に彼が坐禅する場所に行き、よく問答を行い互いに賞賛しあっていたという。また阿難も、新入の比丘衆に対して、富楼那は非常にためになる比丘であると諭していた。
後に阿羅漢果を得て各地に赴き、よく教化の実を挙げ、9万9000人の人々を教化したとも伝えられる。

参照Wikipedia

下の画像は現在の木彫曼荼羅の進行状態です。

 

 

両界曼荼羅

mandara zentai

 左 金剛界八十一尊曼荼羅 

 右 大悲胎蔵生大曼荼羅

 

動画

 

 

 

金剛界八十一尊曼荼羅と大悲胎蔵生曼荼羅の制作

 

私が曼荼羅の事を意識したのは、私の先生が曼荼羅を納める

所を間近でみてきたことが一番大きい。

 

近い距離で曼荼羅を見ると想像以上に、見応えがあります。

宗教心はおそらく関係ない、そして知識も関係ない、ただその

場で見せてもらうだけで、あまりの高貴さと迫力に圧倒されて

しまいます。

 

まず最初に仏様の数にびっくりしました。

 

尊像数

金剛界八十一曼荼羅 81体 胎蔵界曼荼羅

412体 合計493体

 

わたしがこれから開始する浮き彫りの曼荼羅はあまりする人が

いません

非常に長い長い 道のりの彫刻になることは間違いがありません。

 

作業年数でいえば5年ぐらいみておかなければいけない、人に言

ってしま えばやめるにやめれない、きっと出来上がったら魅力的

な彫刻だろうと は思う、やはり人と同じものを作っていてもあま

り、刀が乗らない。

 

私は精神論はできるだけ控えて作業に取りかかりたいと考えてい

ます。

そういうことで少し物足りないこともあるかもしれません。

れから始まる長い長い道のり、今から取り組む作業は仕事では

ないの でもしかしたら私がその前にギブアップするかもしれませ

んが。(>_<)

 

一日に一体、彫ることが難しいので最短でも2年以上はかかると考

えてい ますので、4〜5年ぐらいかなと考えております。

れだけ意気揚々と曼荼羅を浮き彫りで彫ると書いては見たものの

、実 は曼荼羅の事を詳しく知っているわけでもなく、制作しながら

一尊一尊 を確認しての取り組みになります。

では、早速取り掛かります。

 合掌

1. 木彫曼荼羅の開始

2. 曼荼羅の方位

3. 曼荼羅一尊の彫刻の彫進め方

4. 曼荼羅の仮づけ

5. 曼荼羅と善無畏

 

 

 

 

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