6  迦旃延(かせんねん)

迦旃延(かせんねん)は、釈迦の十大弟子の一人。論議第一と称せられる。摩訶(まか、Mahā=偉大なるという意)をつけて摩訶迦旃延、あるいは大迦旃延などとも呼ばれる。
名前[編集]
彼の名前は、経典などにより表記が異なるため、主なものを表記する。
サンスクリット:Mahā-katyāyāna
パーリ:Mahā-kaccāna,Mahā-kaccāyāna
カタカナ表記:マハー・カッチャーナ、カッチャヤーナ
他の音写:摩訶・迦多衍那、婆帝梨迦など
音訳:大迦旃延、大迦多衍那、大迦多演那など
訳(意訳含む)・意味:好肩、文飾、大剪剔種男、大浄志など
なお、「迦旃延」という名前は、婆羅門種の十姓の一つに数えられ、姓を以って名としている。
出身[編集]
彼の出身などにはいくつかの説がある。
西インドのアヴァンティー国、ウッジェニー(現ウッジャイン)の婆羅門出身(クシャトリヤ説あり)で、チャンダパッジョータ王の帝師の子で、王の命により釈迦仏を招くために、7名の王臣と共に仏所に赴き出家した。
南インドの婆羅門出身で、かつて釈迦誕生時に相せし阿私陀仙(アシタ仙人、釈迦が将来、仏となると予言した)の弟子で、師の娘を娶り、また師の遺命により仏弟子となった。
経歴[編集]
彼がいつ仏教教団に入ったかはわからないが、初期の仏教伝道において重要な働きをした。
なお、彼の出身説1では、その地域はいまだ布教圏外だったので、仏や舎利弗、目連の滅後、教団の中心となってよく活躍したという。
子供の頃より聡明で、一度聞いた内容は忘れず良く理解したと言われる。それでも難解で理解できないことがあり、釈迦に教えを請うことになり、これがきっかけで弟子となったとされる。
『Udāna』V.6によると、アヴァンティ国のクララガァーラ・パパータ山に住み、ソーナ・コーリヴィーサ(億耳)を出家せしめたという。
仏の教えを広く解りやすく、義を分別して広説し、釈迦仏から讃嘆された。幾人かの王に四姓(バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラ)の平等を説いて回ったといい、南方所伝の仏教でも釈迦滅後も弘教に努めたといわれる。

参照Wikipedia

下の画像は現在の木彫曼荼羅の進行状態です。

 

 

両界曼荼羅

mandara zentai

 左 金剛界八十一尊曼荼羅 

 右 大悲胎蔵生大曼荼羅

 

動画

 

 

 

金剛界八十一尊曼荼羅と大悲胎蔵生曼荼羅の制作

 

私が曼荼羅の事を意識したのは、私の先生が曼荼羅を納める

所を間近でみてきたことが一番大きい。

 

近い距離で曼荼羅を見ると想像以上に、見応えがあります。

宗教心はおそらく関係ない、そして知識も関係ない、ただその

場で見せてもらうだけで、あまりの高貴さと迫力に圧倒されて

しまいます。

 

まず最初に仏様の数にびっくりしました。

 

尊像数

金剛界八十一曼荼羅 81体 胎蔵界曼荼羅

412体 合計493体

 

わたしがこれから開始する浮き彫りの曼荼羅はあまりする人が

いません

非常に長い長い 道のりの彫刻になることは間違いがありません。

 

作業年数でいえば5年ぐらいみておかなければいけない、人に言

ってしま えばやめるにやめれない、きっと出来上がったら魅力的

な彫刻だろうと は思う、やはり人と同じものを作っていてもあま

り、刀が乗らない。

 

私は精神論はできるだけ控えて作業に取りかかりたいと考えてい

ます。

そういうことで少し物足りないこともあるかもしれません。

れから始まる長い長い道のり、今から取り組む作業は仕事では

ないの でもしかしたら私がその前にギブアップするかもしれませ

んが。(>_<)

 

一日に一体、彫ることが難しいので最短でも2年以上はかかると考

えてい ますので、4〜5年ぐらいかなと考えております。

れだけ意気揚々と曼荼羅を浮き彫りで彫ると書いては見たものの

、実 は曼荼羅の事を詳しく知っているわけでもなく、制作しながら

一尊一尊 を確認しての取り組みになります。

では、早速取り掛かります。

 合掌

1. 木彫曼荼羅の開始

2. 曼荼羅の方位

3. 曼荼羅一尊の彫刻の彫進め方

4. 曼荼羅の仮づけ

5. 曼荼羅と善無畏