7   慈恵大師

良源(りょうげん、延喜12年9月3日(912年10月15日) – 永観3年1月3日(985年1月26日))は、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。
また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集め今日に至る。

略歴
良源は延喜12年(912年)、近江国浅井郡虎姫(現・滋賀県長浜市)に、地元の豪族・木津(こづ)氏の子として生まれた。幼名は観音丸(日吉丸とも)といった。12歳の時(15歳ともいう)、比叡山に上り、仏門に入った。良源は、最澄(伝教大師)の直系の弟子ではなく、身分も高くはなかったが、南都(奈良)の旧仏教寺院の高僧と法論を行って論破したり、村上天皇の皇后の安産祈願を行うなどして徐々に頭角を現し、康保3年(966年)には天台宗最高の地位である天台座主に上り詰めた。
延暦寺は、承平5年(935年)の大規模火災で根本中堂を初めとする多くの堂塔を失い、荒廃していた。良源が天台座主に就任した康保3年(966年)にも火災があったが、良源は村上天皇の外戚(皇后の実父)である藤原師輔の後援を得て、焼失した堂塔を再建した。また、最澄の創建当初は小規模な堂だった根本中堂を壮大な堂として再建し、比叡山の伽藍の基礎を造った。天禄元年(970年)には寺内の規律を定めた「二十六ヶ条起請」を公布し、僧兵の乱暴を抑えることにも意を配った。ただし、応永16年(1409年)年の『山家要記浅略』では、反対に僧兵の創始者とされている[1]。良源は、比叡山の伽藍の復興、天台教学の興隆、山内の規律の維持など、様々な功績から、延暦寺中興の祖として尊ばれている。弟子も多く、中でも『往生要集』の著者・源信(恵心僧都)は著名である。
朝廷から贈られた正式の諡号(おくりな)は慈恵大師であるが、命日が正月の3日であることから、「元三大師」の通称で親しまれている。比叡山横川(よかわ)にあった良源の住房・定心房跡には四季講堂(春夏秋冬に法華経の講義を行ったことからこの名がある)が建ち、良源像を祀ることから「元三大師堂」とも呼ばれている。また、全国あちこちの社寺に見られる「おみくじ」の創始者は良源だと言われている[2]。

角大師・豆大師
慈恵大師・良源には「角(つの)大師」「豆大師」「厄除け大師」など、様々な別称があり、広い信仰を集めている。
角大師-2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の像を表した絵である。伝説によると、良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるという。角大師の像は、魔除けの護符として、比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られた。
豆大師-紙に33体の豆粒のような大師像を表した絵である。慈恵大師(良源)は観音の化身とも言われており、観音はあらゆる衆生を救うために33の姿に化身するという「法華経」の説に基づいて33体の大師像を表したものである。

慈恵大師像
「慈恵大師像」と呼ばれる良源の肖像彫刻や画像は鎌倉時代頃の作品が比叡山内の多くの堂や寺院に所在する他、天台系の寺院に多く伝えられる。特に中世に遡る木造の作例が35体も知られており、重要文化財に指定されている像も11体を数え、これは高僧彫刻の中では最も多い。これらの像はいずれも礼拝像として定型化した表現を示しており、やや吊り目で厳しい表情で、手には数珠と独鈷杵(とっこしょ、仏具の一種)を持つのが特色で、不動明王のイメージ重ねられているからだと考えられる[3]。
慈恵大師(良源)像の古例[編集]
延暦寺(本覚院)像-文永2年(1265年)
延暦寺(黒谷青龍寺)像-弘安9年(1286年)
滋賀・求法寺像-文永4年(1267年)
滋賀・金剛輪寺像-弘安9年(1286年)
滋賀・金剛輪寺像-正応元年(1288年)
京都・曼殊院像-文永5年(1268年)
三重・観音寺像-観応2年(1351年)

参照Wikipedia

下の画像は現在の木彫曼荼羅の進行状態です。

 

 

両界曼荼羅

mandara zentai

 左 金剛界八十一尊曼荼羅 

 右 大悲胎蔵生大曼荼羅

 

動画

 

 

 

金剛界八十一尊曼荼羅と大悲胎蔵生曼荼羅の制作

 

私が曼荼羅の事を意識したのは、私の先生が曼荼羅を納める

所を間近でみてきたことが一番大きい。

 

近い距離で曼荼羅を見ると想像以上に、見応えがあります。

宗教心はおそらく関係ない、そして知識も関係ない、ただその

場で見せてもらうだけで、あまりの高貴さと迫力に圧倒されて

しまいます。

 

まず最初に仏様の数にびっくりしました。

 

尊像数

金剛界八十一曼荼羅 81体 胎蔵界曼荼羅

412体 合計493体

 

わたしがこれから開始する浮き彫りの曼荼羅はあまりする人が

いません

非常に長い長い 道のりの彫刻になることは間違いがありません。

 

作業年数でいえば5年ぐらいみておかなければいけない、人に言

ってしま えばやめるにやめれない、きっと出来上がったら魅力的

な彫刻だろうと は思う、やはり人と同じものを作っていてもあま

り、刀が乗らない。

 

私は精神論はできるだけ控えて作業に取りかかりたいと考えてい

ます。

そういうことで少し物足りないこともあるかもしれません。

れから始まる長い長い道のり、今から取り組む作業は仕事では

ないの でもしかしたら私がその前にギブアップするかもしれませ

んが。(>_<)

 

一日に一体、彫ることが難しいので最短でも2年以上はかかると考

えてい ますので、4〜5年ぐらいかなと考えております。

れだけ意気揚々と曼荼羅を浮き彫りで彫ると書いては見たものの

、実 は曼荼羅の事を詳しく知っているわけでもなく、制作しながら

一尊一尊 を確認しての取り組みになります。

では、早速取り掛かります。

 合掌

1. 木彫曼荼羅の開始

2. 曼荼羅の方位

3. 曼荼羅一尊の彫刻の彫進め方

4. 曼荼羅の仮づけ

5. 曼荼羅と善無畏

 

 

 

 

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