5  善無畏三蔵

善無畏(ぜんむい、Śubhakarasiṃha(シュバカラシンハ)、637年 – 735年)はインド・摩伽陀国(マカダこく)の国王、訳経僧である。輸波迦羅(ゆばから)とも記される。

経歴
637年、中部インドの貴族家庭に生まれる。幼年より神童と称され、摩伽陀国の国王となる。兄弟との戦争平定後出家、ナーランダー寺院にて達摩掬多(だるまきくた、ダルマグプタ)に師事し顕密両教を兼修する。
716年、玄宗統治下の唐・長安に赴く。『虚空蔵求聞持法』、『大毘遮那経(大日経)』などを漢訳する。
同時代の人物には金剛智、不空、一行、恵果等がいる。中国密教では三蔵法師の一人でもある事から「善無畏三蔵」と尊称し、日本の真言宗でも「真言八祖」とは別の系統である、「伝持の八祖」では第五祖に配される。

訳経

著作
『無畏三蔵禅要』、唐代の禅僧が善無畏三蔵にインド密教の「禅定」について質問した記録。真言宗では三昧耶戒の資料として参照される。中国では禅宗においても戦前まで広く読まれていた。

日本渡来説
日本書紀などの公的な記録には無いが、
717年(養老元年)京丹後市の縁城寺に千手観音像を安置した。
718年(養老2年)南砺市の安居寺を開く。後に行基が伽藍を造営した。
718年(養老2年)橿原市の久米寺に仏舎利と大日経を納め宝塔を建立した。
720年(養老4年)横浜市の後に弘明寺となる地に結界を張って浄域とした。後に行基が伽藍を造営した。
などの伝説が各地に残る。[要出典]

参照Wikipedia

下の画像は現在の木彫曼荼羅の進行状態です。

 

 

両界曼荼羅

mandara zentai

 左 金剛界八十一尊曼荼羅 

 右 大悲胎蔵生大曼荼羅

 

動画

 

 

 

金剛界八十一尊曼荼羅と大悲胎蔵生曼荼羅の制作

 

私が曼荼羅の事を意識したのは、私の先生が曼荼羅を納める

所を間近でみてきたことが一番大きい。

 

近い距離で曼荼羅を見ると想像以上に、見応えがあります。

宗教心はおそらく関係ない、そして知識も関係ない、ただその

場で見せてもらうだけで、あまりの高貴さと迫力に圧倒されて

しまいます。

 

まず最初に仏様の数にびっくりしました。

 

尊像数

金剛界八十一曼荼羅 81体 胎蔵界曼荼羅

412体 合計493体

 

わたしがこれから開始する浮き彫りの曼荼羅はあまりする人が

いません

非常に長い長い 道のりの彫刻になることは間違いがありません。

 

作業年数でいえば5年ぐらいみておかなければいけない、人に言

ってしま えばやめるにやめれない、きっと出来上がったら魅力的

な彫刻だろうと は思う、やはり人と同じものを作っていてもあま

り、刀が乗らない。

 

私は精神論はできるだけ控えて作業に取りかかりたいと考えてい

ます。

そういうことで少し物足りないこともあるかもしれません。

れから始まる長い長い道のり、今から取り組む作業は仕事では

ないの でもしかしたら私がその前にギブアップするかもしれませ

んが。(>_<)

 

一日に一体、彫ることが難しいので最短でも2年以上はかかると考

えてい ますので、4〜5年ぐらいかなと考えております。

れだけ意気揚々と曼荼羅を浮き彫りで彫ると書いては見たものの

、実 は曼荼羅の事を詳しく知っているわけでもなく、制作しながら

一尊一尊 を確認しての取り組みになります。

では、早速取り掛かります。

 合掌

1. 木彫曼荼羅の開始

2. 曼荼羅の方位

3. 曼荼羅一尊の彫刻の彫進め方

4. 曼荼羅の仮づけ

5. 曼荼羅と善無畏