コロナウイルス蔓延の最中、全世界を巻き込んだワクチンキャンペーンが展開し、今や接種者、未接種者に大きく分断されつつある状況下に際して、こんな危険なものを任意と称しながら実質、強制的に接種させようとする事に怒りが湧き上がりつつある事に、私自身が気づいていなかったようでした。
それに気付いたのは、阿修羅化、悪魔化していく人々のことを加藤さんの動画で拝見した後に、数年前から茶道つながりで相互フォローしている女性からインスタグラムにメッセージが来ている事に気がついた時でした。
その方は国立感染症センターに勤務されていて、数年前のSARS対策にも尽力された経験もあり、今回のワクチン接種にも最近は知りませんが接種が開始した当初は、接種することがこの危機を打破できると、日本のためにどんどん接種していくぞ、という気合の入りようでした。
違う見解の私は、その女性に対して徐々に認識のないまま嫌悪感を抱いていたと思います。
避けるようになり、いいねも少しずつ減らし気味になっていました。
そんな時にメッセージが来ていたので、もしやワクチンに関するデマを広めるなというお叱りを受けるのではないかと開けるのを躊躇してしまいました。
開けてみると、
抹茶を運んでいる鳥さんのイラストが届いていました。
私がココちゃんというオカメインコを飼っているのを知っているからか、このイラストを見て、思わずいいねと照れているマークを返信させていただきました。
彫刻したジョーのラストシーンをインスタのストーリーに投稿したのですが、それを見てくれてイラストでメッセージを送ってくれました。
今までその方に嫌悪感を抱いたいた事に対してすまなかったと、今までそういう気持ちでいた事に涙が出そうになりました。
たった一枚のイラストのメッセージが、気づきを与えてくれて、心に響く出来事でした。
たとえ接種をさせる立場である人でも、私自身はそこにジャッジをしない。
平常心でありたいなと強く思いました。
その方の投稿を読み返してみると、最近はお花やお茶の投稿がほとんどで、ワクチンのことも、3ヶ月は投稿していないようす。
もしかしたら今は以前とは違う複雑な気持ちでいるのかもしれないし、決めつけるのも良くないので、余計な推察はこれ以上は控えます。
それにしても創作活動はいいですね。
最近は仕事以外で彫刻をする気になれない時がありましたが、真っ白になったジョーの姿を見て、木に刻みたいなという衝動が湧いてきました。
近くに薔薇を彫るつもりでいた檜の板がありましたが、すぐ手に取り彫り始めていきました。
彫れば彫るほどのめり込んでいくこの感覚、没頭できる物がある私の喜びではありますが超面倒くさいことのほうが多く、楽しいとはまた違うかもしれませんが、没頭できるものがあるって生きている喜びなのかもしれませんね。