4 薬師如来

薬師如来 (やくしにょらい、梵: Bhaiṣajya-guru , バイシャジヤ・グル)

あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい、梵: Bhaiṣajya-guru-vaidūrya-prabha-rāja , バイシャジヤ・グル・ヴァイドゥーリヤ・プラバ・ラージャ[1])は、大乗仏教における如来の一尊。大医王仏とも称する。
三昧耶形は薬壺または丸薬の入った鉢。種子(種子字)は尊名のイニシャルのバイ(bhai)。
薬師如来が説かれている代表的な経典は、永徽元年(650年)の玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)と、景竜元年(707年)の義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)であるが、そのほかに建武~永昌年間(317~322年)の帛尸梨密多羅訳、大明元年(457年)の慧簡訳、大業11年(615年)の達磨笈多訳が知られている。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。

瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。

無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。

密教との関係

密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等がある。
薬師経に説かれていることから、真言宗(東密)では顕教系の如来とされ、本来あまり重視されない。

ただし、「覚禅抄(東密)」において胎蔵大日如来と同体と説かれている。

雑密系の別尊曼荼羅では中尊となる事も多いが、純密の両界曼荼羅にはみられない。
一方で伝統的に皇室と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の帝たる天皇と結び付けられもした。

「阿裟縛抄(台密)」で釈迦如来・大日如来と一体とされているが、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。

東方の如来という事から五智如来の阿閦如来とも同一視される。
チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されており、しばしばチベット僧により日本でも灌頂(かんちょう)が執り行われる。
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。

ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。

単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。

また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。

薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師如来の縁日は毎月8日である。

これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。
国分寺のほとんどは現在は薬師如来を本尊としている。

十二誓願
光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く。)
随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる。)
施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す。)
安心大乗(世の外道を正し、衆生を仏道へと導く。)
具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。)
諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす。)
除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。)
転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける[3]。)
安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。)
苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。)
飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。)
美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す。)

七仏薬師
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。

天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。
善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい )
金色宝光妙行成就王如来 (こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい )
無憂最勝吉祥王如来 (むうさいしょうきちじょうおうにょらい )
法海雲雷音如来 (ほうかいうんらいおんにょらい )
法海勝慧遊戯神通如来 (ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい )
薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい )

現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。

極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。

奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。

また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺、神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。

東照権現信仰
江戸時代に初代将軍徳川家康が神格化されて神君と呼ばれるようになった。

当時徳川将軍家のブレーンであった天海大僧正などの働きもあり、朝廷より徳川家康に「東照大権現」の神号が下され、天台宗系の山王一実神道によって日光東照宮に祭祀された。

この東照権現信仰では薬師如来を本地とした。
また、徳川家康は生母於大の方が鳳来寺(愛知県新城市)の本尊の薬師如来に祈願して誕生したと言われ、家康は薬師如来が人間界に現れたものとも言われる。
薬師如来の真言

小咒
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ(oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā)[4] [5]

中咒(台密)
オン ビセイゼイ ビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ(oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajyasamudgate svāhā)[6]

大咒
ノウモ バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ バイセイジャサンボリギャテイ ソワカ(namo bhagavate bhaiṣajyaguru vaiḍūryaprabharājāya tathāgatāya arhate samyaksambuddhāya tadyathā oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye mahābhaiṣajya-samudgate svāhā)

出典元 Wikipedia

 

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香佛舎にアップする今回の香合佛は四角い檜(ひのき)の木にお薬師さんがレリーフで刻まれています。

その蓋は平たい状態から丸みをつけています。

今回お薬師さんを彫刻しようと思った理由ですが、私は曼荼羅を木彫で制作していますが、お薬師さんが一体もありません。

日本でもなじみのある薬師如来ですが、500体近い仏様が表現されている曼荼羅の中には一体もないというのも不思議な気持ちがします。

曼荼羅でご紹介できないということもあり、今回はお薬師さんを彫らせてもらいました。

日本に古く平安や鎌倉時代より現存するお薬師さんの中には持物である薬壺がなくなっている場合が多くあります。

それは、仕方がないといえば仕方がないのかもしれません、外れやすい持物が1000年近く左の手にずっと残っているというのは奇跡に近いと思います。

他の仏像でも言えますが、観音菩薩なら持物である蓮がなくなっていたり、不動明王の左手で持つ羂索が別のものになっていたりします。

しかし薬師如来の場合薬壺が紛失すると釈迦如来坐像と間違うことがあります。

お釈迦さんの姿もいくつか種類がありますが、その中に施無畏与願印というお姿が、薬壺を持っていないお薬師さんと同じになります。

補足ですが、人差し指を親指にくっつけて指で丸を作ると今度は阿弥陀如来坐像になります。

今回のお薬師さんの彫刻の参考にさせていただいた仏像は興福寺像(平安初期)、法隆寺像(平安時代)を主に参考にさせていただきました。

他にもいくつかありますが、大きなところではこの二体です。

法隆寺の薬師如来坐像は平安時代とかなり古いのですが、どうしてもさらに古い飛鳥時代の釈迦三尊像の陰に隠れてしまい、あまり大きく取り上げられることがありません。

法隆寺の薬師如来の台座は個人的にとても美しいと感じてみています。

派手な彫刻ではなくまた地味でもないのですが、全体の姿がまとまっていてちょうど良い塩梅でおさまっています。

それは台座の中に上から蓮台、華盤、返花、框など、それぞれのパーツの長さ、幅、厚み、遠くから見ても、どこのパーツも主張しすぎていないバランスの整った素晴らしい台座です。

法隆寺に参拝に行かれる際には是非、台座まで拝観してみてください。

また本体の説明は後日させてもらいます。

合掌

 

 

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薬師三尊像

 

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