5 馬頭観音

馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん)

梵名ハヤグリーヴァ (हयग्रीव [hayagriiva])は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。

観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。

柔和相と憤怒相の二つの相をもち、日本では柔和相の姿はあまり知られておらず作例も少ない。

そのため、観音としては珍しい忿怒の姿をとるとも言われ、通例として憤怒相の姿に対しても観音と呼ぶことが多いが、密教では、憤怒相の姿を区別して馬頭明王とも呼び、『大妙金剛経』(大正蔵:№965)に説かれる「八大明王」の一尊にも数える。
梵名のハヤグリーヴァ(音写:何耶掲梨婆、賀野紇哩縛)は「馬の首」の意である。

これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあり、馬頭観音の成立におけるその影響が指摘されている。

他にも「馬頭観音菩薩」、「馬頭観世音菩薩」、「馬頭明王」、「大持力明王」に加え、チベット密教のニンマ派では『八大へールカ法』の「パドマ・スン」(蓮華ヘールカ)、一般には「タムディン」(rta mgrin)、「ぺマ・ワンチェン」。

中国密教では「馬頭金剛」、「大持力金剛」など様々な呼称がある。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。
転輪聖王の宝馬が四方に馳駆して、これを威伏するが如く、生死の大海を跋渉して四魔を催伏する大威勢力・大精進力を表す観音であり、無明の重き障りをまさに大食の馬の如く食らい尽くすというところから、「師子無畏観音」ともいう。
他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、一般に馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒(ふんぬ)相である。

このため、密教では「馬頭明王」と呼ばれて仏の五部で蓮華部の教令輪身(きょうりょうりんじん)であり、すべての観音の憤怒身ともされる。

それゆえ柔和相の観音の菩薩部ではなく、憤怒相の守護尊として明王(みょうおう)部に分類されることもある。

また「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。

さらには、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされていて、『六字経』(大正蔵:№1186)を典拠とし、呪詛を鎮めて六道輪廻の衆生を救済するとも言われる「六観音」においては、畜生道を化益する観音とされる。
この観音の柔和相は「赤観音」と呼ばれ、チベット密教や中国密教では、「ブンガ・ディオ観音」、「ブンガ・マティ観音」や、「大悲生海赤観音」、「大悲生海観音」、「紅観音」とも呼ばれる。

日本では『理趣経』(大正蔵:№243)の第四段と、『理趣釈経』(大正蔵:№1003)に説かれる観音の成仏相である「得自性清浄法性如来」がこれに相当し、「赤観音」は、その母尊として「蓮華部母」や「蓮華空行母」を伴う。

チベット密教では一面四臂の赤い姿でヤブユムであり、ネパール密教では一面二臂の単尊が一般的で、中国密教ではその両方が有名である。

ネパールでは「赤観音」は建国にかかわる重要な尊格であり、カトマンドゥ盆地でもっとも有名なお祭りの一つに『バタンの山車祭り』というのがあり、「ラト・マチェンドラ・ナート」と呼ばれて、マチェンドラ・ナート寺院に祀られた「赤観音」が、4月に始まり6月までの約2ヶ月間掛けてカトマンドゥ盆地を隅々まで練り歩き、仏教徒のみならず、ヒンドゥー教徒にも人気のお祭りとなっている。
「赤観音」が馬頭観音であることは、中国密教や唐密において「赤観音」を別名「蓮華王菩薩」と呼び、チベット密教では馬頭明王を「ぺマ・ワンチェン」(蓮華王)と呼ぶことからもわかる。また、その証左ともなる「赤観音」の仏像が既に日本に渡来しており、五智の宝冠を被った観音像で、一面二臂の柔和相で馬頭はなく、正面で馬頭観音の「説法印」[18]を結んでいて、背中に明代の刻印が見られる。
日本では、馬頭観音の柔和相は『覚禅鈔』に初出して、四面二臂の異相の馬頭観音であり、この姿は『陀羅尼集経』に説くところと一致している。

いわゆる柔和相の馬頭観音として有名なものには福井県・中山寺の「馬頭観音像」(三面八臂)や、滋賀県・横山神社の「馬頭観音立像」(三面八臂)があり、憤怒相と柔和相の両面を持つものとしては栃木県日光市・輪王寺の「馬頭観音像」(三面八臂)も知られている。

「赤観音」の名称は日本でも使用されていて、神奈川県岩流瀬(がらせ)の「赤観音」の石仏は、一面二臂の柔和相の馬頭観音であり、また、福島県古殿町松川の石仏は、三面八臂の憤怒相でありながら「赤観音」の名で知られている。

異相として、千葉県多古町・蓮華堂の「馬頭観音像」は、化仏としての阿弥陀仏を頭上に戴き、馬頭はなく、一面八臂の柔和相で白馬に乗った「赤観音」である。
馬頭観音の石仏については、馬頭の名称から身近な生活の中の「馬」に結び付けられ、近世以降、民間の信仰に支えられて数多くのものが残されている。また、それらは「山の神」や「駒形神社」、「金精様」とも結びついて、日本独自の馬頭観音への信仰や造形を生み出した。

像容は前述のような忿怒相がよく知られていて、体色は赤、頭上に白い色の馬の頭である「白馬頭」や、緑色の馬の頭である「碧馬頭」(あおばとう)を戴き、三面三目八臂とする像が多い。

経典によっては馬頭人身の像容等も説かれ、胎蔵界曼荼羅にも描かれるが、日本での仏像の造形例はほとんどない。

チベット密教では一面二臂で赤い姿の憤怒相が一般的で、密教では他に一面四臂、三面二臂、三面六臂、三面八臂、四面二臂、四面八臂の像容も存在する。

立像が多いが、坐像も散見される。

頭上に馬頭を戴き、胸前では馬の口を模した「根本馬口印」という印相を示す。剣や斧、棒などを持ち、また、蓮華のつぼみを持つ例もある。剣は八本の腕のある像に多い。
柔和相である赤観音は、チベット密教では一面二臂か一面四臂が普通であるが、中国密教では多面多臂の赤観音がある。

台湾の国立故宮博物院に所蔵されている宋代の大理国で張勝温により描かれた『梵像圖』の「六臂観音」と、その『梵像圖』を基に、清代に国師・章嘉呼圖克圖の監修のもと、丁観鵬によって描かれた『法界源流圖』にある「六臂観音」は三面六臂で、中央の顔が柔和相で左右の二面が憤怒相となっており、化仏は阿弥陀仏を戴いているが、ちょうど日本の輪王寺の三面八臂像と反対の構成となっており、赤観音が馬頭観音の柔和相であることがよく分かる例となっている。
石川県・豊財院の木造立像や、福井県・馬居寺(まごじ)の木造坐像は平安時代の後半にまで遡る作例である。

また、福岡・観世音寺の木造立像は高さ5メートルに及ぶ大作で、日本の馬頭観音像の代表例と言える。

京都・浄瑠璃寺の木造立像は、鎌倉時代の南都仏師らの手になる作例である。
馬頭観音の功徳
経典・儀軌
『聖賀野紇哩縛大威怒王立成大神験供養念誦儀』(大正蔵:№1072A)[27]
『聖閻曼徳威王立成大神験念誦法』(異名同経、大正蔵:№1072A)[28]
『馬頭念誦儀軌』(異名同経、大正蔵:№1072A)
『馬頭観音心陀羅尼』(大正蔵:№1072B)
『何耶掲唎婆像法』(大正蔵:№1073)[29]
『何耶掲唎婆観世音菩薩受法壇』(大正蔵:№1074)[30]
『陀羅尼集経』(大正蔵:№901)
『摂無礙大悲心陀羅尼経』(大正蔵:№1067)
『不空羂索神変真言経』(大正蔵:№1092)
『大方広曼殊室利経』(大正蔵:№1101)
『八字文殊軌』(大正蔵:№1184)
真言・三昧耶形・種子・手印
【真言】
おん あみりと どはんば うんはった そわか
【三昧耶形】
「白馬頭」。
「碧馬頭」。
三角形の中の「棍棒」。
【種子】
種子はカン(haM)字。
【手印】
「根本馬口印」

馬頭観音の石象と石碑

近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。

これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていった。特に、このような例は中馬街道などで見られる。

なお、「馬頭観世音」の文字だけ彫られた石碑は、多くが愛馬への供養として祀られたものである。また、千葉県地方では馬に跨った馬頭観音像が多く見られる。
現代の日本においては競馬場の近くに祀られていて、レース中や厩舎で亡くなった馬などの供養に用いられている場合もある。また、赤字等で廃止された地方競馬の競馬場では、旧敷地の片隅にあった馬頭観音が撤去されずに残され、かつての競馬場の存在を現在に伝える数少ない痕跡となっていることもある。

参照Wikipedia

 

 

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