康慶から運慶

造佛工の系譜

 

寺町通の仏師の痕跡 (康慶の立札)

 

寺町通はわたしにとっては大変面白い通りだと思っています。 豊臣秀吉による京都改造によって天正18年、通りの東側に寺院が集められたことからこの通り名になったようです。

四条通から松原通りまでのわずか300メートルぐらいの間ですが、京都を代表とする電気屋街で大型のエディオンショップや中古パソコン、電子回路などのお店が点在します。

ブログ制作では大変お世話になりました。

その電気屋さんの間に骨董屋、仏具屋、古本屋、リペアショップ、など私の興味を引くものがたくさん並んでいます。

写真の立札は四条寺町通りを南に下がって、綾小路通りを少し過ぎたところにある聖光寺にあります。

 

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そして、この立札に書かれている内容の中に康慶が登場します。

康慶と聞いて知っている方は少ないと思いますが、鎌倉時代を代表する仏師運慶の父親です。

今から800年程前、この場所に仏師康慶が住み、その後園に聖光房弁長(鎮西上人)の草庵がありました。

康慶と弁長の間には交流があったようですが、弁長の帰郷に際し康慶がその別れを悲しんで、聖光庵と名付けたという所以が記されています。

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造り手に属する仏師がこのように表に出てくることは少ないので、大変貴重な立札です。

柄にもなく、スーパースターを追っかけしている気持ちになってきそうです。

以下、立札の内容です

 

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聖光寺 (しょうこうじ) 錦綾山と号し、浄土宗鎮西派に属する寺である。

寺伝によれば、当地には平安時代後期、仏師康慶(こうけい)の居宅があり、その後園に浄土宗第二祖聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)(鎮西上人)の草庵があったといわれている。

弁長は、ここから8年間、法然上人の許に通い、浄土宗の法灯を受け継いだと伝えられている。

当寺は元久元年(1204)弁長の帰郷に際し、康慶がその別離を悲しみ、弁長自身の真影をこの草庵に奉安し、聖光庵と名付けたことに始まるといわれている。

本堂には、鎌倉時代の作と伝えられる嵯峨式釈迦如来立像を安置し、寺宝としては清海曼荼羅(せいかいまんだら)、当麻曼荼羅(たいままんだら)の二幅を蔵している。

また、境内には大石良雄の母と、綿屋善右衛門好時(わたやぜんえもんよしとき)(天野屋利兵衛:(あまのやりへい))の墓がある。

 

合掌

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