胎蔵界 113 如来捨菩薩尊像

DSC01196

如来捨菩薩・にょらいしゃぼさつ(梵名:タターガタトーペークシャ)

身色 肌色

左手 白珠を持つ

右手 股におく

台座 蓮葉に坐す

この尊は、四無量心の捨無量心を表します。

これは恨みの念を捨て、苦楽喜憂を離れる心です。

また、貪・瞋・痴の三毒の煩悩を捨てることでもあるようです。

『秘蔵記』によれば、捨無量観を修することにより、前五感を転じて成所作智を得て、あらゆる衆生を観想し一切の執着を離れさせる。すなわち衆生はすべて平等という立場から、彼らを虚空庫菩薩と等しい境地に導かんとする。

虚空庫菩薩とは、虚空が平等であるように、平等心という功徳を自在に衆生に施す菩薩といいます。

合掌

 

DSC01197

胎蔵界 204 一髻羅刹尊像

DSC01200

一髻羅刹・いちけいらせつ(梵名:Ekafataraksasa エーカジャターラークシヤサ)

身色 青黒色

髪  赤色

表情 忿怒形で轆轤の冠を戴き、眼は三つある。

手  四臂(四本の腕)

右の第一手に剣

右の第二手に鉞斧鉤

左の第一手に羂索

左の第二手に三鈷杵

尊名は「怒髪を一つに結髪する羅刹」という意味で、羅刹は、インドの神話では人を食べてしまうとまで恐れられた悪鬼、後に仏教の守護神になります。

『一髻尊陀羅尼経』には、観自在菩薩が無能勝三昧の境地にあるとき、頂よりでてきた化身とされます。

そして、観自在菩薩の働きを具現するために、諸々の悪魔・悪鬼・災厄を撃ち破る。

また、羅刹は人を食べると信じられていましたが、ここでは人の苦悩の原因の煩悩を撃ち破るためで、羂索は余すところなく衆生を救いとるための道具です。

合掌

 

 

 

DSC01201

 

 

胎蔵界 198 曼荼羅菩薩尊像

DSC01199

曼荼羅菩薩・まんだらぼさつ (梵名:Mahacakra マハーチャクラ)

身色 黒緑色

姿  忿怒形

眼  三つの眼

右手 第一 三鈷杵を持つ

第二 左手と組んで頭の頂上に置く

第三 剣を持つ

左手 第一 独鈷杵を持つ

第二 右手と組んで頭の頂上に置く

第三 輪を持つ。

転法輪菩薩すなわち纔発心転法輪菩薩(ざいほっしんてんぽうりん)のことで、弥勒菩薩の教令輪身です。

真言は小金剛輪の真言と呼ばれ、行者が曼荼羅観想の後、この真言を唱え、曼荼羅の諸尊がすべて出現するように祈願するもので、ここでいう輪(cakra)とは曼荼羅のことのようです。

合掌

 

DSC01198

 

 

胎蔵界 151 不思議慧童女尊像

taizoukai-151-1

不思議慧童女・ふしぎえどうにょ(梵名:Acintyamati アチントヤマティ)

身色 肌色

手  両手で杖を持ち杖の上には半月があり、その上に星形がある。

姿  ひざまずいて蓮華に坐す。

『諸尊便覧』や『諸説不同記』には、サンスクリット名をキンカリニー(Kimkarini)とあります。

キンカリニーとは召使の女の意味で、不思議慧童女の尊名というより、この尊の左右に配された奉教者を指すとおもわれます。

不思議慧童女の尊名は文殊八大童女の一尊ですが、その由来は不明です。

不思議慧童女を中心とした5尊は、トムロの5尊と対象に配されており、真言も同じものを用いています。

合掌

 

 

 

taizoukai-151-2

 

 

 

胎蔵界 140 妙音菩薩尊像

taizoukai-140-1

妙音菩薩・みょうおんぼさつ(梵名:Manjughosa マンジュゴーシャ)

身色 黄色

左手 お経の入った箱を持つ

右手 青蓮華を持つ

姿  童子

髪  髪を三髻にする

台座 赤い蓮華に坐す

妙徳とも呼び『大日経疏』に「この尊は、大慈悲の心から妙なる法音をもって、衆生に説法し導く」とあるように、妙音菩薩は文殊菩薩の説法の徳を表します。

『秘蔵記』や『石山七集』などでは、この尊を五字文殊あるいは五髻文殊(ごけいもんじゅ)などとも称します。

五髻文殊の名は、この院の文殊菩薩が髪を五髻にしていることによります。

五字文殊も五髻文殊も、本来はこの院の主尊の文殊菩薩を指すものと思われます。

ここでいう妙音菩薩は、文殊菩薩の五智の一智を司る尊です。

合掌

 

taizoukai-140-2

 

 

 

胎蔵界 103 如来愍菩薩尊像

taizoukai-103-1

如来愍菩薩尊像・にょらいみんぼさつ(梵名:Tathagatamredita タターガタームレーディター)

身色 肌色

左手 宝珠を載せる

右手 花を盛った荷葉を持ち股の上に安ず。

尊名のアームレーディターは、繰り返されたという意味のようで、倦むことなく愍みを起こすことで、慈悲深い、憐れみ深いという意味になります。

種字のmreは『諸尊便覧』ではmaiとなります。

三形の宝珠は『諸説不同記』によります。

この尊は、如来慈・如来悲・如来喜・如来捨の四無量尊との五尊で一組となり、すなわち『大日経』では五浄居天を描く事になっています。

しかし現図曼荼羅には五浄居天はいない、そこでこの五尊が五居天にあたるとされていますが、直接のつながる点は見いだせていません。

合掌

 

taizoukai-103-2

胎蔵界 99 大転輪仏頂 

taizoukai-99-1

大転輪仏頂・だいてんりんぶっちょう(梵名:Mahosnisacakravartin マホーシュニーシャチヤクヴァルティン)

身色 黄色

右手 独鈷杵を載せた蓮華を持つ

左手 掌を立て、中指、薬指、小指を屈す。

台座 赤い蓮華に坐る

広大発生仏頂とも呼ばれています。

高仏頂・無量音声仏頂とともに三仏頂に数えられます。

この三仏頂は順次、仏部・金剛部・蓮華部の三部の徳を表したものをいいます。

大転輪の輪は、輪宝です。

本来は転輪聖王の持ち物で、戦争のときに軍隊の前にこれを揚げ、敵を破る象徴としました。

仏教ではこれを転じて、煩悩を破す武器として用いました。

それでこの尊像は、如来が煩悩を摧破する力を尊徳とします。

三形の独鈷杵は『諸説不同記』では五鈷杵となっていますが、こちらは『諸尊便覧』によります。

合掌

 

taizoukai-99-2

 

 

胎蔵界 97 一切如来宝尊像

taizoukai-97-1

一切如来宝・いっさいにょらいほう(梵名:Sarvatathagatamani サルバタターガタマニ)

身色 黄色

左手 宝珠を載せた蓮華を持つ。

右手 右掌を立てて、中、薬指、小指の三本の指を屈す。

台座 赤い蓮台に坐る

この尊像は『大日経』では遍知眼・能寂母といい、『大日経疏』では仏眼・仏母ともしょうされているようです。

『大日経疏』に「世尊び北辺に仏限を安置せよ。この尊は世尊の母であるので能寂母ともよびます。

衆生を救うため、如来はさまざまな姿に身を変え、慈眼をもって衆生を観察し導く」とあります。

それゆえ如来宝菩薩は、すべての衆生の願いに応じてさまざまな宝を生み出します。

この仏母の働きによって、この尊像は宝珠三昧ともいわれています。

三形の如意宝珠は、このような徳を示したものです。

合掌

 

 

 

taizoukai-97-2

 

胎蔵界 148 質怛羅童女

taizoukai-148-1

質怛羅童女

質怛羅童女・しったらどうにょ (梵名:Citra チトラー)

身色 黄色
右手 風天幢をとる
左手 青蓮華を持つ
台座 赤い蓮華に坐る

『大日経疎』に「質多羅は雑色の義なり」とあります。
サンスクリット語では、種々の、明白なる、などのほかに、鮮やかに彩られたもの、という意味もあるようです。
この尊像は文殊菩薩の身体にれた徳を表しています。
種字のmiliは、『大日経』によれば、miは我を表し、liは相を離れるがゆえに無我となると説きます。
三形は『諸説不同記』には杖とあります。

合掌

taizoukai-148-2

胎蔵界 202 不空供養宝菩薩尊像

taizoukai-202-1

不空供養宝菩薩・ふくうくようほう(梵名:Amoghapujamani アモーガプージャーマニ)

身色 肌色

手  四臂(四本の腕)右の第一の手に剣、
第二の手に三鈷杵
左の第一の手に宝珠を載せた開いた蓮華を持つ
第二の手に羂索をもつ

台座 赤い蓮華に坐す

サンスクリットの尊名は「空しからざる供養の宝珠を具えるもの」という意味で、不空供養珠とも訳されているようです。
それゆえに、左の第一手に持つ花びらの開いた蓮華の上には宝珠を載せていることになっているようです。
尊名に見られる供養とは、塗香・華鬘・焼香・飲食などを諸仏諸菩薩に供養することです。
その空しからざる供養によって、衆生の苦を除き安楽をもたらす功徳が、如意宝珠のように思いのままであるのがこの尊像の特質
であるようです。
右手に持つ二種類の武器は煩悩を破り、左手の羂索は衆生の救済、そして開蓮華の上の宝珠は慈悲の働きと
その功徳が思いのままであることを表しています。

合掌

taizoukai-202-2