高山彦九郎像

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石碑の書き下ろし

高山彦九郎・皇居望拝之像

江戸時代、ここ三条大橋は東海道五十三次起終点にあたり往時の都の出入口であった。

今ここにある銅像は、高山彦九郎正之(1747年〜1793年)の姿を写したものである。

高山彦九郎は、群馬県の出身である、十八歳の時以来、前後5回上京したが、京都に出入りする折には、この銅像の姿のように、京都御所に向って拝礼した。

その姿は

大御門その方向きて橋の上に頂根突きけむ真心たると

橘曙覧

と和歌に詠まれた。

明治維新を成就した勤皇の志士達は、彦九郎を心の鑑と仰いだといわれる。

後、明治の中頃サノサ節には、

人は武士

気概は高山彦九郎

京の三条橋の上遥かに皇居を伏し拝み落つる涙は鴨の水アサノサ

と謡いつがれた。

 

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スカルプチャー(肖像彫刻)さらに豊富な写真で掲載しています。

晩秋の嵯峨と落柿舎とおかもと勇楽さんの柿

YouTube動画です。

(YouTubeからでも「造佛記」もしくは「落柿舎 柿」「おかもと勇楽」で検索するとでてきます。)

京都観光は京都にに住んでいるとなかなか思うように足が運ばない様で、以前より落柿舎へ行ってみたいと思っていたのですが、ようやく重い腰を上げて今回行ってきました。

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四条大宮から嵐山駅までの間を走っている嵐電を使って嵐山まで行きました。

駅に降りると想像以上の大勢の観光客でした。

 

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途中、バイオリンとピアノを奏でる二人組に遭遇しました。

バイオリンを生で聴く機会がほとんどない私は、しばらく立ち止まって二人が奏でる演奏を楽しんでいました。

Everlyというグループ名で兄弟で活躍されているようです。

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しばらく赤と黄色の景色を楽しんでいたので青一色の竹林の景色はとても幻想的な雰囲気でした。

 

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竹林を抜けて落柿舎へ向かいます。

 

 

 

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落柿舎の看板の内容です。

落柿舎

ここは、蕉門十哲の一人として名高い向井去来(慶安四年(1651)〜宝永元年(1704)の閑居の跡として知られている。
当時、庭に会った四十六本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくし、かねて買約中の商人を気の毒に思って価を返してやった。
これが落柿舎の名の由来である。
芭蕉も晩年、三度当庵を訪れ、名作『嵯峨日記』を著した。

庭には去来よんだ

柿主(かきぬし)や梢(こずえ)はちかきあらし山

の句碑がある。
去来は長崎の生まれ、芭蕉に指事して俳諧を学び、その芭蕉をして「落葉に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」といわしめた。
かつて武人であった去来は極めて篤実真摯な人柄で、芭蕉に仕えるさまは、ちょうど親に対するようであった。
その句は

鴨なくや弓矢を捨てて十余年

はよく知られている。

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落柿舎でしばらく落ち着いていていました。

そこは美しく清楚な寂びを感じられます。

外に出ると大勢の観光客に囲まれますが、この中だけは、人ごみを気にする事なくゆっくりとした時間が流れています。

私は俳句を作るような文化的な側面を持ち合わせていないので、さらっとこの時の心情を俳句で表せたらとても素敵だろうなあと思っていました。

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落柿舎には一見、本物の柿かなと思うような、柿の置物が見られます。

 

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何気ない物ですが、建物の土壁や昔使われていた物かなと思われるような、ちょっとした物がとても美しく感じます。

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落柿舎の近所に嵯峨土面 ・土鈴(おかもと勇楽)というお店あります。

先ほど落柿舎で見つけた柿の置物をこちらで制作販売されているそうで、早速拝見させてもらいました。

柿の置物を手で持つとカランコロンと音がしました。

置物だと思っていた柿は鈴でした。

 

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こちらが主人の岡本さんが丁寧に制作されている工房です。

 

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鈴の柿の他にもかわいらしい置物が販売されています。

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落柿舎

入園料 200円

入園時間 9時〜17時(1月、2月は10時〜16時)

休日  12/31、1/1

お問い合わせ TEL:075-881-1953

 

小さな鈴の柿のお店

嵯峨土面 ・土鈴(おかもと勇楽)

営業時間 9時〜17時

電話番号 075−882−1135

25日の北野天満宮の天神さん

 

 

 

 

 

 

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天神さんとして親しまれている京都北野天満宮の骨董

市が毎月25日に開催されています。

ちょうど日曜日と重なり、天満宮の近くに住んでいる

指物師さんと一緒に6年ぶりに天神さんに行ってまいり

ました。

自転車では入れないので家の前に置かせてもらい二人

で天満宮まで歩いて見に行ったのですが、さすがに人

が多く数年前まで骨董にどうしようもないぐらい,骨董

にはまっていた頃が懐かしく、ネット用語でリアルと

いうのでしょうか、外の世界に飛び出して心躍る時を

過ごしてまいりました。

最近はバーチャルの世界でこそこそとしていましたが、
やはりリアルはいいですね。
なんといっても0と1で構成されていない、外での自然

や人とのふれ合いは必要なことではないだろうかと改め
て感じて過ごしてまいりました。

それでも人と人の間をすり抜けて入って行くのは少し億
劫ですが。

しかしここ最近は家にこもりすぎていたのを改めて実感
させられました。

私と骨董との出会いは、知り合いの古伊万里の金継を頼
まれて修繕したのが、始まりですが、それが今から12年
ほど前になります。

修繕をしてから、骨董に目覚めました。
そんな私が最初に古伊万里のそば猪口から手に入れて
自分なりに修復して楽しんで家でもマイカップとして
使ってました。

しばらくすると日本だけでなくアジアや、ヨーロッパ
の器にも魅せられていきました。
これは私の独断と偏見で書いていますが、美しい絵を
じっくりと鑑賞して楽しみたいと思う人、また美しい
絵を手に入れたいと思う人 (人に自慢するために購
入したいのではなく、また応援するためでもなく、自
分の自己満足のためだけに手に入れたい人に限る)の
場合脳みその回転が変わってくると思います。

手に入れたいと思った瞬間、あらゆる角度から考察す
るようになります。

この高揚感を冷静に観察し、この衝動は本物だろうか
、または一時のものだろうか。

と自分の心と心の葛藤が繰り返されていき、度を過ぎ
るとわけがわからなくなります。

本当に古いものだろうか偽物か、仮に偽物であっても
筆遣いがとても見事だと思ってみたり、また考えれば
考えるほどわからなくなります。

そういう時は、少し時間を置いてみます。

すると、思っていた程好きなものではないなと、感じ
たり、またその逆もあります。

骨董の知り合いから聞いた話ですが、良いものは飽き
ることがない。

どんなに歳月が過ぎようが、いつみても素晴らしいも
のは素晴らしい。

その逆のパターンで最初はよかったと思っていたけど、
一週間ですぐに飽きちゃた、という事もあります。
しかし最初に手に入れたものが、一生ものとは限りま
せん。
必ず飽きます、そして目移りします。
それは良いものを手に入れたいという気持ちを持ち続
けていたら自然なことです。

同じ日本人としてこのようなことをいうと語弊がある
かもしれませんが、私は飽きるという事はとても大切
なことだと感じています。
ほとけさまから頂いた大切な飽きるという思い。

趣味に飽き、物に飽き、勉強に飽き、人間関係に飽き
とまあ、人間なんて自分勝手なものです。

飽きることのオンパレード、飽きたらやめたらいいん
です。
なぜやめられないのか、それは人の目が気になる、
いいじゃないですか、人からあいつは飽き性だと思わ
れても、もったいないからという理由だけで使い続け
ると、自分はいったい何が好きなのか何を作れば良い
のか分からなくなります。

以前の私がそうでした。

何を創造し作ってよいのか全く分からない状態でこの
自分のセンスのなさに嫌気がさしていました。
そんなとき自分の直感だけを頼りに、自分が本当に好
きだと思うものを、周りの人間に何と思われようがそ
れを押し通してみました。

ちょうどその頃、骨董と出会いました。
私の友人知人ほとんど骨董に興味がない人ばかりでし
たが、それでも使いそして飽きたら別のを使う、非常
に贅沢な使い方ですが、不思議なことに、今の私は自

分の好みが100パーセントに近いぐらいわかるようにな
りました。

おかげで今は全く物を買うことがなく、昔手に入れた
ものを大切に使い続けて行く理想的な生活を手に入れ
ました。

この飽きるという言葉、別の言葉に言い換えたほうが
良いのかもしれませんね。

たとえば、向上心とか。

合掌

 

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乱雑に配置されたものの中から光り輝くものはないか

以前の私は目を輝かせながら歩いていました。

 

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鑿や鉋などたまに掘り出し物があります。

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京都の天然砥石販売している露店

昔はよくお世話になりました。

御主人私のことを覚えてくれていたのでびっくりです。

写真小僧になったのかと思われそうなので遠くから撮影。

 

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南山城の古寺巡礼展 

現在、京都国立博物館で開催中の南山城の古寺巡礼展へ行ってきました。

今日は小雨が一日降り続くいていたにも関わらず、比較的たくさんの人が観に来てました。

ポスターの写真の像である重要文化財の十一面観音立像(禅定寺蔵)は286.3cmと大きくとても見ごたえがありました。

平安時代も末になると定朝さんの手により寄木造りの制法が普及し、体の厚みが少し薄くなり穏やかな和様といわれる日本の仏像が完成されます。

この十一面観音像は平安時代末10世紀末頃の彫刻だといわれておりますが、平安初期の胸板の厚いどっしりとした仏像の雰囲気を残した像です。

それは、ポスターからもうかがい知ることができましたが改めて実物を確認すると胸板の厚みも厚く堂々とした体躯で衣の衣文線(しわの線)の丁寧な彫りなど見ていて、ほれぼれとする出来栄えでした。

平安時代初期の彫刻の特徴の一つで全体の輪郭線だけを見た場合、肩のフォルムがいかり肩になっています。

平安初期の彫刻は肩の位置が少し高いのですが、この十一面観音の体はどっしりとしていますが肩はやや、なで肩になっています。

いわゆる定朝様といわれる形に近づいているように感じました。

画像で掲載することができないのはとても残念です。

今回の展覧会は平安時代頃の像が多く出品されていて、古い仏像が好きな方には、とても満足していただけるのではないかと思います。

最後に京都国立博物館の外観の写真を掲載しておきます。

ロダンの考える人が噴水の前にあります。

この像も、よく見てみると筋肉の肉付きや無駄な装飾を取り除いた表現方法など、改めてロダンの素晴らしさを再確認させてもらえます。

 

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