木彫りのポルシェ356 Speed Ster 2

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実はプリントアウトして貼付けたのは左側で右側は何も貼付けていません。

右側をはかりながら左側に寸法を写しとって彫りだしています。

 

 

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この段階でようやくサイドミラーを運転席側にだけ取り付ける事に決めました。

 

 

 

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本心ではオープンにしたかったのですが、ハンドル、メーター、シートなど複雑すぎるので今回は泣く泣く帆をかぶせます。

いつか誰かがこのブログを見て作ってくれたら御知らせ下さい。

このブログでご紹介してもよろしければご紹介させてください。

べつにオープンにこだわりません。好きなように作った木彫りの車でも見てほしいと思ったら掲載します。

そして私のつたない知識で作ったポルシェでは不満だということでもっと出来の良いのを作っていただいたら、ぜひ御声かけ下さい。

どんな理由でも掲載させていただけるのであれば、私は楽しい気持ちになります。

 

 

 

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後ろのエンジンルームの膨らみとライトの流れを意識しています。

 

 

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タイヤはまだ深追いしません。

まだ手を付けずに放置状態です。

というのは走っているときのタイヤの形状をあとで動画などで見てみようと思っています。

今はまだポディーに集中しています。

 

 

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木彫りのポルシェ356 Speed Ster 1

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子供の頃からスポーツカーを木彫したいと思っていました。

30年経過してようやく夢が実現します。

このブログは私が子供の頃を想像しこんなブログがあったら良いかなあという思いでいつの頃からかそんな風なブログになってきたように思います。

常に子供目線でだけど手は抜かない。

子供だからといって子供っぽいおもちゃのようなものが好きだとは限りません。

きっと内心もっと良いのがほしいと思っているのかもしれません。

大人が用意してくれたおもちゃを楽しんでいる振りをしていたら大人が喜んでくれるからそうしているのかもしれません。

物を見るというバランス感覚は、誰でも持っているように思っています。

それは洋服を選ぶときに自分がいかにかっこ良く見えるかというそんな単純な所からも分かるようにみんなカッコいいものが好きで、自分をかっこ良く見せようという原動力が美的感覚を磨き上げるのだと思います。

私がポルシェに魅力を感じたのもこのエレガントな曲線美です。

きっとこんな車に乗っていたら、自分がかっこ良く映るのではないだろうかという淡い期待をいだかせるようなそんな妖術的な魅力を感じています。

さてポルシェの中でも私がこの356Aスピードスターに魅力を感じるのは、二人乗りであるということと、オープンカーである、という単純な理由とあとは説明できない何ともいえない魅力です。

おそらく最も大切な要素だと思うのですが、これが説明できない。

説明できないのでとりあえず制作してみます。

 

 

 

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まず最初に、ネットの画像をさがしまくる作業です。

沢山の人がアップしていただいているおかげで沢山の資料を拝見させていただきました。

その中でプリントアウトした画像のように前横後ろの画像を発見しました。

これを同じのを2枚プリントアウトして、一枚は木にボンドを使ってはり合わせました。

 

 

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張り合わせた木を大まかに輪郭線を削りました。

 

 

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まずはこのポルシェの顔にあたる基準はどこかという事に着眼点を置きました。

やはりライトですね。

よく見てみると、ライトを基準にして、後ろにきれいに曲線が流れています。

そして流れは後ろにつながっています。

終始このライトの曲線の流れは崩さずに彫り進めようということにしました。

 

 

 

 

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上記の事を念頭に入れてまずは大まかに外側を荒く削りだしています。

 

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この車は左側に運転席があります。

この時代の車だからか分かりませんが、運転席側にだけサイドミラーが取り付けてありました。

これはYouTubeなどを使い、ほかの車で確認しましたが、やはり運転席だけ付いています。

右側には付いていないです。

わたしの想像でもうしわけないのですが、首をひねって確認するときにミラーがない状態だと右側を確認するのは容易なんだとおもいます。

しかし運転席側の左を確認するときは首をかなりひねらないと見にくいのではないだろうかと思いました。

片方にしかつけないこのシンプルさにも魅力を感じます。

が最初は迷っていたので両方につけるつもりで彫刻をしています。

 

 

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前輪は私の中で最初から左に曲がる事を意識して造ろうと思っていました。

それはなぜかといえば、動きが欲しかったからです。

そして置いたときに見る方向が上図の方向を前提にしているのでこちらに向かって走って来るようなイメージです。

 

 

 

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大雑把ですが、とりあえず第一弾はこのぐらいにしておきます。

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法隆寺金堂の毘沙門天像の彫刻 2

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今回は横と後ろの面を攻めていきたいと思います。

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後ろからみると光背はまだ正円ではありませんが、もう少し中心と高さが決まるまで彫り進めてから決めますのでまだこの段階では漠然と残しています。

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右側はよく見えないので想像です。

ただ肘と手の流れは大体決まっているので、流れを意識して甲冑や着衣を、左の面を参考にして彫りだしています。

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左右の天衣は見えないですが帯の腰の結び目から下に向かって翻っています。

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今回初めて知ったのですが、宝塔の持ち方が私が知っている持ち方が手先が前にきているのですが、法隆寺金堂の毘沙門天像は手先が後ろになってます。

手の甲が前にくるような状態です。

手が自然な形でみえるように、若干宝塔を前に傾けています。

 

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今回の法隆寺金堂の毘沙門天様を彫らせていただいて感じたのは、非常に妖術的な魅力を感じる像だなあと思いました。

彫刻が慣れてくると、人体の構造の流れをきちんとしなければいけないと思い、いわゆる肉体としてのバランスがとれた像を作るようになってきます。

すると見た目にもすっきりとバランスがとれるのですが、昔の仏像で人体としておかしな構造をもった仏像は鎌倉時代以前には特に沢山あります。

しかし、そういった御像が彫刻の造形として悪いのかというと、そうではなくて不思議な魅力を感じさせたり、エネルギーを感じたりと何ともいえない魅力が備わっている仏像が多いように思います。

それはただ単に仏像の人体の構造としてのバランスを単純に崩せばよいというだけの話ではなくて、

流れ作業で大量に造られた仏像のバランスが悪く見た目もあまり拝みたいように思えないのはただ単に一体の仏像に集中して制作している時間があまりにも短く適当だからだと思います。

人体構造がおかしくても、力強く感じるのは、もっと別な視点で制作されたからではないでしょうか。

もちろん大陸からの影響が色濃く残っているのもありますが、仏教という新しい教えに人々を帰依させるという強い信念のもと、一瞬で人の心をつかまえるための仏教の魅力を仏像を通して時の権力者が特に意識していたのではないだろうかと勝手な想像ですがそのようにも感じました。

 

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法隆寺金堂の毘沙門天像の彫刻

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今回の彫刻は法隆寺金堂の四天王像の中の毘沙門天像を彫刻します。

飛鳥時代の大陸の影響が色濃残る御像ですが今回の彫刻は完全な模刻ではなく、雰囲気を残しながらデフォルメをして彫刻してみたいと思います。

まず最初にお写真より20センチ程の高さに縮小してコピーをします。

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縮小してた写真を木に貼付けます。

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輪郭線を大まかに削ります。

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まずは顔の周辺を彫刻しますが、顔はまだまだ奥になりますので一気に削りながらそれに合わせて全体を彫り進めます。

 

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真横の写真が無いので想像で彫刻しますが、出っ張っているところは両手と邪気の肘と顔です。

その部分を残す事を意識して彫り進めます。

 

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まだ横をはっきりと決めていません、もう少し前の状態を徐々に決めながら横と後ろと攻めます。

 

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面相をだすと、全体の雰囲気が見えてきます。

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徐々に横と後ろを削ります。

 

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色んな事を適当に手広く遊んで徐々に狭めていこう

日本人のDNAの中には元々物作りでも研究でもなんでも、一つの事をとことん追求していくような人が多くいらっしゃるように思います。

もちろん自分の好きな一つの事に追求してそれが仕事に結びつき生活の糧になるというのはすばらしい事でもあります。

しかし、なかなか一つの事を決めるのも難しいと思います。

不本意ながら勉強しても身に付かないし、何かを決めても長続きがしない。

私は仏像彫刻をやり始めて今に至るまで、20年程になりますが色んな葛藤がありました。

この道を選んだ自分がこの道でしんどくなったり、辛いと思っている事に対する罪悪感が出てきたり。

あまりにもこの道のレベルが高すぎて自分には向いていないのではないだろうかと思ったり。

しんどくなった時に逃げ出したくなる衝動に駆られたり。

もっと他に自分に向いたものがあるのではないだろうかと思い悩んだり。

仏像の姿やフォルムが自分の思っているような形に仕上がらない自分のセンスのなさを嘆いたり。

など仏像をやりたいと決めてからも、色々と葛藤がありました。

今ではあまりそのような葛藤は起らなくなってきましたが、というのも考え方が変わったから何だと思います。

どんな道でもしんどくなる事もあるし、辛くなる事もあります。

専門職になればなるほどマスターするのが難しいから当然の事で、難しい事なんだから、しんどくなるのは当たり前です。

今すぐマスターしようなんて思わずに、今の自分の技量で出来る範囲で少しずつ出来る事を広げていこうと思えるようになりました。

レベルが高すぎて自分には向いていないのではないだろうか。

と思っても、1000年に一人の天才仏師と比較するから当然のこと、到達したい目標は高くても、今すぐなろうと無茶な事は思わないようになりました。

逃げ出したいと思っても、そう思ってしまう感情は一過性のものが多いので、逃げるのではなく、しばらく離れてみようと思うようになりました。

他に自分に向いたものがあるのではないだろうかと思っても、別のジャンルに手を伸ばして少しやってみて体験してみようと思うようになりました。

無駄な時間を他の事に使いたくないという気持ちが自分の心をますます焦らせる事にもつながったりします。

焦りは何も生み出しません、焦るぐらいなら一日で出来る事を3日かけてするようにして、常に心に余裕を持たせた方が結果として早い場合もあります。

仏像の姿やフォルムが美しく表現できないと嘆いても

技術や経験だけではマスターできない美的センスを身につける事も物を作りだす人には大切な要素だと思います。

それには、私生活のなかにこそ美しいものを取り入れて常に自分のために楽しむ余裕が必要だと思うようになりました。

一時の感情に振り回されずもっと気軽にもっと楽しくマスターするほうが有意義に今この瞬間を楽しめようにも思います。

楽しんでいる姿を見て、遊びほうけてがんばっていないと思う日本人がいるかもしれません。

苦しんでいる姿を見て、あいつは忍耐強くがんばっていると思う日本人がいるかもしれません。

服装が派手になったから、遊びほうけていると思う日本人がいるかもしれません。

必死で勉強している姿を見て、将来有望と思う日本人がいるかもしれません。

意外と私たちは人の目線を気にしすぎるあまりに自分の気持ちを犠牲にして本来ならば楽しめることを楽しもうとせずに人の目線を気にしながら小さくおさまっているのかもしれません。

 

もし人から信頼されず、あなたの事を誰もわかってもらえなかったらそれは良い方に考えてラッキーだと思うように考えて。

評価をされていないときには、それをうんと利用して、一人で大いに楽しみましょう。

延び延びと自分のやりたい事に没頭できる時間が増えます。

もし親や周りの人からとても立派な人間だと思われていたら。

自分が承認願望が満たされ、より自分を磨こうという気持ちにもなるかもしれません。

なんでも良い方に考えて、楽しく生きるのが一番です。

ポジティブに考えると楽観的な奴だと思われたり、軽い奴だと思われるかもしれませんが、そう思われたくないから何でもネガティブに考えるようになると、結局そういう人間になってしまいます。

たしかに人から承認されるという欲求は全ての人に備わっていると思います。

私も、承認欲求はあります。

人にほめられるとやはり嬉しいものです。

やる気もでたりします。

しかし、評価をあまりにも気にしすぎて一生をつまらないものにするのも、楽しくするのも自分次第だと思います。

実は私が昔悩んでいた事の全ては、人から見てどう思われるかという事に悩んでいたんだと思います。

 

人は何のために生きるのかという問いに、ある人が言っていたのですが、それは今この瞬間一生懸命に遊び、創造し楽しむために人は生きているだよ、そうすると毎日が充実し満足しているからいつ自分の命が尽きても、悔いは無い。

いつの頃からか私もそういう風に生きたいなと思うようになりました。

それにはまず、何でも気軽に始めてみて、気軽にやめられる事が大切だと思います。

そうやって取捨選択を繰り返し徐々に自分のやりたい事を明確にしていく事だと思います。

自分の心をもっと大切にしたいですね。

 

我にも負けず

我にも負けず 誰にも負けず

賛美も人の評価にも負けない丈夫な肝を持ち

欲は無く 決して怒らず いつも楽しく遊んでいる。

人が、あいつは変わり者だといえば、もしかしたら面白そうな奴じゃないかと思い。

人が、あいつは協調性がないといえば、内に秘めた素晴らしい才能があるのかもしれないと思う。

つまらない物はつまらないと言い、面白い事はとことん楽しむ。

褒められもせず、苦にもされず、そういう男に私はなりたい。

フウタロウ