香合佛の制作

香合佛の制作

香合という茶道や香道などで使うお香の入れ物が

あります。

私はお茶会などで使う香合の制作を年に一回、制

作させていただく機会があり、それをこのサイト

でもいくつかご紹介しています。

香合の内側に仏様を彫りだしたものがあります。

それが香合佛と言います。

私は香合佛専門のサイトを設けたいと考えており

ました。

香合佛の制作の一日の仕事時間は2時間ぐらいで

一個の香合佛を制作するのに余裕をもって一ヶ月

程で考えております。

おそらくこれ一本では食べていけないと思います

ので隙間時間で制作するサイドビジネスのような

ものです。

サイトに掲載するのに二種類の香合佛しかないと

いうのは寂しいので複数の香合佛を用意したいと

思います。

そのためには彫刻をしないといけないので、タイ

ピングと彫刻は同時にしていく予定でしたが、や

はり彫刻するときは

彫刻に専念した方が良いという事もあり、コンピ

ュータから離れていました。

コンピュータというのは電源を入れっぱなしにし

ていても集中できないみたいです。

テレビもネットもない環境のほうが彫刻には専念

できますね。

こんな事を書くとみなさまからどう思われるか心

配になりますが、私はテレビを全く見なくなりま

した。

そのかわり、仏師さんのブログを見て勉強したり

検索上位に表示させる為のテクニックを教えてい

るサイトや、エルメスなど高級ブランドのサイト

美しいウェブサイト、集客を目的としたサイト、

googleに好かれるサイトまた、手を動かしている

ときにはyoutubeなのど動画サイトで情報を得て

います。

ですので、とうてい仏師とは思えない日常生活

を送っております。

動画が良いと聞けば動画をアップする、あれが

良いこれが良いと聞けばすぐに試す、準備期間

なので何でも試します。

私は仏像を彫る人間なのだから心は常に不動心

をもっていなければいけない、という事も書け

たらかっこ良いだろうなあとは思いますが、あ

いにく私の心は常にあってないようなもの、つ

まり諸行無常ってちょっと違うかな。

しかし調べているうちに私の知り合い以外の新

規ユーザー様が来ていただくには、相当数のペ

ージ、そして例えば

 

何かを販売しているサイトなら商品を紹介した

いところですがそれでは読んでくれないので見

に来ていただいた方に、有益な情報を提供しな

ければいけないという事に途中気付きました。

ネットのみを利用した場合お金をかけない分、

相当の努力が必要なのですね。

 

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25日の北野天満宮の天神さん

 

 

 

 

 

 

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天神さんとして親しまれている京都北野天満宮の骨董

市が毎月25日に開催されています。

ちょうど日曜日と重なり、天満宮の近くに住んでいる

指物師さんと一緒に6年ぶりに天神さんに行ってまいり

ました。

自転車では入れないので家の前に置かせてもらい二人

で天満宮まで歩いて見に行ったのですが、さすがに人

が多く数年前まで骨董にどうしようもないぐらい,骨董

にはまっていた頃が懐かしく、ネット用語でリアルと

いうのでしょうか、外の世界に飛び出して心躍る時を

過ごしてまいりました。

最近はバーチャルの世界でこそこそとしていましたが、
やはりリアルはいいですね。
なんといっても0と1で構成されていない、外での自然

や人とのふれ合いは必要なことではないだろうかと改め
て感じて過ごしてまいりました。

それでも人と人の間をすり抜けて入って行くのは少し億
劫ですが。

しかしここ最近は家にこもりすぎていたのを改めて実感
させられました。

私と骨董との出会いは、知り合いの古伊万里の金継を頼
まれて修繕したのが、始まりですが、それが今から12年
ほど前になります。

修繕をしてから、骨董に目覚めました。
そんな私が最初に古伊万里のそば猪口から手に入れて
自分なりに修復して楽しんで家でもマイカップとして
使ってました。

しばらくすると日本だけでなくアジアや、ヨーロッパ
の器にも魅せられていきました。
これは私の独断と偏見で書いていますが、美しい絵を
じっくりと鑑賞して楽しみたいと思う人、また美しい
絵を手に入れたいと思う人 (人に自慢するために購
入したいのではなく、また応援するためでもなく、自
分の自己満足のためだけに手に入れたい人に限る)の
場合脳みその回転が変わってくると思います。

手に入れたいと思った瞬間、あらゆる角度から考察す
るようになります。

この高揚感を冷静に観察し、この衝動は本物だろうか
、または一時のものだろうか。

と自分の心と心の葛藤が繰り返されていき、度を過ぎ
るとわけがわからなくなります。

本当に古いものだろうか偽物か、仮に偽物であっても
筆遣いがとても見事だと思ってみたり、また考えれば
考えるほどわからなくなります。

そういう時は、少し時間を置いてみます。

すると、思っていた程好きなものではないなと、感じ
たり、またその逆もあります。

骨董の知り合いから聞いた話ですが、良いものは飽き
ることがない。

どんなに歳月が過ぎようが、いつみても素晴らしいも
のは素晴らしい。

その逆のパターンで最初はよかったと思っていたけど、
一週間ですぐに飽きちゃた、という事もあります。
しかし最初に手に入れたものが、一生ものとは限りま
せん。
必ず飽きます、そして目移りします。
それは良いものを手に入れたいという気持ちを持ち続
けていたら自然なことです。

同じ日本人としてこのようなことをいうと語弊がある
かもしれませんが、私は飽きるという事はとても大切
なことだと感じています。
ほとけさまから頂いた大切な飽きるという思い。

趣味に飽き、物に飽き、勉強に飽き、人間関係に飽き
とまあ、人間なんて自分勝手なものです。

飽きることのオンパレード、飽きたらやめたらいいん
です。
なぜやめられないのか、それは人の目が気になる、
いいじゃないですか、人からあいつは飽き性だと思わ
れても、もったいないからという理由だけで使い続け
ると、自分はいったい何が好きなのか何を作れば良い
のか分からなくなります。

以前の私がそうでした。

何を創造し作ってよいのか全く分からない状態でこの
自分のセンスのなさに嫌気がさしていました。
そんなとき自分の直感だけを頼りに、自分が本当に好
きだと思うものを、周りの人間に何と思われようがそ
れを押し通してみました。

ちょうどその頃、骨董と出会いました。
私の友人知人ほとんど骨董に興味がない人ばかりでし
たが、それでも使いそして飽きたら別のを使う、非常
に贅沢な使い方ですが、不思議なことに、今の私は自

分の好みが100パーセントに近いぐらいわかるようにな
りました。

おかげで今は全く物を買うことがなく、昔手に入れた
ものを大切に使い続けて行く理想的な生活を手に入れ
ました。

この飽きるという言葉、別の言葉に言い換えたほうが
良いのかもしれませんね。

たとえば、向上心とか。

合掌

 

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乱雑に配置されたものの中から光り輝くものはないか

以前の私は目を輝かせながら歩いていました。

 

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鑿や鉋などたまに掘り出し物があります。

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京都の天然砥石販売している露店

昔はよくお世話になりました。

御主人私のことを覚えてくれていたのでびっくりです。

写真小僧になったのかと思われそうなので遠くから撮影。

 

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金剛界 15 金剛笑菩薩尊像

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金剛笑菩薩尊像(インドの古い言葉:Vajrahasa ヴァジュラハーサ)

 

この菩薩さまは金剛笑菩薩(こんごうしょうぼさつ)です。

両手を耳の側に挙げて、金剛拳にして耳の背を押さえる勢にする。

宝生如来の四親近のうちの一尊で、宝生如来の南(図では左)に坐ります。

金剛幢菩薩尊像の布施波羅蜜の行願いが円満し、普く衆生を救済し、あらゆることが成就したことを大いに喜び微笑するのがこの尊像の働きです。

この尊像は衆生を救う一切如来の希有な出現に対する毘盧遮那如来の誓願でもあります。

そして、それは金剛薩埵の三摩地の喜びの境地でもあり、この喜びの笑いが一切の衆生に安楽と利益をもたらします。

合掌

 

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美しい天然砥石

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木彫、大工、宮大工などが使う鑿(のみ)や彫刻刀のような刃物には砥石は必需品です。

すでに私が生まれる前に特殊研磨機が登場し、また天然砥石の代わりに人造の砥石も登場した

りして、天然砥石の出番が少しずつ少なくなってはいるものの、それでも天然砥石には人々を

惹きつける何かがあります。

京都高雄周辺で採掘されている天然砥石はもともと放散虫という極微細な化石が海底でゆっくり

と体積して2億年ほどの歳月をかけて、今の砥石の形になりました。

極微細な放散虫ですが、拡大していくと重力の関係で下のほうが重く大きくなるので、必然的

に鋭いほうが上に向きます。

すると、その鋭く尖ったほうがすべて上を向いている状態の面ができます。

人造砥石のように人の手で作られた砥石は陶磁器のように焼しめて作られますので天然砥石の

ように粒子のとがった部分が上に向いていないという違いがあります。

しかしながら人造砥石も研究に研究が重ねられ天然砥石の欠点を補う形で、粒子の大きさを指

定したり、材質の均一化であったり人造も大変重宝されています。

天然砥石は長切れするといわれていますが、天然砥石で研ぐと放散虫の鋭利な部分の面でで研ぐ

ことになります。

鋭利な部分で研ぐという事は非常に細かいぎざぎざが刃先に残り、それがのこぎりのような役割

を果たしているとも言われています。

もちろん目視することができない超微細な世界の話です。

しかしながら私が天然砥石に魅せられたのは使っていて心地が良いからですが、それは道具とし

美しいという事があります。

どんな道具にも言えることだと思いますが、実用的で美しい道具は使いやすさだけでなく、作業

のモチベーションを上げてくれます。

モチベーションが上がると良いものを作りたいという気持ちになり、結果として良い循環がおこ

ります。

天然砥石の美しさに魅せられて手に入れるとき、その動機づけとして、研究結果などを持ちだし

て納得して手に入れるという、私みたいな人も中にはいるのではないでしょうか。

 

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上の写真は私の使っている砥石の一部です。

すべて京都高雄周辺で採掘された砥石で、左から鳴滝砥石、素板、からす、内曇り、

黄板、一番右の小さい砥石は上が、黄板、下が素板です。

 

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この砥石はよく使います。

このように形が不揃いの砥石というのは質が良くても比較的安く入手することが可能

です。

固定できるように台をつけて使っています。

小さな彫刻刀などを研ぐときには重宝します。

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拡大

 

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黄板

 

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素板

見た目からして堅く見えますが、意外と柔らかい砥石です。

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拡大

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からす

石自体が硬いので初めて砥石を使われる人には向いていないです。

しかし、研ぎあげるととても良い刃をつけてくれます。

 

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水を数滴たらし、彫刻刀を研いでいる最中です。

そうすると研ぎ汁が出てきます。

この研ぎ汁も水で流し捨てずに、そのまま研いでいきます。

汁も重要な役目を果たしています。

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金剛界51 賢護菩薩尊像

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賢護菩薩尊像(インドの古い言葉:Bhadrapalaバドラパーラ)

この菩薩さまは賢護菩薩(げんごぼさつ)です。

賢劫千仏の一つで、梵本によればその名を甘露光(Amrtaprabhaアムリタプラパ)とします。

甘露とは不死の妙薬のことで、この尊像は無量の寿命を与えるものといわれております。

無量光では光に、甘露光には甘露にその比重が置かれ、全く別の尊格となります。

合掌

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曼荼羅の制作プロセス

 

初期の頃に投稿した動画を少しずつ消しています。

その代りに新しく動画を挿入して私の動画ギャラリーを少しずつ一新しています。

この動画もその一つです。

動画をアップするのが慣れたとはいえ、一つの動画を編集するのに2時間はかかります。

これ以上の効率はむずかしいですが数をこなしていくと、あんなこともこんなこともやってみたいなと妄想する毎日です。

妄想を実際の動画に投影できていたら良いのですが、後から見返すと反省するところも多々あります。

 

それと改めてクラシック音楽が多いなと感じました。

それは私が好きなのは言うまでもありませんが、著作権の問題も大きいです。

一般に公開するという事が、いかに難しいか、著作権の壁はブログを始める前、考えることはありませんでした。

しかし、そんな困った状態でも、救いのほとけさまは現れるもので、使える楽曲を名曲サウンドライブラリーというサイトが提供していることをみつけました。

その中から楽曲を選ぶと間違いがなく使えるので最近はお世話になりっぱなしです。

みなさんもYouTubeのバックミュージックでお困りの際は候補の一つに上げてみてはいかがでしょうか。

クラシック名曲サウンドライブラリー

http://classical-sound.seesaa.net/

金剛界 71 火天

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火天(インドの古い言葉:Agni アグニ)

この尊像は火天(かてん)です。

右手は胸前で三角形のものを持っていますが、これは三角火炎といい炎です、その三角火炎を執り、左手は肩先で拳にし、人差し指を天に向けます。

外金剛部の二十天の一つで、西北に位置します。

お姿に違いがありますが、火天は老人であるとも青年であるともいわれております。

私が参考にしているのは老人のお姿のものですが、老人とは聖なる祭火として火檀に古代からまつられてきたからであるとされ、青年とは毎朝の火檀に灯されるので若々しいようです。

三角火炎は燃えあがる火炎でありますが、煩悩を焼き尽くす智慧を意味しているようです。

 

合掌

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香合の制作 13 完成 (動画有り)

香合が完成しました。

最後の漆が固まり、手で触っても固まっていることが確認できましたので最後に椿油と仕上げの砥の粉で磨き上げて完成です。

それから、中に板状のお香を入れて撮影してみました。

 

 

音源元 クラシック名曲サウンドライブラリー

http://classical-sound.seesaa.net/

 

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袱紗の上に置いてみました。

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香合の制作工程をブログや動画で紹介し、香合も6月のお茶会にも間に合い、ひと段落つきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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金剛界14 金剛幢菩薩尊像

金剛幢菩薩(インドの古い言葉Vajraketu ヴァジュラケート)

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この菩薩さまは金剛幢菩薩(こんごうどうぼさつ)です。

両手には如意幢を持ちます。

宝生如来の円内のグループで西側、彫刻では上側に佇んでいます。

宝生如来の施与の働きをあらわしています。

宝生如来が右手を与願の印にしていますが、その本誓をこの尊は如意幢幡で象徴しています。

この如意幢幡とは、芋頭に如意宝珠を載せて幢幡を吹き流したものであるようです。

また地蔵菩薩と同体とされていて、胎蔵界曼荼羅の地蔵菩薩もこの尊と同じ如意幢幡を左手に持っています。

供養会の真言ではサンスクリットでチンターマニドヴァジャといいますがこのドヴァジャが幢幡という意味であるようです。

しかしサンスクリットはヴァジュラケートのケートです。

ドバジャとは種々の色のついた布で飾った旗を指していてケートもほぼ同じ意味として使われているようですが更に目印を加えたものであるようです。

目印とは亀・龍・鳥・獣などを目印にしたようなものですがドバジャとケートは意味が似通っているので通用された名称であるようです。

合掌

 

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金剛界13 金剛光菩薩

金剛光菩薩 (インドの古い言葉 Vajrateja ヴァジュラテージャ)

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今回ご紹介する菩薩さまは金剛光菩薩(こんごうこうぼさつ)です。

左手は拳にして腿(もも)におきます。

右手には日輪を持ちます。。

宝生如来の円内のグループのうちの一尊で宝生如来の東側、彫刻では下の位置になります。

宝生如来が持つ宝珠の輝きを身体としますが、このことを手に持っている日輪で表現しています。

この輝きは闇に喩(たと)えられる衆生の無知を打ち砕き、衆生と仏のあらゆる世界を輝きで包み込みます。

山川草木すべてを金色にする働きがあるとされています。

また別のお経では自ら光を発すると、帝釈天や梵天などあらゆる神々や人々も直視することができないほどの威光がありますので、全世界の生き物はみなこの威光に従うとされています。

また別のお経では、すべての如来がこの輝きを獲得し、あらゆる仏があらゆる衆生に光明を注ぎ、衆生の無知の闇をやぶるとされているようです。

合掌

 

 

 

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