龍門石窟 如来仏頭の模刻の彫り進め方の全記録 その3  完成

龍門石窟仏頭の模刻が完成いたしました。

このブログを書いているときは完成してYouTubeにアップしてしばらく落ち着いてからになります。

とりあえず動画を見ていただくのが手っ取り早いのですが、今から紹介させていただく動画は合計3時間ぐらいあります。

延々と地味な作業の繰り返しです。

当初はもう少し3分ぐらいで抑えて編集とカットを加えて短くするべきなのですが、一応その動画も明日以降用意いたしますが、彫刻しているテクニックを知ってもらうというよりも作業音としての長い彫刻のシーンを用意いたしました。

私としては彫刻は日常的なものなのであまり珍しいことではないのですが、こういった珍しい作業音を聞きたい人がいるらしい、という事をインスタのメッセージで教えていただきました。

それ以降は試しに、ASMRとタグを付けています。

最近の動画の多くは、このような形でyoutubeへアップしております。

龍門石窟 如来仏頭の模刻の彫り進め方の全記録 その2

龍門石窟の如来仏頭を彫っている間に私の癖なのか、どうしても日本の仏像の表情に引っ張られてしまいます。

以前平安時代後期の仏頭の模刻をしていたこともあって、その表情に似てきます。

頭をリセットして掘り進めるか、難しいところですがその辺りを踏まえて動画を見ていただければと思います。

龍門石窟 如来仏頭の模刻の彫り進め方の全記録 その1

昨年の秋に大阪市立美術館で開催された、特別展 「仏像 中国・日本」を見に伺いました。

見本とする如来仏頭はその展覧会で拝見いたしました「河南・龍門石窟奉先寺洞将来」の唐時代(8世紀)の如来仏頭です。

古い中国の仏像ではあるのですが、日本で見た覚えがあります。

彫刻ではないのですが東寺に伝わる古い両界曼荼羅の胎蔵界曼荼羅大日如来象と、奈良・東大寺の大仏の銅製の連弁に刻まれた毘盧舎那仏のお顔です。

以前よりそれらの顔が丸みがあって、目が切れ長、表情大変清らかで、いつか彫ってみたいなと考えていたのですが、美術館でお顔を拝見した時に、これだと思いました。

時代もだいたい同じなのでおそらく、当時の日本はこのようなお顔も参考に仏像を彫っていたのではないかと想像いたします。

図録を手に入れて、如来仏頭の正面写真一枚だけを使って彫り進めました。

耳の位置は、標準的な仏像を参考に後頭部は鋸の跡を残して荒削りで石造風に仕上げる予定です。

下記の動画は粗彫りまでの工程です。

 

 

 

 

平成29年5月4日木彫り曼荼羅のお披露目会

木彫りの曼荼羅を彫り始めて構想から5年ほど経過いたしました。

まだまだ荒彫りの段階で、本来ならばお披露目するべきではないと思いますが、個人的に木彫りの面白さは荒彫りにあると思っています。

それで試しにこの荒彫りの段階をお披露目しようと思いつきました。

荒彫りの仏像は他にも十一面観音立像、他多数お披露目いたしますが、仕上がっている仏像や香合仏また茶道で使う香合なども展示させてもらいます。

また曼荼羅の彫刻の削り方などもお披露目できたらと考えています。

今回のお披露目会は個展でもなくグループ展でもない、みなさんとともにその時間や空間をお茶でも飲みながら、しょうもない事を言って過ごせたらと考えています。

 

また私が制作したものだけでなくこの度お部屋をお貸しくださる大雄寺様が盆石をなさっていることもあり、美しい盆石も拝見する事ができます。

また特別ゲストに漆だけで作った器を完成された、漆職人さんもご参加いただけます。

カバンに入るぐらいの小さなもの限定ですが、ものづくりをされている方で作品など持ち寄っていいただけたらお互い見せ合いっこしても面白いかなと考えています。

その際は是非とも何か持ってきてください。

今回の展示は荒彫りですが、次回はいつになるかわかりませんが中仕上げ、そして最後に完成という三段階形式で展示できたらなと勝手に考えていますが、なにぶん数が多いので、いつになる事やら、できるのかどうかもわかりませんが、今後繋げていけたらと考えています。

このページは少しずつ加筆していきますので、その都度ご確認の程よろしくお願い致します。

日時 平成29年5月4日(木)

時間 10時〜16時 

抹茶 お菓子 (平安殿)付き 500円

場所 大雄寺 (一番下に地図を掲載しておきました)

 

 

茶室は両側からお庭からの光が差して、大変明るいです。 ・ 上品な空間でとても、いやされます。 ・ こちらのお寺には映画監督である故山中貞雄さんのお墓が建立されています。 ・ 映画監督である山中貞雄さんは当時28歳という若さでお亡くなりになられました。 ・ 死後3年経った1941年、彼を慕う映画関係者たちの手により菩提寺である、ここ京都�・大雄寺にて「山中貞雄之碑」が建立されました。 ・ 5年間の監督生活で発表した監督作品は全26本、そのうち紛失や戦災で焼失したたままとまった作品として現存するのは『丹下左膳余話 百萬両の壺』、『河内山宗�俊』、『人情紙風船』の3作品のみのようですが、その影響力は現代でも映画関係者などの間ではカリスマ的存在として参拝が後を絶ちません。 ・ 今ではYouTubeで人情紙風船を検索すると全編見ることができます。 ・ 100年近く前の人の息遣いが垣間見れてとても面白いです。 #山中貞夫 #映画 #映画監督 #大雄寺 #寺 #茶室

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阿弥陀如来立像 なかなか進みませんが、ここまで彫り進めると今度は修正彫りになります。 ・ 違和感が見えたら修正するような感覚です。 ・ 平安貴族を魅了した質素でいて美しく上品な阿弥陀様に近づけていきたいですね😌✨ ・ #木彫り #彫刻 #仏像彫刻 #仏像 #阿弥陀如来 #あみだ #阿弥陀 #如来 #木造 #檜 #ひのき

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蔵王権現の彫刻と三鈷杵の取り付け

まずは動画から
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今回の彫刻は何年も前から彫りかけの蔵王権現像です。

この像は古い像の模刻像として彫刻していましたが、今回完成に致りました。

仕上げる時に三鈷杵が無かったので、三鈷杵の制作だけご紹介いたします。

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両手がまだ切り離していない状態ですが、腕釧(腕飾り)の境目で丁寧に切り取ります。

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元々小さな仏像なので持ち物である三鈷杵もかなり小さくなります。

こういうときは、長めに残した木の先に三鈷杵を彫り込みます。

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丁寧に握っている手に穴をあけます。

このとき出来るだけゆっくりと軽い力で小さく開けて徐々に広げます。

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あらかじめ細い木を差し込んでこの棒の先に三鈷杵を取り付けます。

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仕上げてから、三鈷杵を切り離しています。

そして三鈷杵に穴をあけて棒に差し込みます。

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完成

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金箔像の魅力

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仏像や仏具などに金箔を張る仕事を箔押しといいます。

普通の生活をしていると箔押しという仕事を間近で見る機会は滅多にないと思います。

私たちがよく目にするお寺で奉られている古い金箔の仏像は時代の経過とともに、金箔が所々剥がれて、時代を感じさせますが新造当初は剥がれていないので金箔でピカピカでした。

下地の漆は黒色、もしくは数は少ないですが、朱色の下地です。

少しでも剥がれると下地の色が剥がれた部分から見えますが、それが逆にありがたい気持ちになるのも不思議なものです。

新造の仏像でも、あえて箔を擦って下地を覗かせて時代付けをすることもあります。

しかし実際に箔押しされている仕事を見ると擦るなんて事はとてもじゃないけど出来なくなります。

四角い金箔を張り合わせている箇所が目立たないように隣同士丁寧に張り合わせます。

1ミリ程の点のような張り残しがあれば、その5倍程の大きさの箔を上から被せて目立たなくさせます。

仏像の肌にあたる所と袈裟などの衣の表現ではやり方を変えています。

肌には粉溜地(ふんだめじ)という金箔の上から金粉を蒔いてピカッと光る箔の輝きを落ち着かせています。

一見してみるとわかりにくいのですが、肌と衣のちょっとした金色の差が見えると思います。

些細なことですが、そういうちょっとした工夫で自然な雰囲気を演出しているのだと思います。

そしてさらにわかりにくいと思いますが、この金箔像は二重に箔をはり合わせています。

金箔をはった上からもう一枚、金箔を重ねているのですが、なぜ二重にする必要があるのかというと、一枚だけだと、金箔が下地の色をわずかに通します。

しかし箔を二重にする事で下地の色は完璧にシャットダウンします。

二重に箔を押された像はその中身も純金でできているのではないのだろうかと思ってしまうぐらい、金の色がとても上品です。

金箔像は保存という観点から考えても優れていて、中の下地の漆はとても丈夫なのですが、紫外線には弱いところがあります。

しかし金箔が施されている事により紫外線が遮断されるので、中の漆が守られ大切に保管していると1000年以上は持つという事は皆さんの目でも実証されていると思います。

 

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さて、これからは私の個人的な意見なのですが、皆さんはどのぐらいの仕上がりが一番理想的だろうかと思いますでしょうか。

仕上がりというのは下地である漆の形状に左右されるのですが、技術の進歩が時代とともに進み下地の仕上がりがどんどんと細かく完璧にフラットに仕上げられるようになってきました。

下地の漆を完璧に仕上げると、中身が木彫の像だという事は想像しにくくなります。

技術の発展途上の段階では、その当時では完璧に仕上げたものでも、木彫のでこぼこの跡が若干のこっていてそれが下地に反映されたりします。

金箔を作るにあたっても今では箔の厚みが極限まで薄く伸ばせますが、機械がない昔は手で薄く伸ばしていたので、薄くするにも限界がありました。

厚い金箔をやや木彫感の残る仏像の下地に箔を押すとどのようになるか、一度試してみたいところではあありますが機械的な雰囲気は多少なくなると思います。

しかし、職人さんにも意地がありプライドがあります。

そういったところでなかなか難しいところがありますが、しかしそのようなプライドが日本の物作りのクオリティーを引き上げ、そして下町の何気ない小さな工場が実は世界一の技術を持っていたという事も日本ではよくある話でその根本的なものを支えているのはそれぞれの職人さんの意地やプライドかもしれません。

それでもやっぱり、発展途上の段階を一度試してみたいと思ってしまいます。

合掌

 

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あべのハルカスで高野山の名宝を鑑賞

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あべのハルカスでは高野山の名宝展が開催中です。

見所がたくさんあるので楽しみにしていました。

運慶作の八大童子像、快慶作の四天王像や孔雀明王像など、名品ぞろいです。

しかし、せっかくあべのハルカスまで来たので地上300メートルの天井回廊への興味も出てきて、天井回廊と名宝展をセットでチケットを購入すると割安になるという事も背中を押され、天井回廊まで行ってみました。

 

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今日は一日雨で、スムーズに進む事が出来ました。

 

 

 

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16階から一気に60階までは、感覚としては30秒ぐらいでしょうか、意外と早く到着しました。

 

 

 

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59階から58階を撮影。

 

 

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57階は中庭のになっていて天井は吹き抜けになっています。

 

 

 

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展望台から高野山の名宝展が開催されている16階まで降りてきました。

展覧会では以下の仏像を中心に見ていきました。

室町時代作の弘法大師坐像(金剛峰寺)

唐代の諸尊仏龕(ぶつがん)(金剛峰寺)

平安時代の不動明王坐像(金剛峰寺)

不動明王を囲む運慶作の八大童子像 (金剛峰寺)

快慶作の孔雀明王坐像(金剛峰寺)

快慶作の四天王立像(金剛峰寺)

その中で唐代の諸尊仏龕は総高23.1センチの白檀で出来た観音開きの中に、中央に釈迦如来、向かって右側に観音菩薩、向かって左側に弥勒菩薩が配置され、その周りにも多くの修行者が刻まれています。

とても細かく多くの像を彫りだしているにもかかわらず、どの像を見ても良い表情をしていました。

唐時代の工人の技量の素晴らしさを垣間みる事が出来ます。

平安時代の不動明王は、平安時代の柔和な雰囲気と怒りの様相が、とても上品で吸い込まれるような魅力があります。

日本では忿怒形の姿をただの怒りとして表現していないように不動明王をみていつも感じています。

もちろん、大日如来の化身でもあるので当たり前といえばそれまでなのですが、仏像には儀軌といって、仏像を制作するのに当たって、守るべき法則があります。

その法則を守って制作しても、魅力的に表現できるという事はまた別です。

儀軌だけでは、伝えられない表情の中に垣間見える怒りの中の優しさや包容力などは、どのようにして当時の工人達が学んだのだろうか。

とても知りたいところです。

その不動明王の周りを取り囲む八大童子像は、運慶作でとても生き生きとした彫刻使いが感じられます。

1メートル前後程の高さの童子像で、彫刻としてはとても表現しやすい大きさです。

ですので、素晴らしい造形美の仏像がこのサイズには、多く作られています。

なんといっても八大童子像の魅力は肌の弾力感だと思います。

この弾力感を木彫で表現するのは非常に難しいのですが、それを運慶の才能で見事に表現されています。頭の先から、足先まで、どこを見ても力を手を抜いていない、それがまるで生きているような清々しい童子像は、本当に日本の宝だと強くおもいました。

そして、快慶作の四天王像も見事です。

写真で見ると大きく感じるのですが、実際には134センチ程の高さの像です。

快慶さんの仏像の素晴らしさは、完璧なところだと思います。

精密に計算された力強さを感じます。

これは私の独断なのですが、彫刻を始めた当初は運慶さんよりも快慶さんの方が上手だと感じていました。

それは上記のような精密に計算された美しさが理由なのですが、この四天王像は私の中で上位にはいる素晴らしい像である事は今でも変わりませんが、完璧な作品が持つ人を寄せ付けない壁を感じさせるのではないだろうかと、今日改めて見て感じました。

私の嘆きですが、よくもまあ鎌倉時代の名工達が完璧な仏像のお手本を残してくれたものだと思います。

そのおかげで私たちは目指すべき仏像の姿がより高度に、より難しく、そして楽しく学ばさせていただくことができます。

先代の技量に感嘆と尊敬を再確認した一日でした。

 

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合掌

差し込み式の香合佛

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私の友人から頼まれた香合佛が完成しました。

指二本分ぐらいの仏様とお子さん二人が一緒になっている仏様のご依頼です。

実は彼とは小学校5年生以来なんと26年ぶりにFacebookで再会しました。

依頼された友人も私が仏像を彫っているとは夢にも思っていなかったようでした。

その友人とは同じ京都で、しかも歩いて15分程のところに住んでいます。

この数年の間もしかしたらどこかですれ違っていた事もあったかもしれません。

私は争い事が好きではないのですが、そんな私とは真逆で、どうも腕っぷしの強い男となぜか意気投合することがよくあり彼もそういうタイプでした。

そんな真逆の二人ですので共通点を探すのが難しいところですが一つあげるとしたらお互い孤独がだったのかもしれません。

その後、お互い別々の土地へ引っ越しをしました。

そして25年間の空白があったにもかかわらず、再会したときは昨日まで一緒に遊んでいたかのように、徹夜をして当時の思い出話をしゃべり込んでいました。

私は覚えていなかったのですが、彼は私に謝らなければいけない事をしたといってそれを長年後悔していたようです。

当の私は全く覚えていないのですが、まあ一杯おごってもらったらちゃらにしましょう、という事で一件落着となりました。

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彩色像

祝日の動画編集

今日は一日、動画編集する日と決めていました。

本当は編集だけでなくこのページでお見せする動画と同じ仏像を彫っている様子を2画面撮影する予定でしたが、お顔の彫刻、お地蔵さん、如来形と3つの動画の編集そしてYouTubeにアップすると夜の8時半になってました。

結局2画面撮影はお正月休みにしたいと考えています。

今回の動画編集で使用した写真は一つの動画に使用した枚数が150枚程なので450枚程になります。

写真撮影も彫りながらだったので、撮影しているときはわからないのですが、編集の時にピンぼけが見つかったり、使わない写真も複数毎ありました。

一枚一枚収まりが良いところで切り取ったり、角度を調整したり、その写真の上を移動させたりしてました。

その映像が下記の動画です。

お顔の彫刻


お地蔵さんの一刀彫

如来形の一刀彫

釈迦三尊像を作り直す 3 普賢菩薩像について 

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曼荼羅を制作することで表現したかった仏像の姿に近づいている実感がわきました。

尊像数の多い曼荼羅は的確にバランスよく形を決める事とスピードが求められるのでこなしていくうちに、上達しているのが実感できました。

曼荼羅を制作している間は釈迦三尊像はそのまま手付かずの状態で離れていました。

離れたというか、どう彫れば良いのかわからなくなってきたというのが正確だと思います。

わかるまで離れていたかった。

私は自分の仏像として手元に置いておくのは少なくて良いと思っていますが、そのかわりに理想の姿に限りなく近い仏様を手元に置きたいと考えています。

その中で両界曼荼羅と釈迦三尊像は私の生涯のテーマとしては少ないのかもしれませんが、それを完成させるために多くの仏様が私の削り後から現れては消えていきます。

それは多くの仏様が経験という見えない形で私の心の中にしまい込んでいくのだと思います。

今回、釈迦三尊像はここまで制作してきましたが、改めて最初から制作し直します。

かといってこれまで作ってきた多くの仏様が無駄になった訳ではありません。

ステップアップするために必要だった経験だと強く実感じています。

合掌