曼荼羅を制作することで表現したかった仏像の姿に近づいている実感がわきました。
尊像数の多い曼荼羅は的確にバランスよく形を決める事とスピードが求められるのでこなしていくうちに、上達しているのが実感できました。
曼荼羅を制作している間は釈迦三尊像はそのまま手付かずの状態で離れていました。
離れたというか、どう彫れば良いのかわからなくなってきたというのが正確だと思います。
わかるまで離れていたかった。
私は自分の仏像として手元に置いておくのは少なくて良いと思っていますが、そのかわりに理想の姿に限りなく近い仏様を手元に置きたいと考えています。
その中で両界曼荼羅と釈迦三尊像は私の生涯のテーマとしては少ないのかもしれませんが、それを完成させるために多くの仏様が私の削り後から現れては消えていきます。
それは多くの仏様が経験という見えない形で私の心の中にしまい込んでいくのだと思います。
今回、釈迦三尊像はここまで制作してきましたが、改めて最初から制作し直します。
かといってこれまで作ってきた多くの仏様が無駄になった訳ではありません。
ステップアップするために必要だった経験だと強く実感じています。
合掌