縁というのは不思議なものでまさかインスタグラムでフォローさせていただいていた方のお茶会に参加することになるとは夢にも思いませんでした。
青蓮院は最近ライトアップを見に行ったばかりでしたが、明るい時間帯でのお庭の散策は今年はじめてなので丁度見に行きたいなと思っていた矢先の御煎茶のお話乗らないわけにはいかなかったです。
好文亭は青蓮院のお庭の中程にあり、ライトアップの時にも美しく上品な建物だなと思っていて、その時から中に入ってお茶席を見てみたいなと思っていました。
好文亭は今から227年前の江戸時代、天命8年(1788)に、大火によって御所が炎上しました。
その時に後桜町上皇は青蓮院を仮の御所として一時避難されていました。
好文亭は、その際、上皇が御学問所としてお使いになられた建築物です。
茶室として活用したのが明治に入ってからでした。
しかし平成五年四月、ゲリラ事件の被害に遭い、惜しくも焼失してしまいました。
その後、多くの方々の多大なるご支援により、平成七年秋に竣工し、三笠宮両殿下のお成りのもと、裏千家お家元 千宗室様により盛大な釜開きを挙行致しました。
焼失前の図面と照らし合わせて木材等の材質も全く同じで江戸時代の本格的数奇造りを忠実に再建されました。
内装は四畳半の茶室三部屋と六畳の仏間、水屋等からなります。
障壁画十三画は、日本画の大家、上村淳之画伯の御奉納による花鳥図です。
好文亭に入ると待合に通されました。
待合から見えるお庭や内装を観させていただきました。
照明をよく見ると骨組みは檜でできていて、曲線になっています。
この曲線を作るのには木を削り落とさなければいけないので元は大きな板だったのだろうということが想像できます。
さりげなく贅沢で、そんな好文亭のお洒落心を感じ入って見とれていました。
しばらくすると、待合からお茶席に通されました。
お茶席では上村淳之画伯の鶴の絵の襖絵がありました。
とても迫力があるのですが、それでいてお茶室の雰囲気を崩さず見事な襖絵です。
それぞれ席に着くとゆったりとした時間の中お手前が始まりました。
お手前していただくのは煎茶道、宝山流です。
タイミング的に私が御正客の位置になっていました。
和服を着てなおかつ男だったら御正客に通される宿命だということは御抹茶の世界では、よくあるパターンです。
御煎茶なので、どうすればいいのだろうと思いましたが流れに身を任せようと思い、そのまま堂々と御正客の席に居座ってしまいました。
お花、軸、ふすまのことを質問しなければいけないのだろうかと頭の中は少し混乱していましたが、御煎茶の先生の方が上手に話をもっていって下さりそのおかげでリラックスして楽しむことができました。
そんな中すでにお手前は始まっていました。
指先にまで神経が行き届いている美しいお姿でした。
私自身も緊張していましたが、そんなお手前されている方が時折見せていただく笑顔にお客さん全員が癒されていました。
お煎茶の味もいうまでもなく美味しい味でした。
一般的な緑茶に比べると、苦くはなく、とてもお茶の香りが濃厚でなぜか甘みを強く感じました。
とても美味しく二煎もいただきまいた。
帰り際に上村淳之画伯の鶴の襖絵の前で記念写真を撮らせていただきました。
インスタグラムが繋いだ不思議な縁、実際には初めて会う私のために、私を信じ誠心誠意お茶席を楽しませていただいた多くの方々の支えがあってこその素敵なひと時を過ごすことができました。
宝山流の方々には大変感謝をいたします。
好文亭外観です。
質素で美しい外観をしています。
外からは微妙にお茶会の様子が見えにくくなっています。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。