写真が一般的になかった時代、我々のようないわゆる一般的な人が写真を気軽に撮影したり、本を取り寄せたりできなかった昭和初期ぐらいまで、物を作る職人として生活していた人は、今でいう重要文化財クラスの美術品を写真でチェックしたり、展示会で鑑賞することもなかった。
学ぶところは、丁稚奉公先の師匠のところで、中には手とり足とり教える人も中にはいたかもしれませんが、ほとんどの場合、師匠の技を見て勉強をしていました。
丁稚奉公は11歳ごろから、親元を離れて全く違う環境で、仕事をこなす能力を身に着けていきます。
こんなことを書くのも変かもしれませんが、その当時はスマートフォンはありませんでした。
ゲームもありませんでした。
ですから、仕事を身に着けるためにみっちりと10年間は師匠の下で師匠の仕事の手順や感性を受け継ぎます。
奉公先は親が決めたところに行かされるのが一般的だったようですが、親が子供の能力に見合ったところを見繕って、子供に選ばせることもあったみたいです。
個人的には、10代の間に仕事をする能力をみっちりと身に着けるやり方は一流の仕事人を育てる上ではとても良いことだと思います。
私は参考図書のことを書くつもりでいましたが、丁稚奉公の話にイメージが飛んでタイピングしていましたが、参考図書がなかった時代は師匠が手本です。
例えば仏像を彫るうえであまりにもたくさんの参考資料を取り寄せて、様々なやり方を勉強をしていくのも一つのやり方だと思いますが、それがかえって技術を身に着けるのが遅くなる可能性が高くなります。
それに対し師匠を信じそれに一心不乱に自分のものにするほうが身に着けるのが速く、仕事人としての一人前の人物に育てるのには良いと思います。
いわゆる天才は育ちにくいと言われていますが、天才を必要としなかった時代には問題はありませんでした。
今では私も情報発信していますが、日本全国にいるであろう仏師さんの情報が一瞬で確認できるようになり、参考図書の写真もカラフルで鮮明になってきて、国宝や重文の仏像などの資料写真が簡単に手に入るようになりました。
私は、これだけの資料が豊富にあると、きっと素晴らしいものがたくさん造り出せると思っていましたが、残念ながら私たちは、平安、鎌倉時代のような素晴らしい技術には到底及ばず、みなさんも経験があると思いますが、正直なところ新しい今の仏像よりも平安や鎌倉時代の仏像には及ばないと内心思っていらっしゃる方もたくさんいらっしゃるということが話の節々から垣間見えることがあります。
もちろん数百年という経過により当時きらびやかだった金箔や彩色が適度にはがれ、護摩などを焚いたときに出てくる煙などでうっすらと黒く煤がつくことによって、重々しさが出てくることもあります。
またさらに風化により金箔や彩色部分がほとんどはがれてしまい、材も部分的に欠損して、細かくひびが入り、それが写真家などの腕で素晴らしい作品として生まれ変わることもあります。
そういうことを、踏まえても鎌倉時代の仏像はわれわれの技術をはるかに超えていると思います。
それは、3Dスキャンしても3Dプリントしても、あの雰囲気を出すのは難しいと感じます。
しかしながら博物館やお寺の参拝ができる今の時代には平安、鎌倉などの優れた仏像を間近で鑑賞できる場がたくさんありますので、そのような場を大切にして、できるだけ私個人は近づけていけるように努力して、仏像を紹介できればと思います。
そんな私が、参考にしている本を少しづつ加筆してご紹介していきたいと思います。
仏像彫刻技法 1234 太田古朴 綜芸舎
仏師の系譜 佐藤昭夫 淡交社刊
日本の美術 至文堂 シリーズ
魅惑の仏像 シリーズ
日本彫刻史基礎資料集成 シリーズ
曼荼羅図典