金剛界35 金剛索菩薩尊像

 

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金剛界曼荼羅

金剛索菩薩尊像 Vajrapasa

( インドの古い言葉ヴァジュラパーシャ )

こちらの菩薩さまは金剛索菩薩尊像(こんごうさくぼさつ)です。

肌の色は白黄色、左の手を拳の形(力強く握りこむ)に

して、右手に索を持ちます。

索というのは羂索のことです。

不動明王が持っているのも同じ羂索と呼ばれるものです

が、縄の先にフンドウとカンがついています。

しかし金剛索菩薩が持っている羂索は蛇のような形をし

た縄で、この先に鉤がついていています。

密号と呼ばれる別名を持っていて、等引金剛、慈引金剛

と呼ばれていますが、この索を使いこれで衆生を平等に

曼荼羅に引き入れるという事を意味しているようです。

 

合掌

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南山城の古寺巡礼 京都国立博物館

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京都国立博物館は、現在新館は改装中につきしばらく休館していましたが、今年の9月13日から開館する予定となっています。

私は、その日を楽しみにしていますが、旧館のほうでは現在でも特別展など期間限定で開館しています。

 

今回は、南山城の古寺巡礼が4月22日から6月15日まで、旧館で開催されます。

この南山城の地は、奈良に近い京都南部の場所にあたり、古いお寺も所々に点在していて仏像

も見ごたえがあります。

観光地であると思いますが、静かに仏像を拝観したい人などはとても居心地の良い場所だと思

います。

そんな南山城の仏像を扱った展覧会は珍しいので私も来月早速、拝観に行ってきます。

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金剛界曼荼羅 36 金剛鏁菩薩尊像

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 36 金剛鏁菩薩尊像(古いインドの言葉 Vajrasphota ヴァジュラスポータ)

 

この写真の菩薩さまは 金剛鏁菩薩(こんごうさぼさつ)と呼びます。

お姿は赤い肌色で左の手は拳にして右の手に鏁を取ります。

古いインドの言葉でヴァジュラスポータと呼びますが、スポータとは破裂といういみがあるようです。

花が咲くときに蕾がはじける状態や声を発するようなときに使われる言葉です。

インドで使われていたスポータという言葉が中国に伝わると鏁と訳されます。

どういういきさつで鏁という文字が当てられたのか不明なところもありますが鏁は金属製の鎖でつな

いだリング状のもの、これで衆生を菩提に繋ぎとめる役割をしているようです。

合掌

 

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香合の制作10 二回目の漆

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前回漆を全体的に塗ってから3週間ほど経過しました。

かなり細かい800番から1000番ぐらいの耐水性のサンドペーパーで

全体に滑らかになるように当てていきます。

 

その上からもう一度漆を薄くのばして全体に塗ってから全体に塗った漆を拭き取って

いきます。

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全体的に漆をかけていますが、円相の字の黒い部分は塗っていません。

一つ一つを乾かして作業しないと、作業がやりずらいので今回はここまでとします。

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彫塑6 完成

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前回の石膏型の内側に薄く石膏を流し込みます。

 

しばらくすると固まってくるのである程度固ま

ったら二回目に流し込む作業に取りかかります

がその時にスタップという細かい繊維状の物を

あらかじめ水に浸しておき二回目に流し込むと

きに石膏に絡めて強度の弱い首周りを中心に張

りつけていきます。

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石膏型を張り合わせてビニールのひもでしっかりと

固定をして石膏を裏から流し込みます。

 

一番最初に流し込んでしまうと、あごの場所であっ

たり裏からのぞいても石膏がかかっているかどうか

確認がとれないところがあるので最初の作業が必要

になります。

 

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これから石膏型から石膏像を削りだしていきます。

 

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番線(太い針金)をマイナスドライバーで削りながら

さがします。

 

出てきたら番線を中心に丁寧にたたいていくと中の

石膏像が自然とはなれて素地が見えてきます。

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素地が見えてきたら地道に焦らずにけずりだして

 

いくと、どんどんと現れてきますが、このあたり

から、結構楽しくなります。

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すべて出てきましたが、接続部分や穴があるところ

 

を滑らかにするために石膏で埋めていき固まってき

たところを成形すると完成です。

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(彫塑)

 

鞍部一族、仏師への華麗なる転身

止利仏師

都会の一等地には多くのお店が店舗を構え、

最先端のファッションの先頭をきってラグジ

ュアリーブランドが立ち並んで、街行く人た

ちの心を魅了しています。

その中でもエルメスは名実ともに一線を画し

た存在として、悠々として構えて存在してい

ます。

エルメスは元々馬具専門として、1837年

初代ティエリ・エルメスが馬具工房を開きま

した。

その後、自動車が一般化していくにつれ馬具

の制造から私たちがよく目にする、高級バッ

グを中心にそれまで培われてきた馬具の制造

技術を利用して現在まで輝き続けています。

また男性中心のブランド・ダンヒルも188

0年に馬具専門制造卸売業としてロンドンで

創業、後に馬から車へ人々の交通手段が変化

するにつれ小物や衣類など様々な種類のもの

を手がけるようになりました。

法隆寺釈迦三尊像の大きな舟形光背(仏像の

背面から出ている板)の裏面の刻印に釈迦三

尊像を司馬鞍部首止利仏師に命じた、とあり

ます。

この鞍部とあるように止利仏師こそ元々、馬

具専門として活躍していた止利工房の長です。

 

私は、そういう経緯から馬具に対して少し興

味をもってみていました。

馬具というのは総合芸術といえるぐらい、非

常にたくさんの技術がつぎ込まれています。

金属加工、皮の細工、木の細工、布の細工・・

その中でも金属や木を自在に加工できる技術

があれば、応用して仏像を造る事もできるか

もしれませんが、馬具の技術を利用してすぐ

に仏像ができるほど簡単にはいきません。

 

この止利仏師が仏像を完成させるまでには三

代前まで遡らなければならないようです。

止利仏師のおじいさんにあたる人物が『扶桑

略記』に登場します。

継体天皇16年(522年)に大唐の漢の案

部村主司馬達等(くらつくりべのすぐりしば

のたっと)が技術者集団として来朝しました。

案部とは鞍部のことで朝廷につかえて馬具制

作を担当した技術集団でした。

また別の説では、この一族が来朝したのがも

っと古く4世紀に日本に帰化した漢人リスト

三十氏の中に鞍作村主があり、その末裔では

ないかともいわれております。

 

いずれにしても祖父である達等が馬具だけで

なく仏像も多少手がけていたこともあるよう

で、それが仏像制作に対する準備期間だった

ようであります。

また、達等の子である多須奈は『扶桑略記』

用明天皇2年(587年)に「百済仏工鞍

部多須奈」、『聖徳太子伝暦』上巻の同じ

年の項にも「仏工鞍部多須奈」という表現

がなされ、坂田寺の木丈六仏像をつくった

という。

そして次の止利の代で鞍部一族は仏師とし

て大成したのではないだろうかといわれてお

ります。

現在残る止利仏師の仏像は法隆寺の釈迦三尊

像と後に作られたとされる法隆寺の宝蔵館に

納められている小さな釈迦三尊像(一体かけ

ていますが)の仏像が残っています。

仏教の伝来によって馬具制造から仏像の制作

へ華麗なる転身を遂げた姿は、現在輝き続け

ている馬具制造からラグジュアリーブランド

へ転身をしたエルメスやダンヒルにも共通し

ているように感じて見ていました。

参考図書 仏師の系譜  佐藤昭夫

 

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彫塑5 石膏型を取る

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今から始める作業は石膏による型取りです。

下の画像のように石膏型をどこで分けるか

最初に線を描きます。

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型取りをする位置が決まりましたら、金属で

できた切金を線に沿ってつけていきます。

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当初は線を後頭部に二か所つけていましたが、

複雑になるだけであまり効果がないのでこれ

で、石膏作業に取り掛かります。

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まずは水をたっぷりと全体にかけて、

石膏と水を一対一の割合でまぜます。

混ぜた直後のしゃぶしゃぶの状態で

全体的に薄く石膏をかけていきます。

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石膏は5分ぐらいで固まりだすのでしゃぶ

しゃぶの石膏を二回にわけて全体にかけた

状態です。

 

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次に太めの針金を石膏の分け目に

沿って取り付けていきます。

 

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太い針金を隠すように石膏を盛ってい

きます。

石膏を混ぜて少し時間を置いて、ある

程度固まってきたのを使います。

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さらに、鼻の先は薄くなりやすいので

顔の全面の全体を石膏で固めていきます。

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最初に切金を沿ってつけていきましたが

その頭を削りだしていきます。

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その切金の頭が全体的に出てきたら、石膏の

熱が冷めるたら取り出しにかかります。

私は二時間後に作業を開始しました。

 

もう一度、水を切金に沿ってかけていきます。

少しずつ力を入れて後頭部のほうから

石膏をはずしていきます。

少しずつ離れていき、後は粘土をとりだし

ていきます。

 

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粘土がすべて取り除ければあとは、水洗いをして

外で乾燥させます。

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離型剤を石膏型の内側と石膏と石膏が当たる淵に

塗りこんでいきます。

しばらく時間を置いてもう一度、同じように離型剤

を塗りこむと今回の型取りの作業は終了です。

 

 

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造り手から見た仏像のすがた・かたち

 

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仏像彫刻をされている方でも、人それぞれに違いが

あり個性があります。

江戸末期のころは職業としての分担作業が細かいと

ころまで確立していて、仏師もまた高村光雲が伝え

ているように、設計図を元にして忠実に木に写して

いく一工程の技術者でした。

 

現在では仏像を制作する側は、わりと自由に制作さ

れている方もたくさんいらっしゃいます。

信仰の対象とする彫刻や絵画など、信仰を中心に捉

えるのか、それとも美術的あるいは学術的に捉える

のか、歴史的に捉えるのか、コレクションとして手

元に置きたいのか、人により様々です。

個人レベルなら自由にすることができますが、大き

なプロジェクトとして、お堂の設計から御厨子や仏

像のサイズに至るまで細かく規定されている場合は

それにおおじた、仏像を造らないとアンバランスに

なってしまいます。

また仏像の形としての知識はあまり持ちすぎないほ

うが良いという人もいれば、古代インド語である、

サンスクリット文字から仏像の姿の根拠を見出して

図面を起こされる方もいます。

仏像に関するの最低限の知識は必要ですが、どこま

で知るのが良いのか境目はあいまいなところです。

仏像や経典の知識をそこまで知っていなくても素晴ら

しい彫刻はうまれます。

 

全体の均整がとれていて、難しいお顔の表情や手先の

部分を上手に彫り上げなおかつそこに気品を感じさせ

人々を魅了する仏像を彫れる人は、知識を超越して感

性に訴えかけています。

 

実際問題、経典の知識を理解しよと思えば膨大な時間を

つぎ込まなければならず、一人の力ではむずかしい作業

です。

そして彫刻を制作する時間はなくります。

それだけ大蔵経には膨大な情報量があり、その中から経

典の中に説かれている仏像のお姿の情報を集める作業も

一人の仏師の力ではどうすることもできません。

それだったら、素晴らしい彫刻をしている人にはその制

作に専念してもらったほうが後世に良い仏像を残して行

くことに貢献します。

仏像のお姿の根拠となっているある一つの記述を探す作

業に1年もかけていたら制作作業がいっこうに進みません。

 

しかしながら、仏教が日本に伝えらえれ現在に至るまで

多くの方々が大蔵経の翻訳に努め、整理され必要な個所の

情報を効率的に手に入れられるようになってくるに従い、

最低限必要な知識を素早く検索することが可能となりまし

た。

そこに様々な解釈もあるかと思いますがそういった先人

たちの恩恵を受けることにより私たちは制作に集中する

時間を設けることができます。

幸運にも現代はネット社会により情報が溢れすぎていて

取捨選択するのが大変なところもありますが、仏像制作

を中心とした役立つ知識を抽出して使えるものだけ使わ

せていただき、あやしいものやネットには掲載していな

い情報があれば穴埋めをしていく形で、本から調べた必

要最低限の情報を書き込んでいきたいと考えています。

そうして少しずつ出来上がっていく私の仏像ポケット辞

典を公開し多くの人と共有ができればと思います。

 

とりあえず自分なりの仏像カテゴリーを作ってみました。

ページ数でいうと、曼荼羅と仏像すべての固定ページを合

わせて1000ページを超えています。

この白紙のページが何年で埋まるのか想像がつきませんが、

地道に書き留めていくつもりでいます。

その間に曼荼羅がいつの間にか出来上がっていた、といえ

るような悠久の時間の流れとともにブログを成長させてい

ければと思います。

 

 

固定ページ

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この半月ほど、固定ページをたくさん作っていました。

空白のページではありま すが曼荼羅の各尊像の一尊一

尊をアップして後から画像や文章を載せたりする予定で

す。

曼荼羅の総数は493体分でそれと同じ数のページを

作ることになります。

この作業にかなりの時間を使い、途中、こんなことをし

ていて意味があるのだろうかと少し弱気に なりそうに

なりましたが、そういう時はいったん休みます。

気が向いたら改めて単純作業を繰り返していました。

そして、ようやく完成いたしました。

完成して改めて確認すると曼荼羅の全体像の把握が

しやすくなり、後はそれぞれのページに文章と写真

で埋めていくだけ作業になるので、 最初に曼荼羅全

体の骨格を作っておいて正解だった。

 

実は欲が出て、もう一つ仏像のカテゴリーを作って曼荼

羅ではなく仏像の固定ページを今、作成中です。

それは、如来、観音、菩薩、明王、天部・・・といった

大まかなフォルダを作り 如来の中には 釈迦如来、大日

如来、阿弥陀如来・・・といった感じに、そしてまた阿

弥陀如来のフォルダをあければ、阿弥陀三尊像、五劫思

惟像など、細分化されていくというシステムです。

 

今現在は如来と観音のフォルダが完成いたしました。

曼荼羅と仏像のみで600件以上のページが出来上がり

つつあります。

曼荼羅、仏像以外を入れると、738件まで出来ています。

後もう少し、めげずにひたすら作り続けていきます。