二張の和傘 8 ー四大名硯ー
記録によればその9日後に和傘の主人のお宅にお邪
魔をしていることになります。
以前見せていただいた硯以外にも、沢山の硯を所有
されていました。
中国には4大名硯と呼ばれる、端硯 歙州硯、澄泥
硯、魯硯、(一般的には魯硯ではなく洮河緑石硯と
いわれています。)
は、すでに試行錯誤しながら使われていたようで、
その他にも松花江緑石という緑の硯、や陶器ででき
た陶硯、など様々な種類の石質を使いながら試行錯
誤してお気に入りの 数枚を、 手元に置き、あとは
手放すという作業されているようでした。
私が二回目にお邪魔した時には確か3面ほど硯を頂
きました。
素晴らしい硯なので、頂くのに遠慮しがちでしたが、
ご主人「いらなければ 粗大ごみにでも出してくださ
い」とあっさり一言 、私はありがたく頂戴した次第
でございます。
それに、ご主人すでに今後、使用しないだろうと見
切っていたのでしょう。
出し惜しみせずあっさりと手放すところに、物に振
り回されない人とはこういう人なのかと 少し経過し
てから、思いました。
いただいた面のうち一枚は以前からほしいと思ってい
た端渓の硯、とても石質がきめ細かく上品な色をして
墨をする感触もとても良いです。
習字をならっていたので硯は以前よりありましたが私
が前から使っていた硯は 父にプレゼントして、この日
以降、端渓を持って習字 を習いにいっていました。
「弘法筆をえらばず」という言葉があります。
確かに道具と字を書く技術は関係ないかもしれませんが、
気分が全然違います。
ただ単に書くだけだと、字を書くことが淡々と仕事をこ
なすような労働をイメージしますが きっちりと硯、筆、
筆置き、水滴、水滴台、文鎮、墨、墨床、にこだわり、
それらをバランス よく配置して前に座ると、茶道のお
点前のように、文鎮で半紙を押さえ、水滴から 水を一
滴ずつすくい取り、硯に適量いれ、墨をすり、字を書く、
硯を綺麗に手入れをする という一連の作業が、無量の喜
びに思えます。
日本では刀が武士の魂だといわれるように、中国では硯
が文人の魂だといわれるゆえんです。
京都醍醐寺の三宝院に所蔵されているお大師さま直筆の
古文書 性霊集の献筆表には 筆を筆工に楷書用、行書用
、草書用、写経用に分けて作らせていたり、 字によって
は筆を取捨選択すべきと記されています。
実際には選ばずどころではないことがわかります。
良工は先ずその刀を利くす。
能書は必ず好筆を用いる
が本当のようです。
私はその後、何度となくお宅に訪問してその間、合わせて
10面ほど硯を頂きましたが、私の硯の知識はこの時期に
培われたものです。
今度は私がかっこつけて、誰かにさし上げる日がいつか来
るのだろうか。
まだまだ、私は物にもて遊ばれている半人前ですね。
続く