色んな事を適当に手広く遊んで徐々に狭めていこう

日本人のDNAの中には元々物作りでも研究でもなんでも、一つの事をとことん追求していくような人が多くいらっしゃるように思います。

もちろん自分の好きな一つの事に追求してそれが仕事に結びつき生活の糧になるというのはすばらしい事でもあります。

しかし、なかなか一つの事を決めるのも難しいと思います。

不本意ながら勉強しても身に付かないし、何かを決めても長続きがしない。

私は仏像彫刻をやり始めて今に至るまで、20年程になりますが色んな葛藤がありました。

この道を選んだ自分がこの道でしんどくなったり、辛いと思っている事に対する罪悪感が出てきたり。

あまりにもこの道のレベルが高すぎて自分には向いていないのではないだろうかと思ったり。

しんどくなった時に逃げ出したくなる衝動に駆られたり。

もっと他に自分に向いたものがあるのではないだろうかと思い悩んだり。

仏像の姿やフォルムが自分の思っているような形に仕上がらない自分のセンスのなさを嘆いたり。

など仏像をやりたいと決めてからも、色々と葛藤がありました。

今ではあまりそのような葛藤は起らなくなってきましたが、というのも考え方が変わったから何だと思います。

どんな道でもしんどくなる事もあるし、辛くなる事もあります。

専門職になればなるほどマスターするのが難しいから当然の事で、難しい事なんだから、しんどくなるのは当たり前です。

今すぐマスターしようなんて思わずに、今の自分の技量で出来る範囲で少しずつ出来る事を広げていこうと思えるようになりました。

レベルが高すぎて自分には向いていないのではないだろうか。

と思っても、1000年に一人の天才仏師と比較するから当然のこと、到達したい目標は高くても、今すぐなろうと無茶な事は思わないようになりました。

逃げ出したいと思っても、そう思ってしまう感情は一過性のものが多いので、逃げるのではなく、しばらく離れてみようと思うようになりました。

他に自分に向いたものがあるのではないだろうかと思っても、別のジャンルに手を伸ばして少しやってみて体験してみようと思うようになりました。

無駄な時間を他の事に使いたくないという気持ちが自分の心をますます焦らせる事にもつながったりします。

焦りは何も生み出しません、焦るぐらいなら一日で出来る事を3日かけてするようにして、常に心に余裕を持たせた方が結果として早い場合もあります。

仏像の姿やフォルムが美しく表現できないと嘆いても

技術や経験だけではマスターできない美的センスを身につける事も物を作りだす人には大切な要素だと思います。

それには、私生活のなかにこそ美しいものを取り入れて常に自分のために楽しむ余裕が必要だと思うようになりました。

一時の感情に振り回されずもっと気軽にもっと楽しくマスターするほうが有意義に今この瞬間を楽しめようにも思います。

楽しんでいる姿を見て、遊びほうけてがんばっていないと思う日本人がいるかもしれません。

苦しんでいる姿を見て、あいつは忍耐強くがんばっていると思う日本人がいるかもしれません。

服装が派手になったから、遊びほうけていると思う日本人がいるかもしれません。

必死で勉強している姿を見て、将来有望と思う日本人がいるかもしれません。

意外と私たちは人の目線を気にしすぎるあまりに自分の気持ちを犠牲にして本来ならば楽しめることを楽しもうとせずに人の目線を気にしながら小さくおさまっているのかもしれません。

 

もし人から信頼されず、あなたの事を誰もわかってもらえなかったらそれは良い方に考えてラッキーだと思うように考えて。

評価をされていないときには、それをうんと利用して、一人で大いに楽しみましょう。

延び延びと自分のやりたい事に没頭できる時間が増えます。

もし親や周りの人からとても立派な人間だと思われていたら。

自分が承認願望が満たされ、より自分を磨こうという気持ちにもなるかもしれません。

なんでも良い方に考えて、楽しく生きるのが一番です。

ポジティブに考えると楽観的な奴だと思われたり、軽い奴だと思われるかもしれませんが、そう思われたくないから何でもネガティブに考えるようになると、結局そういう人間になってしまいます。

たしかに人から承認されるという欲求は全ての人に備わっていると思います。

私も、承認欲求はあります。

人にほめられるとやはり嬉しいものです。

やる気もでたりします。

しかし、評価をあまりにも気にしすぎて一生をつまらないものにするのも、楽しくするのも自分次第だと思います。

実は私が昔悩んでいた事の全ては、人から見てどう思われるかという事に悩んでいたんだと思います。

 

人は何のために生きるのかという問いに、ある人が言っていたのですが、それは今この瞬間一生懸命に遊び、創造し楽しむために人は生きているだよ、そうすると毎日が充実し満足しているからいつ自分の命が尽きても、悔いは無い。

いつの頃からか私もそういう風に生きたいなと思うようになりました。

それにはまず、何でも気軽に始めてみて、気軽にやめられる事が大切だと思います。

そうやって取捨選択を繰り返し徐々に自分のやりたい事を明確にしていく事だと思います。

自分の心をもっと大切にしたいですね。

 

我にも負けず

我にも負けず 誰にも負けず

賛美も人の評価にも負けない丈夫な肝を持ち

欲は無く 決して怒らず いつも楽しく遊んでいる。

人が、あいつは変わり者だといえば、もしかしたら面白そうな奴じゃないかと思い。

人が、あいつは協調性がないといえば、内に秘めた素晴らしい才能があるのかもしれないと思う。

つまらない物はつまらないと言い、面白い事はとことん楽しむ。

褒められもせず、苦にもされず、そういう男に私はなりたい。

フウタロウ

 

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