下御霊神社の銘水と初詣

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下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、京都市中京区にある神社です。

初詣を兼ねてインスタグラムのお茶会で使うお水を求めて、今回こちらの神社に参拝させてもらいました。

桓武天皇の時代、各地で疫病が流行しました。

これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催され、この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしています。

古来より京都御所の産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀しました。
元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられています。

後に新町出水に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座しました。

 

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今回も、お水を2リットル頂戴いたしました。

梨木神社から南に下がってすぐのところなので、水質は似ているのではないだろうかと思っているのですが、帰ってからのお楽しみとします。

 

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梨木神社の銘水

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梨木神社(なしのきじんじゃ)は、京都市上京区にある神社です。
明治維新に大きく貢献した三條實萬(さねつむ)・三條實美(さねとみ)父子を祭神としています。

境内の井戸の水は「染井の水」と呼ばれ、京都三名水の一つとされ、醒ヶ井・県井・染井のうち、現存するのは梨木神社の染井の水だけである。

また境内には約500株の萩が植えられており、別名萩の宮とも呼ばれており、9月中旬~下旬には萩祭りがおこなわれています。

久邇宮朝彦親王の令旨により、三条家の邸宅跡に三條實萬を祀るための社殿を造営し、明治18年(1885年)、地名からとった梨木神社の社号と別格官幣社の列格を受けて創建した。その後大正4年(1915年)、大正天皇即位を記念して、子の實美を合祀としました。

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無鄰菴の洋館

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無鄰菴の洋館2階の間は、しばしば要人との会見に使用されていました。

日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日にはここでいわゆる「無鄰菴会議」も行われていて、元老・山縣有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎らが当時、ロシア帝国は強硬な南下政策をとっており、満州のみならず北朝鮮でも勢力の拡大をすすめていました。

桂は、ロシアの満州における権利は認めても、朝鮮における日本の権利はロシアに認めさせる、これを貫くためには対露戦争も辞さないという態度で対露交渉にあたるため、この方針への同意を伊藤と山縣から取り付けようとしていました。
洋館の1階は、写真展示スペースになっています。

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下の画像は一階から二階にかけての窓から撮影しました。

 

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二階は、無鄰菴会議が開かれた場所です。

狩野派の絵が描かれた贅沢な内装です。

このお部屋は画像で見るよりもさらに薄暗く、時間が止まったような不思議な感覚になります。

 

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無鄰菴の庭へ

 

無鄰菴とお庭

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私は無鄰菴の前の仁王門通りを20年近く平日はほぼ毎日通っているにもかかわらず、一度も入ったことがありませんでした。

今回、ここでお茶会をする計画もあり、その下見として、撮影も兼ねて行ってきました。

 

 

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無鄰菴の向かいには、朝粥が有名な瓢亭さんがあります。

 

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無鄰菴は日本に3軒あります。

京都、南禅寺近くの無鄰菴は第三の無鄰菴と言われ山縣有朋の別邸でした。

現在は1941年に寄贈されて京都市が管理しています。

その庭園は1951年(昭和26年)6月9日、国の名勝に指定されました。
数寄屋造りの母屋、藪内流燕庵写しの茶室、煉瓦造り二階建て洋館、および広い日本庭園からなります。

山縣有朋は明治25年ごろから準備を始め、1894年(明治27年)に造営に着手、明治29年完成いたしました。

洋館の設計は新家孝正で明治31年に竣工。

山縣が別邸無鄰菴をこの地に築いた背景には、東山山麓の南禅寺下河原一帯を別荘地として位置づけて発展させようとしていた当時の政財界の動きがあったようです。
無鄰菴は、その別荘・別邸群の先駆けともいえる存在となったようで無鄰菴に続くようにできた付近の別荘の作庭も、七代目植治がその多くを引き受けることとなりました。

 

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広い庭園は山縣が七代目植治(小川治兵衛)に作らせたものです。

東山を借景とし明るい芝生に琵琶湖疏水を引き込み浅い流れを配した池泉廻遊式庭園で、近代的日本庭園の先駆けとも言えるお庭です。

 

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藪内流燕庵写しの茶室

 

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藪内流燕庵写しの茶室

 

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洋館へと続く

 

平成27年 早朝の秋の南禅寺を撮影してきました。

まずは動画から

京都の早朝は撮影には撮影には最適な時間帯です。

南禅寺に到着したのは早朝6時40分ごろでした。

観光客もこの時間帯にはさすがにくる人が少ないですが、それでも本気のカメラマンや、真剣に撮影をする人がポツリポツリといらっしゃいます。

したの南禅寺の門を見ていただくと奇跡的に人が誰も写っていませんでした。

こういう写真が撮れるのも早朝に出てくる特権だと思いますが、タイミング的にも一瞬でした。

しばらくするとおっちゃんが門の下で体操を延々と始めていました。

今回の撮影は時間が経てば経つほど人が増えていくので最初に大きい画面で南禅寺を抑えて徐々に紅葉のアップとか小さな対象物に変えていくというやり方でできるだけ人を映さないようにさせていただきました。

 

 

 

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青蓮院のライトアップ 外観 平成27年11月

青蓮院門跡のライトアップへ行ってきました。

青蓮院は自転車で10分ほどのところにあるにも関わらず、ライトアップは今回で2回目です。

前回は詳細は覚えていませんが10年以上前になります。

青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院です。

青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされています。

「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王と呼ばれる天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者が門主(住職)を務め、宮門跡寺院として守り伝えられてきました。

江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」とも言われております。

また日本の三不動1つ「青不動」のある寺としても知られております。

11月7日にライトアップを見に行ったのですが、紅葉はもう少し先のようです。

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外観だけでも十分楽しめますが、次はお庭を拝見いたします。

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京都嵯峨 厭離庵で開催された地歌の会に行ってきました。

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嵯峨の秋風 虫の声

静寂の中で

第二回、厭離庵 地歌の会が本日平成27年10月25日(日)午後2時に開演しました。

約2時間、厭離庵での地歌(尺八、唄、三味線、琴)と休憩時間にお庭の散策、とても優雅なひと時を味わってきました。

厭離庵の場所は京都の嵯峨の清涼寺の近くにあるお庭の美しい山荘の旧跡で当時は藤原定家が住んでいたところでもあります。

そして、小倉百人一首を編さんした処でもあります。

そこを冷泉家が修復し霊元法王より、「厭離庵」の寺号を賜り、安永(1772年)より臨済宗天龍寺派となりました。

再び荒れたこともありましたが、明治43年仏堂と庫裡を建立し、山岡鉄斎の娘、素心尼が住職につき、それより后尼寺となりました。

厭離庵への入り口はとても狭く、どんどん入っていくとさらに狭く暗くなってきて、大丈夫だろうかと思いながらも、しばらく歩き続けると、門が見えてきました。
門をくぐると、不思議と光が差してきて、美しいお庭が姿を現しました。

非公開の場所ということもあり、嵐山の観光客の人混みから離れ、静かな空間でお庭を眺めていました。

厭離庵(えんりあん)の厭という字は飽き飽きしたりもううんざりして、見るのもいやな状態を指す言葉だそうですが、その厭から離れられるようなそんな気分にさせていただけます。

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京都博物館で京都墨彩画壇展とレオナルド・ダビンチと「アンギアーリの戦い」展を観に行きました。

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私のお茶の先生でもあり、日本画家のあき先生が京都文化博物館で墨彩画檀展に作品を出品しています。
デジタルの画像を通してではわからない、線の繊細さや柔らかい筆のタッチ、墨の濃淡の微妙なにじみ具合など実際には見ないと良さが伝わらないと思いますが、お花も生き生きと描かれていてとても上品雰囲気を醸し出していました。
あき先生は、普段の立ち居振る舞いや言葉使いがとても上品で、私はお茶だけでなく色々なことを学ばせてもらっているはずなのですが、なかなか普段の生活では生かされていなくていつも呆れられています。

 

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また同館内ではレオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い展」が開催中でした。
ダヴィンチの絵はとても好きなのですが、ダヴィンチの絵はおそらくないだろうと思っていてあまり興味が無かったのですが、よく見るとダヴィンチの素描が展示されているということを知って大変興味を持ちました。
私は完成していない下書きの絵や未完成の状態の木彫などは特に好きで、以前よりダヴィンチの素描は実物を見てみたいと思っていましたが偶然にも同じ館内でしかも素描は日本初公開ということもありたった2枚の実物のスケッチを見るためにチケットを購入し観に行きました。
本などの印刷物では何度も何度も同じものを見ていたのですが実物を目の当たりにすると、何気なく描いた線一本一本がとても生き生きとしていて本物を見た興奮と相まって素敵なひと時でした。

また文化博内で有喜屋という蕎麦屋さんや前田珈琲が同じ館内にあり、いろんなお店を転々と文化博内で1日ゆっくりと過ごすことができました。

 

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