金剛界 16 無量壽如来尊像

 

無量壽如来尊像 (インドの古い言葉 Amitayus アミターユス)

この菩薩さまは無量壽如来(むりょうじゅにょらい)です。

尊名の無量寿は永遠の命を意味して、また無量壽如来はよく耳にする阿弥陀如来とも呼ばれています。

着ている袈裟の着方は偏袒右肩という右肩を露出させて袈裟を羽織っております。

手には弥陀定印という人差し指を立て両手を組んで印をを結んでいます。

中尊である毘盧遮那如来の妙観察智の徳を司るとされ、妙観察智とは、すべての衆生の苦悩や疑惑をそれぞれに見抜き、救済する智慧です。

無量壽如来が仏典に登場する起源は、おそらく釈尊の成道の伝説によると思われます。

釈尊は成道して不死を得たとされますが、その永遠の命を独立した仏の特性として、この無量寿の名称が付与されたと考えらえれています。

サンスクリット語で不死をアムリタ(amrta)と呼ばれていますが、アムリタはまた甘露とも訳されます。

そのようなことから『施餓鬼儀軌』(セガキギキ)の甘露王如来とはこの尊と同体のようです。

阿弥陀という語は、この尊のサンスクリット名のアミターユスのうちアミタに由来するとされていますが、阿弥陀の語源はアムリタにあるとする説もあります。

大乗経典の阿弥陀如来=無量寿如来と密教のこの尊は、密接な関係が窺えますが、ここではこの尊は、浄土教のように法蔵比丘が四十八願を成就して仏になったのではなく、毘盧遮那如来の内証の顕現とされています。

弥陀定印(金剛界曼荼羅)や法界定印(胎蔵曼荼羅)をこの尊が結ぶのは、もともと密教特有の印相であったものが、のちに日本の阿弥陀如来の造像では顕教でもこの印を結ぶようになりました。

 

合掌

 

 

 

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金剛界 62 帝釈天尊像

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帝釈天尊像(インドの古い言葉、Sakra シャクラ)

宝冠をかむり羯磨衣を着ています。

右手は胸前で独鈷杵を持ち、左手は拳にして腰に置きます。

真言の金剛武器とは帝釈天のことのようです。

武器の金剛杵は自然現象のいなずまを表すともいわれていることから、帝釈天はその出生が自然現象に由来し、また武器である金剛杵を持つことから、ヒンドゥ教神話では戦闘の神であったことを反映している。

後に仏教では、仏法を守護する善神となりました。

合掌

 

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金剛界 55 辨積菩薩尊像 

辨積菩薩尊像 (インドの古い言葉 Pratibganakuta プラティバーナクータ)

この菩薩さまは辨積菩薩(べんしゃくぼさつ)です。

尊名の辨積は弁舌に巧みでそれを積み上げている意味があります。

右手で持っているのは蓮の花ですがその上に雲が出ていますが、それは三形の雲で智慧を積み上げていることを表しています。

いわゆる文殊の智慧のような意味です。

そのようなことから辨積菩薩と文殊菩薩は同体とされています。

文殊菩薩の異形で五髻文殊を代表する髪を結いあげた文殊童子像がありますが、三形の雲はこの髪の形をデフォルメしたものとも考えられています。

合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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金剛界 21 不空成就如来尊像

不空成就如来尊像 (インドの古い言葉でAmoghasiddhi アモーガシッデイ)

この如来さまは不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)です。

肌の色は緑色、左手は金剛拳にして臍(へそ)の前におき、右手は施無畏印にして中尊である大日如来の北(左)に佇んでいます。

大日如来の衆生救済の智慧である成所作智を司ります。

天鼓雷音如来や釈迦如来と同体とされますが不空成就とは、確実に仏の働きを成就する尊であるという意味です。

サンスクリットでアモーガシッデイのシッデイを音写して悉地というので密号では悉地金剛、成就金剛などといわれています。

お姿は仏の働きを象徴するために左手は衣の角を握るように描かれる尊像の例もあります。

施無畏印は、仏教実践徳目の一つである布施行のうち、もっとも重視される無畏施を表し、衆生に不安や怖れのない心を植え付けることで、仏の偉大な働きとされます。

 

合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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金剛界曼荼羅 5 羯磨波羅蜜菩薩尊像

 

羯磨波羅蜜菩薩尊像(インドの古い言葉:Karmaparamita  カルマパーラミタ)

この菩薩さまは、羯磨波羅蜜菩薩(かつまはらみつぼさつ)です。

肌の色は緑色、天女の形で羯磨衣を着ています。

左手に宝珠を載せた蓮華を持ち、右手に羯磨杵を持ちます。

 

この金剛界八十一尊曼荼羅の中尊のである毘盧遮那如来の北方に佇んでいます。

 

羯磨波羅蜜の羯磨は、インドの古い言葉でカルマン(Karman)の音写語で作業という意味です。

その作業とは、精進形を指しています。

精進波羅蜜には4種類あります。

①有情利益のために倦まず勤める利楽精進

②怠け心を退治して一切の善法のために倦まず勤める摂善精進

③もろもろの障害に打ち勝って邁進する被甲精進

④仏の妙業を一身に体現する拳精進

 

その中の①の有情利益のために勇猛邁進する姿を表現したのが羯磨金剛女尊で、その妙用を事物で象徴すれば羯磨杵となります。

三形の羯磨杵は三鈷杵を十字型に組み合わせたもので、通常は十字三鈷杵と呼びます。

十二鈷杵ともいいます。

三鈷は三業(如来の身、口、意の働き)を示し、二つの三鈷杵を交えることは衆生の三業と仏の三密とが融合して一体となることを示しています。

合掌

 

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金剛界 74 焔魔天 (動画)

 

 

焔摩天 (インドの古い言葉:Ymama ヤマ)

の天部の仏さまは、焔摩天(えんまてん)です。

肌の色は赤黒く、右手に檀挐杖を執り、左手は拳を腰に当てます。

檀挐杖の先端には半月、人頭があります。

外金剛部二十天の一つで、北方に位置します。

五類天の中では水居天に属する際叱迦主(せいたか)の一。

十二天、八方天の一で、南方を守護します。

密号と呼ばれる名前では、金剛葛羅と呼ばれ、葛羅はサンスクリット語のカーラの音写で、時間を意味しています。

真言では焔摩天を時間の尊とみています。

時間は人間の死をもたらし、この世を破壊するので神格化されたものです。

合掌

 

66 彗星天

 

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金剛界 彗星天 (インドの古い言葉 ketu:ケート)

この天部の尊像は彗星天(すいせいてん)です。

肌の色は白、右手を腰におき、ばいという棒をを執ります。

左手は拳にして腰に置きます。

『金剛頂経』巻10では名前を大勝杖と呼び、『賢劫十六尊』は歳星天と呼ばれ、土星のことです。

このほとけさまに当てられる種字はモウと呼ばれてますが、それは金剛杵の杵(ムサラ)の頭文字です。

彗星天は胎蔵界曼荼羅では九執の一に数えられます。

合掌

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金剛界 54 無尽意菩薩尊像

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54 無尽意菩薩尊像 (インドの古い言葉:Aksayamati アクシヤヤマチ)

この菩薩さまは、無尽意菩薩(むじんいぼさつ)です。

肌の色は白肉色、左手は拳にして腰にあてます。

右手には、蓮華をもちますが、その蓮華の上には梵篋があります。

名前の通り、尽きることのない智慧を持った菩薩で、すべての衆生に満足を与えます。

『観音経』では世尊がこの無人意菩薩に対して観音の威神力を語った経であるとされています。

合掌

 

 

 

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金剛界 47 大精進菩薩尊像

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金剛界 47 大精進菩薩尊像

(インドの古い言葉:Sura,Suramgama    シューラ、シューランガマ)

この菩薩さまは大精進菩薩尊像(だいしょうじんぼさつ)です。

お姿を説いた書物として 『諸尊便覧』がありますが、その中に「白 頗璃色。左拳にしい腰に当て、右はショウ戟を持つ」とあります。

身体は肌色で、左手を拳にして腰に当て、右手には独鈷戟(ショウ戟)という槍をもちます。

衆生の苦しみを鎮める菩薩さまで、一切の煩悩を脱しています。

三形の独鈷戟とは槍のことで、槍のようにものを貫通するのをもって精進の意味を表しています。

釈尊もまた精進論者ともいわれているようですが、涅槃(お亡くなりになる直前)の時に最後の教えとして「世の中のものはすべて移ろい行く。怠ることなく励めよ」と述べられました。人に精進努力を説き、また自らも常に精進を怠らなかったようです。

その釈尊の精進力を尊格化した菩薩とも取れます。

合掌

 

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金剛界 45 除憂闇菩薩尊像

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除憂闇菩薩尊像 (インドの古い言葉、Sokatamonirghatana ショーカタモ―ニルガータナ)

この菩薩さまは除憂闇菩薩(じょゆうあんぼさつ)です。

肌の色は白肉色、左手を拳にして腰に当て、右手で木の枝を持ちます。

除憂闇という名前の通りすべての人々の憂悩や暗愚を取り除く徳を表しております。

この右手で持っている枝は、楊柳という説もあるようですが、無憂樹の枝です。

この枝はインドではアショーカとよばれており憂悩がないという意味を表しており、その枝で人々の煩悩を払います。

釈尊の生母摩耶夫人はルンビニー園でこの木の枝に手を差し伸べた時に、一切の憂いなく釈尊を産んだと伝えられています。

合掌

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