金剛界 80 軍荼利明王

kongoukai 81-1

軍荼利明王 ぐんだりみょうおう (梵名:Kundali)

形像 一面四臂像(一つの顔、四本の腕)

軍荼利夜叉、大咲(タイショウ)、甘露軍荼利(カンログンダリ)などの名でも呼ばれています。

五大明王の南方に配される尊です。

七世紀中陀羅尼集経の中に説かれていて、五大明王の中でも残っている文献だけでいえば比較的早く成立した尊像です。

この尊像は種々の障害を除去するものとされ、毘奈耶迦(ビナヤカ)を辟除するといわれ、歓喜天(カンキテン)を支配するものとも考えられています。

この尊像には手足などに蛇が巻き付いていることで、この蛇は我痴我見我慢我愛を表すものといわれています。

合掌

 

kongoukai 81-2

 

 

 

金剛界 10 金剛喜菩薩尊像

kongoukai-10-1

金剛喜菩薩・こんごうき(梵名:Vajrasadhu ヴァジュラサードゥ)

身色 肌色

手の形 二手を拳にして胸に当てる

尊名の(sadhu) とはあ、インドでは師が弟子の言動に対して賛成や讃歎を表現するときに使われる語である。

教典では仏が弟子の説法を是認し讃えるときに「よきかな、よきかな」とこの語を発する。

『金剛頂経』では、金剛薩埵の菩提心が大悲を起こす三昧の歓喜の境地からこの尊が現れでるとされています。

そしてこの尊は妄想分別を離れた仏・菩薩たちに歓喜してもらう讃歎を述べます。

このようにして、金剛薩埵の菩提心が大悲の行となって一切衆生に振り向けられるようになります。

それがゆえに、この尊像の讃歎の境地は、一切の衆生に等しく喜び分かち、安楽と満足が得られるとされます。

合掌

kongoukai-10-2

 

 

金剛界 80 触金剛菩薩尊像

kongoukai-80-1

 

触金剛菩薩・そくこんごう(梵名:Kelikilavajra ケーリキラヴァジュラ)

身色 白肉色

手  金剛拳にした両手を交差させ三鈷杵(五鈷杵)を抱く。

姿  冠を戴き、瓔珞を着る。

尊名のうち触とは、五官(眼・耳・鼻・舌・身)を通して悦楽の対象に触れようとする欲望を意味します。

梵名のケーリキラとは、愛の戯れの絶頂の歓喜を意味します。

漢訳ではそれを感覚的な悦楽を求める欲望と解して触とした。

それゆえに、別名を金剛喜悦ともいいます。

慾金剛菩薩の愛欲をそそる働きを受けて、この尊は愛欲が感覚的な欲望として対象に触れている悦楽を表します。

合掌

 

kongoukai-80-2

 

 

金剛界 9 金剛愛菩薩尊像

kongoukai-9-1

金剛愛菩薩−こんごうあい(梵名:Vajraragaヴァジュララーガ)

身色 肌色

手  二手に煎(矢)を矯めた姿で坐る。

尊名の愛(raga)とは、仏教では一般に貪欲を意味し、善根を積む妨げとなる三種の煩悩、すなわち三毒の一つとされています。

この貪欲は菩提を得る際の障害であり、釈尊の成道の際にも誘惑者となって現れた。

それゆえ仏教ではこの貪欲を悪魔と見て、魔羅(mara)ともいう。

このようないわれの愛を名とする尊であるから、また魔羅菩薩とも称します。

密教はそれまでの仏教では否定すべきとされたさまざまな煩悩を抑制するよりも、その心の働きをより一層菩提のために活かすことを追求するので、この貪欲にも新たな意味を見いだし、尊格化しました。

すなわち、衆生が具える愛著や貪欲は、その欲求の本源においては、金剛薩埵が菩提へ向かう欲求と同じであるとされる。

このように、愛著や貪欲という一見否定すべきように思われる心も、その本源を洞察してみれば、金剛薩埵の清浄な菩提心の三昧の境地と同じです。

この立場を煩悩即菩提といいます。

この煩悩即菩薩という考えは、大乗仏教において教理的に確立されたが、それはまた、大乗仏教以前に展開した小乗仏教の煩悩否定の教理を乗り越えた大乗仏教のこの教理が、密教に受け継がれ展開しました。

合掌

kongoukai-9-2

金剛会 29金剛舞菩薩尊像

kongoukai 29-1

金剛舞菩薩・こんごうぶ(Vajranrya ヴァジュラヌリトター)

身色 緑色

お姿 天女

手  両手で踊りの仕草

内の四供養の一尊像で,成身会などの議会の東北の月輪にえがかれる。

この尊は、大日如来が不空成就如来を供養するために出生したものであるようです。

この供養は、もてなすのに女性が舞踏を見せるように、喜びを踊りに示したものであります。

すなわち不空成就如来は精進の徳を表すことから、舞うという行為で供養の意を表しました。

合掌

 

 

 

 

kongoukai 29-2

 

 

金剛界 7 金剛薩埵尊像

kongoukai 7-1

金剛薩埵・こんごうさった(梵名:Vajrasattva ヴァジュラサットバ)

身色 肌色

右手 五鈷杵を斜めにして胸前に持つ

左手 五鈷鈴を持って膝に当てる

成身会・三昧耶会・供養会・降三世会・降三世三昧耶会では阿閦如来の四進近の第一尊として同尊の西に、四印会では毘盧遮那如来の東に、理趣会では中尊として位置します。

胎蔵曼荼羅の金剛手院の主尊でもあります。

この尊像の名称は金剛堅固な菩提心を具えた勇猛な衆生という意味であるようで、その性格のゆえに普賢菩薩と同体とされるようになった。

金剛手・執金剛・金剛手秘密主・持金剛・普賢薩埵などとも称されています。

衆生が本来具えている本質でもあり、本有の菩提心を体とするから、一切衆生の本質でもあり、大日如来(毘盧遮那如来)の眷属の上首でもあり、大日如来の説法を聴聞する筆頭に位置します。

それゆえに、真言宗では大日如来の教えを広めた付法の第二祖とします。

このように、菩提心を発して密教の教えを受け止める衆生の代表者の立場にあり、しかも密教を大日如来から正統に受け継ぐ真言修行者の理想像としての性格も持ちます。

成身会・微細会・四印会・理趣会で左手に持つ金剛鈴は衆生の迷妄を驚覚させ菩提心を発させるためであるようです。

右手の金剛杵は如来の五智を表します。

合掌

 

kongoukai 7-2

 

 

金剛界 6 阿閦如来尊像 

kongoukai 6-1

阿閦如来・あしゅくにょらい(梵名:Aksobhya アクショーブヤ)

身色 青色

左手 拳にして臍(へそ)の前におく

右手 触地印

梵名のアクショーブヤは「動かざる尊」の意味で、『阿閦仏国経』によると、かつて遥か東方の仏国土で大目如来の六波羅蜜の説法に触れ、無瞋恚(むしんに)の誓願をたて、不動の境地を修行し、成仏したとされる。

その仏国土を善快(妙喜国)という。

密教成立以前に、古くからこの尊の進行がインドには見られ『道行般若経』『法華経』『維摩経』など多くの仏典に登場します。

密教では、大日如来の大円鏡智を体現しており、菩提瞋の徳を司り、四仏のうち東方に位置する尊とされます。

 

 

kongoukai 6-2

金剛界 1 大日如来(毘盧遮那如来坐像)の二回目の彫刻

kongoukai-1-2-1

二回目の彫刻

一昨日、胎蔵界の中尊である大日如来坐像の二回目の彫刻をしましたが、今回は金剛界の中尊である毘盧遮那如来坐像を彫刻してみます。

彫り進め方は胎蔵界と同じように顔の前面を彫り、顔を奥に引きました。

それにより胸に厚みを持たせました。

次に手先が大きく見えるので、左手の一差し指を右手で握り込んだ形を智拳印と呼びますが、その印の厚みをスリムにしていき、指と指の間の溝を彫る前の段階まで彫り進めました。

胎蔵界の大日如来と同様に、金剛界の中尊も彫り進めていくと、力が入りすぎて細かくなりすぎるので、曼荼羅の全体像を考えて今回も衣紋線を彫刻するまでにしておきます。

合掌

kongoukai-1-2-2 kongoukai-1-2-3

 

金剛界大日如来一回目の彫刻←クリックすると進みます。

 

金剛界 58 那羅延天

kongoukai 58-2

那羅延天(梵名:Narayana ナーラーヤナ)

この尊像は那羅延天(ならえんてん)です。

青黒色で羅刹形、左手は拳にして腰におき、右手は八輻を持って胸に当てて蓮葉に乗ります。

外金剛二十天の一尊像で、東方に位置しています。

五類天の中では三界主の一尊像です。

五類天は、外金剛部つまり金剛界曼荼羅外周の東西南北に配置される二十天を五種類に分類したもので、金剛頂経系の独自な分類です。

『金剛頂経』第10巻では、まず大自在天を挙げ、以下の二十天を三界主、飛行天、虚空天、地居天、水居天の五類としています。

これらの諸天を曼荼羅に引入して、灌頂し、仏教に入る以前の名前・性格に因んだ名前を「金剛灌頂名」として授与し、印・真言を教えます。

その灌頂名と本図典の番号を次に示します。

五類天の第一の三界主は58那羅延天、59倶摩羅天、61梵天、62帝釈天の四尊、これらの諸天は忿怒明王の位の曼荼羅では東方に位置します。

飛行天は63甘露軍荼利、64月天、66大勝杖、67金剛氷誐羅の四尊で、これらの諸天は金剛忿怒の位で南方に位置します。

虚空天は、60末度末多(まどまた)、65作甘露(さかんろ)、70最勝、75持勝の四尊で、これらの諸天は誐拏主、集団の長の位で、それぞれ東西南北に位置します。

地居天は68守蔵、69風天、71火天、72倶尾羅の四尊で、これらの諸天は努多主つまり使者の長の位で、西方に位置します。

地下天は73嚩囉賀(ばらか)、74焔摩、76必哩體火祖犁葛(ひつりていかそりか)、77水天の四尊で、これらの諸天は際吒迦(さいたか)つまり従者の位で、北方に位置します。

経文では第一に大自在天の名を挙げていますが、大自在天はこれらの二十天には数えられていないません。

大自在天の行方については不動明王に変容したと推測するのも一つであります。

手にもつ八輻輪は古代インドの武器です。

那羅延天が四本の手に持つ棍棒、円輪、法螺貝、蓮華の一つです。

掌を伏せて三度旋回するのは、那羅延天が乗り物である 金翅鳥(こんじちょう)に乗って空中を行くことを表します。

『大日経疏』が那羅延天は強大な力を持つので、十九執金剛の一に数えています。

那羅延天はヒンドゥー教の最高神・ヴィシュヌを指します。

ナーラーヤナは「原初の水の子」を意味し、ヴィシュヌの異名でもあります。

神話ではヴィシュヌは輪、棒、法螺貝を武器といて悪敵を退治し、蓮華は慈愛を表し信徒を救済します。

その肌の色は青黒色です。

ヴィシュヌ神は正義が廃れて末法の世になると、化身として人間界に現れます。

化身は幻(マーヤー)という不思議な力を具え、その不思議な幻力を用いて神秘の世界に近付こうとする人間を欺きます。

合掌

kongoukai 58-1

 

 

金剛界 76 毘那耶迦

kongoukai 76-2

毘耶那迦 (梵名:Vinayaka ヴィナーヤカ)

この尊像は毘耶那迦(びなやか)です。

白肉色で象頭人身、左手に羅蔔根(らふこん:大根)を執り、右手は仰げて歓喜丸を載せます。

外金剛部二十天の一尊像で、北方に位置しています。

五類天の中では、水居天の一尊像です。

『大聖歓喜天雙身大自在天毘那耶迦王帰依念誦供養法』は、大自在天とその妃烏摩(うま)には三千の子があり、そのうち千五百は毘那耶迦を第一とて、悪事を行う類であります。

他の千五百は扇毘耶夜迦(善に導くもの)と呼ばれ、持善天を第一としました。

この扇毘那夜迦は観音の化身であります。

観音と毘耶那迦との関係は、毘耶那迦が観音の美貌に夢中になり、観音はその性格を改めることで毘耶那迦の願いを許しました。

また別のお経には「毘那耶迦は種々の形相があり、中でも大聖天歓喜王は象頭人身で具現する。それは障いをするものを正見に導くためで、象のように鼻が極めて長い理由は、香塵を愛好するからであります。瞋恚(しんい:自分の心に逆らうものを怒りうらむ)は強力ですが、よくそれを養育し、調御するからである」ともいわれております。

合掌

kongoukai 76-1