セイタロウさんの声

seitaro-hori-288

 

はじめまして

このブログの英訳を担当しているセイタロウ(征太郎)と申します。
私は、数年前に、海外経験もほとんどないまま、日本を飛び出し、海外へと引越しをしました。

英語も、まったくわからないまま、何とか生活を続けている間、たくさんの現地で出会った人たちの
好意、そして家族の支えのおかげさまで、英語も徐々になれ何事も無く生活させていただいております。

ある日、日本のモノがすごく恋しくなり、偶然検索エンジンで、このブログと出会いました。
なんとなく、日本のモノは素晴らしいなとこのブログを拝見しているうちに、カッターナイフで仏像彫刻の記事が目に留まりました。

まさに私は、その記事の中でフウタロウさんが書かれていていた、「使う目的もないナイフをカッコ良いという理由だけで手に入れた」タイプで私の家にその使い道のない宝の持ち腐れのナイフがありました。

これはこのナイフを使う、いいきっかけかも知れないと思い。
見よう見まねで、一刀彫の仏さまをお彫りして、普段わたしを支えてくれている妻へとプレゼントしたところ、とても喜んでもらえました。

改めて、手作りのモノのもつ、暖かさや優しさを肌で実感し、私自身とてもうれしくなり、気がつくと、数体の仏様をナイフ一本で彫っていました。

そして、私は今までずっと探してきた、自分が一生のうちに本当にやりたいことが、仏像彫刻かも知れないと思うようになり、その思いは仏さまをお彫りする度に強くなりました。

このような素敵な経験をさせていただき、そして、私自身が何よりも求めていた自分がやりたいことを見つけるヒントをくれたこのブログの管理人様であられます、フウタロウさんへとお礼のメッセージを送らさせていただいたところ、とても快くお返事を賜り、とても幸せな気持ちでいっぱいにさせていただきました。

それからの日々、私の身勝手な仏像彫刻に対する質問に、たくさん快く、そしてわかりやすくご指導まで賜り、たくさんのメールのやり取りを、フウタロウさんのご好意で現在までさせていただいております。

そして、私が出来ることで、何か少しでも恩返しがしたい。
フウタロウさんがこのブログを通じて伝えたいことを、少しでも多くの人たちへ、国籍も宗教も人種も超えてお伝えするためのお手伝いができないかと思い、このブログの英訳をさせていただく運びとなりました。

私自身、学歴もなく、英語を勉強したこともないので、現地で覚えたつたない英語での翻訳ですので、正しい英文とはいえない文章で、誤りも多々あるかも知れませんがそのことも含めてフウタロウさんのご好意により、英訳を任せていただき、とても素晴らしい経験をさせていただいております。

このたび私が訪れた国の彫刻や風景、それぞれの国の手作りの仕事現場などをご紹介させていただく機会を、フウタロウさんの度重なるご好意により賜りました。

私自身初めての経験ですので、つたない文章力ゆえに、駄文になるかもしれませんが、少しでも多くの日本の皆様、そして世界中から、このブログへとアクセスいただいている皆様へと手作りのモノのもつ暖かさや、優しさが伝わるような記事が書ければと思っております。
最後になりましたが、このページをごらんいただいている皆様へ、お伝えしたいことがございます。

私は彫刻が小学生のときからクラスで一番下手でした。
英語の成績もクラスで一番下でした。

このブログと出会う前の私は、まさか自分が仏像彫刻の練習をしているなど夢にも思いませんでした
海外に出る前の私は、まさか自分が英語で生活をして、仕事をするなど夢にも思いませんでした。

人は変わっていくものだと思います。
いや、変わっているのではないのかも知れない。

自分に秘められた可能性を自分で狭めていただけかも知れません。
自分を知っていたつもりだっただけかも知れません。

そして、他人を、世界を知っていたつもりだっただけなのかも知れません。

今この瞬間は誰にでも平等に訪れます。
そしてその瞬間をどう使うかの自由も同時にあります。

もし、少しでも興味のあることや、気になったことがあれば、一度手を止め、足を止め、目を開き
その世界を覗いてみたらどうでしょうか。

もしかしたら、そこには、あなたの知らない素晴らしい経験が待っているかも知れません。

時間の無駄と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私は無駄や遊び心こそ人間が、人間らしく幸せに生きるうえでの最高の贅沢のような気がします。
皆様が、新しくそして素晴らしい経験と出会えることを、心よりお祈り申し上げます。

このような機会をご提供いただき、いつも暖かくご指導とお心遣いいただいております、フウタロウ様
身勝手な私を支えてくれる、家族、友人の皆様
そして、私の今まで出会ったすべての人たちとこれから出会う人たちにに心より感謝いたします。
私の駄文長文に最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。
合掌

征太郎

seitaro-hori-799

 

セイタロウさん撮影画像

 

ーセイタロウさんと出会ってー

私、フウタロウの事を最初にお話をする事、御許しください。

私は子供の頃から作文は特に苦手でした。

そんな苦手意識があってか学校で一度も作文や感想文などを書いてほめられた事もありませんでした。

文法が間違っていないだろうか先生からその事を指摘されないだろうか。

おどおどしながら書いていた事を今でも覚えています。

そのトラウマは学校を卒業してからも続き、その後ブログを立ち上げる16年間ずっと引きずっていました。

幸い高校時代にパソコン教育が導入されタイピングゲームで友人と競いあった経験が後に人並み程度にブラインドタッチで打てるきっかけとなりました。

仕事でタイピングする機会もあるのですが、誰かが考えた文章をその通りに(誤字も多いですが)打つのはとてもスムーズなのですが、自分には文章力が無いと最初から決めつけているので原文の文章がこうしたらもっと良くなるのではないだろうか?という疑問はおこりませんでした。

起らないというよりも疑問を感じてはいけないと考えていました。

おそらく思考停止の状態でした。

しかし自分の好きな美術やスポーツは逆に大変楽しんで、取り組んでいました。

美術が好きだった事が仏像彫刻につながりましたが、今では仏像彫刻も20年程経過いたしました。

そして自分の好きな木彫の事をより多くの人に知るだけでなく一度だけでも経験してほしいという気持ちが徐々にわき起ってきました。

そこでブログという方法で発信してみようという気持ちになったのですが、ブログを立ち上げるという事は文章を沢山書き続けなければいけないということで、大変迷いました。

別に無理して立ち上げなくてもよいのですが、それ以上に書きたいという願望をおさえられず、いきなりサーバーと契約をして後戻りできないようにしました。

あれだけ文章を書くのが苦手だった私が、ブログを更新するたびに文法が間違っていたり誤字脱字があったとしても、気にせずどんどんと更新して昔の苦手意識が少なくなりました。

多くの人が何かしらの苦手意識を持っています。

しかし積極的にそれらに挑戦してみると、道が広がったり自分の中の知らない何かに気付く事もあると思います。

私の得意な事が誰かにとっての苦手意識だったりします。

そんな事を考えながらブログの更新を続けていた時にセイタロウさんにブログを通して出会いました。

セイタロウさんとは出会ってから日が経つにつれてメールをやりとりする頻度も増え、時には仏像や木彫以外の話題にも盛り上がったりすることもあります。

日本から離れた場所に住んでいて、簡単に会う事ができませんがメールをする中で彼の一本気なところ、また不器用だと思っていても彼の何でもやってみたいという思いを行動に移す行動力は大変素晴らしい事だと思います。

行動すると苦手なところも顕著に現れてきますが、経験を沢山重ねる事でほとんどの場合解消される事が多いのも事実です。

そして自分の気持ちに素直になって行動すると様々な体験をしたいと思うようになり、その中で色んな種類の経験を積む事になります。

色んな種類の経験を積むということは無駄でなんだか時間がもったいないと思ってしまいます。

私は無駄な事というのは人間にとって生きていくうえでなくてはならない潤滑油のように思っています。

生まれてから就職しそして死ぬまで、一つのプロセスが決まっているかのように外れないように無駄の無いよう周りの目を気にしながら生きて、そして無事に人生を全うして、良い奴だったと皆に囲まれて最後を迎えるのもありだと思います。

生きているのは自分です。

自分が自分の人生を歩んでいるので、失敗も無ければ無駄な事も全くない。

 

たとえ無駄な事だと思っても、自分が楽しいと思ったりワクワクする事がこれから先あると思います。

そんなときも自分の素直な気持ちを大切に貪欲に色んな経験を積んでセイタロウさんやこのブログに訪問する読者さんらしく今後も変わらず生きてほしいと勝手ながら思っています。

セイタロウさんや造佛記の読者の皆さんには私の方こそ励みや勇気をいただき大変感謝をいたしております。

今後ともよろしく御願いいたします。

合掌

フウタロウ

追記

以前アップしましたセイタロウさんの記事を貼り付けておきますのでよかったら覗いてみてください。

英訳者セイタロウとは

 

お寺と風景と彫像 動画集 毘沙門堂 大文字山 哲学の道 東寺

新しい造佛記のロゴ

syo-8

 

 

実は時間に余裕ができたらロゴを変更したいと前々から思っていました。

Macのフォントも美しいロゴが用意されているとはいえ、書体は古い中国の書家の字を使いたいと考えていました。

それで試したかったのが昔の人達が書かれた字を組み合わせて貼付けてみようと思っていました。

今回の修正したロゴがそれなのですがこれは集字(しゅうじ)というやりかたです。

習字(しゅうじ)と間違えそうになるのですが、集める字と書いて集字です。

これは、自分の好きな書体の特に王羲之や欧陽詢などの書家が書かれた字を一字一字集めて組み合わせて一つの文にします。

それを見本にして字を書く練習にするのですが、私はそれをブログのロゴで試してみました。

昔の人のおかげで、すごく良いロゴができたと勝手ながら満足しています。

これからのブログの記事を書くモチベーションにもなります。

合掌

 

仏像を彫るとは

最近、私の同級生でこれからの生き方に悩んでいる人がたくさんいる事に驚く事がたくさんありました。

そして短期間に3人も身近で自殺未遂をした方と会う機会がありました。

私がまだ20代前半の頃、周りの同級生が普通に大学に行き就職して少しうらやましいなあと感じたり自分も普通の生き方をした方が良かったのではないだろうかと少し悩んだ時期がありました。
それから10年が過ぎさらに10年が過ぎようとしているこのタイミングで、仕事をやめていく人を何人か見ました。

受験勉強をこなして厳しい就職活動を乗り越えて、そこまでしてがんばったにもかかわらず、この年齢になって自分は何のために生きているのか、まるでロボットのように生きてきたようだと感じていたようです。
そういう人が私のように好きな仏像を彫っていることに、うらやましい感情を抱いていたようでしたが私は逆に安定した人生を歩んでいるということで安定していて羨ましいと感じていました。

しかし40近くなると人生に半分にさしかかります。
すると残りの半分の時間も予想がつくし寿命が80歳だと仮定すれば自分がどのように生き、どのように最後を迎えるのかも何となく想像がつきます。
かといって今更ながら生き甲斐を見つけるのも難しいと思います。

私は思うのですが、高校卒業したら一年間、何もせずにぼーとする時間が必要ではないだろうか。

もちろん大学もいかない仕事もしないことが条件で、心行くまでぼーと過ごす。

そんなことをしたらどうなるだろうか、親が心配する、近所の目が気になる、いわゆる世間体というものでしょうか、取り残される。

なぜ私たちは、こんなに人に認めてもらわなければいけないのだろうか、自分らしく生きるとは人から煙たがられる、気違いだと思われる、仲間はずれにあされる、孤独になることなのだろうか。

しかし人から認められようとすると日本では自分を偽らなければいけない事が多い事は事実です。

私は、一部の人が幸福になるような社会システムは不完全だと思っています。

多くの人が、自分という個と真剣に向き合い、同じように相手の個も大切にできるような、自立ある共生が必要なのではないだろうかと感じています。

今まで私は、平安時代、鎌倉時代の仏像を追い求めそれに近づこうとそればかり考えていました。

もちろんこれからも追い求めていくのは同じですが、釈尊は、個々の人たちの悩みを聞いて個々に合わせた解決方法を与えていたと聞きます。

それ故に釈尊の言葉は統一されていないところもありますが、しかし個々の人たちに幸せになってほしいという共通の認識があったのだと思います。

私は、人に幸せを与えられるような解決方法を雄弁に語る才能はありませんが、今友人のために香合佛を彫らせてもらっています。

途中段階ですが友人は香合佛を見た瞬間少し顔が和らぎました。

もし私の刻んだものが人の心を癒すためのお役にたてるものならば、これからも仏像を彫り続けたい。

古くから伝わる技術の展開と衰退

 

私は今、非常に良い環境に恵まれ毎日、仏像を彫刻させていただいております。

このような状態が20年いや10年は続いてほしいと思いますが、このように平穏な日々が今後、長く続かないのではないだろうかと、時代の空気みたいなものを以前より感じていました。

国の問題でもなく、会社の問題でもなく、従業員の問題でもなく、誰がどうすることもできない、時代の流れみたいなものです。

日本が世界中で貿易をしていく中で、日本の高すぎる労働賃金が足を引っ張っているとよく言われています。

高品質な日本の商品が世界中で売れ続けなければ沢山の社員を養うことができず、リストラをするしないという問題ではなく、せざるを得ない状態が今後、さらに加速され続けていくとも言われていますが日本の古くから伝わる技術で飯を食べられているのは、その大本には日本の工業技術の力が大きいと感じています。

スマートフォンでネットを利用する人口が増加し、今まで表ざたにならなかったことが表面化したり、大手デパートで商品を見てからネットで買うという事にためらいもなくできる人も増え、テレビなどに影響されず個人が好きなように取捨選択をできる環境が整ってきました。

また檀家に属さない生き方をする若者が大量に増えてくるのは、
誰にも止められない時代の流れだと思います。

日本人がグローバルな生き方をしていこうと思えば、おのずと日本人の高い給料を減らしていかなければならず、
それができないと外国人を雇う流れになっていきます。

これからの日本人は高い技術力と知識を持ち合わせ、なおかつ安く働かせてもらわなければ生きていけない状態がすぐ目の前に訪れてくるかもしれません。

香佛舎というウェブサイトを立ち上げたのはそうした背景もあったのですが、私の最も親しい人がかなりひどい鬱になってしまったことで、何もできなかった
自分の不甲斐なさ、そしてこの造佛記ブログ自体も、やめてしまおうと一日考えていたことがありましたが、鬱の人がかなりの割合で増えているという日本の現状に、いてもたってもいられなかったという背景があります。

私一人の力ではどうしようもありませんが、このような悲観的なブログになってしまったのは実は若い人の間で何となくわからない目に見えない不安を抱えている人が非常に多いのではないだろうかと思っているからです。

それらのことを大人が真摯に向き合わずにやる気のない若者というレッテルを最初から張っているようなところもあるのではないだろうか。

そのように片づけたほうが、楽だからです。

やる気がないというよりもむしろ、ネットで膨大な情報を収集しすぎたゆえに八方塞がりの状態、進むことも引くこともできないというところももしかしたらあるのかもしれません。

検索すれば内容はともかく答えは出てきます。

そのような人が、このブログを見て誰もやったことがない答えのないことをしている私に少し興味を持っていただき、勇気を与えられたらとささやかながら思っています。

一人の力ではどうしようもありませんが、しかし毎日ブログの更新や彫刻をすることによる積み重ねの力というものを、ネットを通して共有できればと考えています。

 

別のサイトでまだ始めていませんが副業を数か月先にできればと考えていますが、副業の許可を得てはいるもののウェブサイトを使って集客をすることは実は言っていません。
これからすることは同業者では誰もしたことがないのですが、しかし私がするか誰かがするかという時間の問題でもあり、今しなければいけないという焦りもあります。

そして新たに立ち上げた香佛舎を真似をされてもびくともしないようなコンテンツをこれからもたくさん盛り込んでいこうと思います。

 

合掌

 

 

動画の投稿そして休息

最低限投稿したい動画がアップロードできました。

これで、ようやく動画から解放され今からコンピュータから離れたいと思います。

離れるといってもブログのほうは、定期的に書いていきます。

ブログの中身もやりたいことが多すぎて、乱雑になりつつあります。

私のとりあえずやりたいことを先にして後から整理するという乱暴な作り方をして、読まれる方が非常にわかりにくいと感じられたかもしれません。

 

特に最近はブログに動画を使う方が増えてきて、とてもわかりやすいなと感じていました。。

日本の文化を動画で紹介しているサイトがいくつかありますが、とてもクオリティーが高い動画がアップされていて、見ていてとても楽しいものでした。

そんなふうに思いながらいろんな動画を見ていると、私も投稿してみたいなという気持ちがどんどんと高まっていきました。

私が動画を作るにあたり、気をつけていたことがありますが、それは説明をせずにイメージのみで理解してもらえるような動画を作りたかったのです。

しかしいざ作ってみると、一つの映像を作るのにとても時間がかかりすぎて、ここ最近は睡眠時間が足りていない状態です。

問題が発生したら、調べなおして改善していくという繰り返しの連続でした。

初めて動画を投稿したのが一か月前ですが、投稿し閲覧する一連の流れを確認するために最初はテスト動画と称し、見にくい動画をたくさん投稿してきましたが、mandaraの動画から金継の工程の動画は

私が最低限投稿したいと思っていました。

まだまだ改善の余地があるかと思いますが、今ではやりきった後の静寂のようにとても穏やかです。

この一か月は頭が動画の事でいっぱいになっていましたが、今はとても落ち着いています。

次回、動画を投稿するときは、何日かに分けて余裕を持って制作できたらと思います。

では、またブログでお会いしましょう。

 

 

ブログの道具 デジタルビデオカメラ その1

最近では仏像を造るための道具である私の七つ道具に新たなアイテムが加わりつつあります。

ブログの中に動画を挿入して日が浅いのですが、手を出す前まで全くデジタル動画には興味がありませんでした。

撮りためて後で見ることもないだろうし、画像と違い編集にものすごく時間が取られそうな気がしていました。

いろんな人のブログを見る機会が増えてきて感じていたのが、割と多くの人が動画をブログに挟んで利用していることです。

デジカメで手軽に動画を撮影したものでもきれいに撮れていて、動画の敷居が低くなっていることを感じていました。

そのようなことから自然な形で動画に挑戦してみようと思い始めました。

初めて動画に挑戦したのはコンパクトデジタルカメラの動画機能を使い撮影を試みはじめたのですが、恐る恐るパソコンに取り込んで再生してみると、思っていた以上にスムーズに動いていました。

テレビの大画面で見ることを想定していないので、その時はデジカメの動画機能で十分だと感じていました。

ただ動画撮影中はズームやズームアウトが全くできない、その機能はどうしてもほしい機能なので、それでまず最初に購入したのが中央の白のビデオカメラです。

私がビデオカメラの初心者だと実感したのが、実は17年ほど前のビデオカメラを少しいじっていたことがあるのですが、それから全く進化の工程を知らずに過ごしてきました。

デジカメではそう難しく感じませんでしたが、専用のビデオカメラは設定が複雑なので少し慣れるのに時間がかかりました。

最初に購入したデジタルビデオカメラはズームやズームアウトはできるのですが、マニュアルフォーカスでないことに少し不満が残りました。。

被写体がある手前とその背景を自由にフォーカスで遊びたかったのですが、何かないだろうかとゴールデンウィークの初日にヨドバシカメラやエディオン、中古カメラを扱っているお店などをめぐる旅に出かけていました。

今から思うとかなり楽しい旅行でした。

ヨドバシカメラでは、ビデオカメラが目的のはずだったのですが、デジカメのコーナーで2時間ぐらい寄り道をしてし楽しんでました。

一日、自由に動けるので本能のまま行動していました。

私がなぜビデオカメラを購入しなかったのかというのは、手動でダイヤルで回すマニュアルフォーカスのビデオカメラが高すぎるのと、ハイエンドのビデオカメラを求めていなかったのが理由です。

それからは中古で探そうとリサイクルショップにも回りましたが、思ったものがないので、たくさんの中古カメラを置いているお店にいくことにしました。

すると2008年式のビデオカメラを発見。

写真では一番大きな黒のタイプですが、値段も安く、ダイヤル式のフォーカスがついて、ハイエンドにもこだわっていなかったのでこれはぴったりだと感じました。

それでも購入するまではとても時間がかかりました。

デジカメ以外にもたくさんの古いフイルムカメラを置いていたのでついつい長居をしたのが原因です。

購入すると早く家に帰って性能を確かめたかったので自宅に到着してからも、私の至福の時間となったことは言うまでもありません。

 

 

 

 

固定ページ

IMG_0225

 

 

 

 

 

 

 

 

この半月ほど、固定ページをたくさん作っていました。

空白のページではありま すが曼荼羅の各尊像の一尊一

尊をアップして後から画像や文章を載せたりする予定で

す。

曼荼羅の総数は493体分でそれと同じ数のページを

作ることになります。

この作業にかなりの時間を使い、途中、こんなことをし

ていて意味があるのだろうかと少し弱気に なりそうに

なりましたが、そういう時はいったん休みます。

気が向いたら改めて単純作業を繰り返していました。

そして、ようやく完成いたしました。

完成して改めて確認すると曼荼羅の全体像の把握が

しやすくなり、後はそれぞれのページに文章と写真

で埋めていくだけ作業になるので、 最初に曼荼羅全

体の骨格を作っておいて正解だった。

 

実は欲が出て、もう一つ仏像のカテゴリーを作って曼荼

羅ではなく仏像の固定ページを今、作成中です。

それは、如来、観音、菩薩、明王、天部・・・といった

大まかなフォルダを作り 如来の中には 釈迦如来、大日

如来、阿弥陀如来・・・といった感じに、そしてまた阿

弥陀如来のフォルダをあければ、阿弥陀三尊像、五劫思

惟像など、細分化されていくというシステムです。

 

今現在は如来と観音のフォルダが完成いたしました。

曼荼羅と仏像のみで600件以上のページが出来上がり

つつあります。

曼荼羅、仏像以外を入れると、738件まで出来ています。

後もう少し、めげずにひたすら作り続けていきます。

 

謹刻 (make & gallery)

 

kinkoku ko-na-

 

 

 

 

 

 

 

謹刻 (make & gallery)

 

ホーム画面を少し変更しましたが、今度は謹刻の

ページが寂しく感じました。

 

今まで彫刻してきた仏像や香合の画像をハードデ

ィスクに撮りためていたので、それらをアップし

ていく作業をしていましたが、結構時間がかかり

ました。

 

make &  gallery が英語の意味としてふさわしい

どうかわかりませんが、これからは英語の単語

けでも掲載していければと考えています。

 

そんな私は、英語を勉強したいと思いながら 、ま

ったく手付かずの状態でいました。

 

アクセス解析を見てみると、大ざっぱに国ごとに

しかわからないのですが、アメリカやアイスラン

ドやイギリスなどなど、日本語しか使っていない

のに海外から見に来てくれる人がいる、もちろん

現地に住んでいる日本人が見ているのだと思いま

すが、それにしても私が思ってもみなかったこと

でした。

 

これを機会にブログを作成しながら英語

追加して、制作とブログと英語の一石三鳥ができ

ればと、挑戦していきたいです。

 

しかし、英語を勉強している人でも間違った英語の

表記をしている人がいたり、大手企業のホームペー

ジでさえも間違いがあることも多々あるようです。

どこが間違っているのか僕には全くわかりません。

 

そんな僕が英語表記なんて無理だと思ってしまいそ

うになります。

しかしできない理由ばかり並べても先には進めない

のでまずは、単語から、免疫をつけていきたいと思

います。

模刻のページ

謹刻

 

IMG_4959

 

 

この如来頭部は古い修理仏を模刻したものです。

八年程まえに彫刻したものだと思いますが、古

い平安や鎌倉時代の彫刻に近づけたいと思いで

きるだけ忠実に再現しようと思い制作しました。

面相は特に難しく、たくさん彫りましたが、気

高さや穏やかさ、やさしさ、厳しさ、すべてを

備えた如来の品格はいまだに試行錯誤の連続で

す。

面相そして手先は尊形の全体像に大きく影響を

与えるぐらい非常に重要なポイントになるとこ

ろでもあります。

それだけにとても奥深くまた神経質にもなりま

すが彫刻をしていて充実感があります。

この如来仏頭以外にも少しずつですが、彫刻を

進めながらこの模刻のページに掲載していきた

いと思います。

                                                                        合掌