金剛界 70 金剛衣天尊像

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金剛衣天尊像 (梵名:Vajravasi ヴァジュラヴァシー)

この尊像の名前は金剛衣天(こんごうえてん)です。

胴体は人の体ですが、頭は象です。

左手に弓を執り、右手で箭(せん)を引きます。

毘那耶迦の一種で外金剛部二十天の一つで、西方に位置します。

金剛衣天は金剛衣服天とも呼びます。

『諸尊便覧』は尊名の衣について、この尊の大悲を意味してそれは母体に宿った胎児をつつむ胞衣に喩えられています。

三形の弓箭は性愛のカーマの持ち物で『賢劫十六尊』は西門に位置し、弓箭を持つといいます。

合掌

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彫刻刀の手入れ

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彫刻刀の手入れというのは刃先が常に鋭利な状態に保つために、定期的に研ぐことです。

研ぎ方としては二通りあります。

砥石で研ぐ方法と研磨機で研ぐ方法です。

研磨機は、円盤状の砥石を電動で回転させて刃先を当てて研ぎます。

円盤状の砥石は荒砥石、中砥石、仕上げ用の柔らかい円盤の三種類があり、それらすべて回転しています。

研磨機で研ぐと早く砥ぐことができますが、やはり砥石で研いだ方が鋭い刃がつきます。

私はブログと香佛舎のウェブサイトを早く形にさせたかったので、最近はほとんど研磨機で研いでいました。

研磨機でも仕事に差し障るという事はないのですが、今日ようやくウェブサイトが一段落ついたので、改めて道具を砥石で研いでいました。

研ぐという行為は、気持ちが良いものだなあと、久しぶりにその快感に浸ることができました。

私は座禅をマスターしているわけではないので、偉そうな事を言えませんが、座禅では考えないようにしなければいけないのですが、それってものすごく難しいことで、考えないようにと思えば思うほど考えていることになります。

5秒ぐらいは考えていない状態は続いていたのかもしれませんが10秒は持ちません。

しかし砥石を研いでいるときは、今から思うと何も考えない状態が続いていたのかもしれません、研ぐという事に集中しているので、あまり他のことを考えなくてすみます。

少しでも角度が変わると良くないので角度を変えずに一定のリズムで押しては引き押しては引きの繰り返しです。

厳密には考えているのかもしれませんが、私は懐古主義にはあまりなりたくないのですが、しかし昔の人は今の人以上にたくさんの手間が日常生活に組み込まれていたと思います。

よく骨董市で見かける古い道具を見ると何気なく細工を施してあったり、ちょっとした遊び心を感じる瞬間があります。

もしかしたら、手間を楽しんでいたのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古くから伝わる技術の展開と衰退

 

私は今、非常に良い環境に恵まれ毎日、仏像を彫刻させていただいております。

このような状態が20年いや10年は続いてほしいと思いますが、このように平穏な日々が今後、長く続かないのではないだろうかと、時代の空気みたいなものを以前より感じていました。

国の問題でもなく、会社の問題でもなく、従業員の問題でもなく、誰がどうすることもできない、時代の流れみたいなものです。

日本が世界中で貿易をしていく中で、日本の高すぎる労働賃金が足を引っ張っているとよく言われています。

高品質な日本の商品が世界中で売れ続けなければ沢山の社員を養うことができず、リストラをするしないという問題ではなく、せざるを得ない状態が今後、さらに加速され続けていくとも言われていますが日本の古くから伝わる技術で飯を食べられているのは、その大本には日本の工業技術の力が大きいと感じています。

スマートフォンでネットを利用する人口が増加し、今まで表ざたにならなかったことが表面化したり、大手デパートで商品を見てからネットで買うという事にためらいもなくできる人も増え、テレビなどに影響されず個人が好きなように取捨選択をできる環境が整ってきました。

また檀家に属さない生き方をする若者が大量に増えてくるのは、
誰にも止められない時代の流れだと思います。

日本人がグローバルな生き方をしていこうと思えば、おのずと日本人の高い給料を減らしていかなければならず、
それができないと外国人を雇う流れになっていきます。

これからの日本人は高い技術力と知識を持ち合わせ、なおかつ安く働かせてもらわなければ生きていけない状態がすぐ目の前に訪れてくるかもしれません。

香佛舎というウェブサイトを立ち上げたのはそうした背景もあったのですが、私の最も親しい人がかなりひどい鬱になってしまったことで、何もできなかった
自分の不甲斐なさ、そしてこの造佛記ブログ自体も、やめてしまおうと一日考えていたことがありましたが、鬱の人がかなりの割合で増えているという日本の現状に、いてもたってもいられなかったという背景があります。

私一人の力ではどうしようもありませんが、このような悲観的なブログになってしまったのは実は若い人の間で何となくわからない目に見えない不安を抱えている人が非常に多いのではないだろうかと思っているからです。

それらのことを大人が真摯に向き合わずにやる気のない若者というレッテルを最初から張っているようなところもあるのではないだろうか。

そのように片づけたほうが、楽だからです。

やる気がないというよりもむしろ、ネットで膨大な情報を収集しすぎたゆえに八方塞がりの状態、進むことも引くこともできないというところももしかしたらあるのかもしれません。

検索すれば内容はともかく答えは出てきます。

そのような人が、このブログを見て誰もやったことがない答えのないことをしている私に少し興味を持っていただき、勇気を与えられたらとささやかながら思っています。

一人の力ではどうしようもありませんが、しかし毎日ブログの更新や彫刻をすることによる積み重ねの力というものを、ネットを通して共有できればと考えています。

 

別のサイトでまだ始めていませんが副業を数か月先にできればと考えていますが、副業の許可を得てはいるもののウェブサイトを使って集客をすることは実は言っていません。
これからすることは同業者では誰もしたことがないのですが、しかし私がするか誰かがするかという時間の問題でもあり、今しなければいけないという焦りもあります。

そして新たに立ち上げた香佛舎を真似をされてもびくともしないようなコンテンツをこれからもたくさん盛り込んでいこうと思います。

 

合掌

 

 

金剛界 18  金剛利菩薩尊像

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金剛利菩薩尊像(梵名:Vajratiksna ヴァジュラティークシュナ)

この菩薩さまは金剛利菩薩(こんごうりぼさつ)です。

金色に輝き左手にお経を載せた蓮の華を持ち、右手には剣を持ちます。

無量寿如来の南方、図では向かって左に佇んでいます。

胎蔵界曼荼羅でいう文殊菩薩です。

文殊菩薩の持つ鋭利な剣を象徴して、金剛なる鋭利な剣を持つ菩薩という意味が尊名としてつけられています。

剣には般若波羅蜜多という仏の智慧を表すようで、仏の智慧が衆生の苦やその原因の煩悩を断ち切ることをこの剣が象徴しています。

またこの剣が両刃なっているのは、二辺の両極端を断ち切る中道を表すともいわれています。

般若という智慧は、姿かたちがないですが、智慧は説法の声で衆生に受け止められています。

それゆえに、すべての如来が獲得した般若は仏の声となって出てくきますが、文殊菩薩は般若と同体とみなされるので、般若の声に即したものと考えられています。

合掌

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金剛界 3 宝波羅蜜菩薩尊像

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宝波羅蜜菩薩尊像 (梵名:Ratnaparamita ラトナパーラミター)

この菩薩さまは宝波羅蜜菩薩(ほうはらみつぼさつ)です。

天女のお姿をしていて、羯磨衣を着ています。

左手には宝珠を載せた蓮の華を持ち、右手には円いものを持ちますがこれは宝珠といわれています。

宝生如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊です。

宝波羅蜜の宝とは財宝そのもので、財福の徳を意味しています。

この尊像の種字ではタラクと呼ばれていて、タタターのタで真如を表したりまたラジャスという塵垢を表す意味が入っていて、アクの涅槃点が付いて否定を表しているようです。

つまり真如もなければ塵垢でもない空の立場を示しており、涅槃寂静をあらわしているようです。

合掌

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金剛界 73 金剛面天

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金剛面天 (梵名:Vajrankusa ヴァジュラーンクシャ)

この天部の尊像は金剛面天(こんごうめんてん)です。

猪の頭ですが身体は人の姿をしています。

鈷鉤を執り、左手は拳にして腰におきます。

『金剛頂経』には尊名をバカラで密号を金剛鉤と呼んでいます。

ヒンドゥー教神話にはバラーハ(野猪)はヴィシュヌの化身の一つで、猪の姿で現れます。

三形の鉤はカギですが、神話では大地を掘り起こす鍬を持っています。

合掌

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美しい組紐 伊藤組紐店

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美しい組紐 伊藤組紐店

伊藤組紐店は雰囲気がとても良く個人的に好きなお店の一つです。

雰囲気と言いましたが、組紐を専門に扱っているお店なのですが、お店自体の見た目が美しく、今日も気持ちよく買い物をしてきました。

今回購入したのは、平たい紐でよく美術品などの保存用の桐箱を結ぶ紐としてつかわれています。

この平たい紐の事を真田紐と呼びます。

起源は定かではないようですが、チベットの山岳民族が家畜の毛を染めて用いた細幅織物が仏教伝来と共に日本に入ってきたものが、停泊地の沖縄地方で、ミンサー織りになり、本州では綿を草木で染めて織った細幅織物となり、その後 真田紐となったようであります。

中国から宮中に伝わった組紐よりも真田紐は構造的に伸びやすく、実用的だったようです。

そういうところから甲冑などにも使用されていました。

今回手に入れた真田紐は香合仏に使用する為ですが、せっかちなわたしは早速、穴に通して調子を確かめてみました。

木との相性がとても良いので香合仏に使用しても、見栄えが良くとても満足しています。

ただ今後は結び方や長さなど、課題がのこりました。

しかし今日は香合仏と真田紐との相性が知りたかったのでとりあえずは第一関門は通過といったところです。

彫刻も途中段階なのでこれから調子を見ながら紐との相性を考えて彫り進めていければと考えています。

真田紐のことは香佛舎にも豊富に掲載しています。

http://kougou.org 香佛舎

合掌

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組紐穴付きの不動明王の香合仏 

 

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組紐穴付きの不動明王の香合仏

組紐は絹でできた紐でよく使われるのが保存用の桐箱を固定するために組紐を使って結びます。

木の素材と組紐の相性がとてもよく、香合仏に使えないだろうかと思い試しに作ってみました。

この組紐は家にあったのを試しに使ってみました。

やはり組紐との相性も良いと思いました。

今後カラーバリエーションを増やしていろんな組み合わせを考えていきたいと思います。

組紐は、素材が絹か化繊によって障り心地や質感が全然違います。

同じ緑でも良い素材を使っているかによって写真写りも若干変わってきます。

香合仏とは関係ないですが、もし組紐に興味がある方がいらっしゃいましたら伊藤組紐店で一度見てください。

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金剛界 67 熒惑天

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熒惑天 (梵名:pingala ピンガラ)

この尊像は熒惑天(けいわくてん)です。

右手は胸の前で火聚を執り、左手は拳にして腰におきます。

外金剛部二十天の一つで、南方に位置します。

合掌

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金剛界 49 智幢菩薩尊像

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智幢菩薩尊像(梵名:jnanaketu ジュニヤーナケートゥ)

この菩薩さまは智幢菩薩(ちどうぼさつ)です

左を拳にして腰にあて、右手には如意幢幡を持ちます。

一切の願を円満し、貧窮の苦しみを度脱するといわれております。

右手で持っている三形の如意幢幡とは、先端に如意宝珠を付けた

旗のことです。

戦場において軍旗は敵味方を識別し、兵士の意気を鼓舞するもの

です。

それと同じように、如意幢幡は衆生の救度と智慧の獲得を目指す

仏教の旗印の役割をはたしています。

合掌

 

 

 

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