お寺でフォトワークショップのグラスを手に入れました

 

8月27日のフォトワークショップで使うグラスをリサイクルショップで見つけて来ました。

なんと一つ100円、また一つワークショップのアイテムが揃いました。

これでお水だけでなく冷たいお茶やアイスコーヒーなどの冷たい飲み物をみなさんと楽しむことができます。

まだまだ2ヶ月先ですが仏像の投稿の合間に昼食の内容や決まったことを投稿させていただきます。

日時
平成29年8月27日(日)

会場 京都・大雄寺

住所 京都府京都市上京区三番町 京都府京都市上京区七本松通下立売上る三番町284

時間 10時~16時まで

講師 @minakowakata  さん (インスタグラムアカウント)

費用 御一人様 6000円 (昼食付)

募集人数 13名

持ち物 カメラもしくはスマートフォン、それぞれ機種は問いません。
昼食の内容はイタリアンか和食か暑い夏の時期なので今は決めかねていますが、コーヒー、紅茶、中国茶、日本茶などを楽しみながら一日過ごしていただけたらと思います。 ・
御参加される場合インスタグラムのメッセージ機能を使うか、難しければコメントでお知らせください

四天王像の粗彫りとその動画

四天王像の彫刻

粗彫りの状態で少しずつ表情を頭の中で思い描いている形に近づけていきます。

様子を動画で少し披露いたします。

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四天王像の荒彫り開始

 

四天王像をいよいよのみで削ります。

今回は木の奥行き(厚み)があるので、抑揚のある力強い四天王像を彫刻していきたいと思います。

まずは顔の周りを彫り始めていきます。

しかし顔を彫るというよりは、お腹の出っ張りを出して背筋をピンと後方に伸ばし顔を奥にして、胸の厚みも出すように意識します。

ですので、お腹の厚みを出すために顔を彫っているような感じです。

一気に顔をのみで叩き出していますが、これでもまだ前に顔が出ています。

ギリギリジャストの場所に顔を持って行かずに少し余裕を残しています。

顔の鼻先から後頭部までの顔の奥行きはまだまだ厚みが残っていますが、これぐらい残しておきます。

まずは前から見た感じをアバウトに彫り、次は横、後ろ、斜めからと、全体を彫ります。

それでもまだ耳や肘のや膝の位置、足や腕の流れなどは、それぞれ微調整可能な状態を残しつつ、全体のバランスを見ながら徐々に攻めていくといったところです。

最初にそれらの位置をきっちり決めすぎて彫り出すと、彫り進めて彫刻の中盤ぐらいで全体のバランスをみた時に微調整をしたくても攻めすぎて動かせないということがあります。

今の彫刻と昔の彫刻の違いは、私個人の感想ですがコピー機やカメラの発達により、より精密に仏像のポイントとなる先ほどの肘、膝の位置、腕や足の流れ、耳の位置、目や鼻の位置を荒彫りをする前に把握できやすいのです

例えば横から見て肘がこの位置だから角材の状態からいきなり肘を動かせないぐらい決めつけて彫出すと実際には位置が違っていたこともあります。

それはなぜかというと、撮影の段階でカメラの位置が真横から撮影していないからです。

真横だと思って彫りすすめたら違ったということはよくあることです。

ですので、写真は忠実ですが、撮影の距離や位置で違った形状になります。

写真は真横から撮影していないかもしれないという気持ちを忘れず写真はあくまで目安として、コピー機やカメラのなかった時代に立ち返り、本来持っている個人個人の持っているバランス感覚を大切にして彫り進めていきたいですね。

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四天王像の輪郭線をバンドソーで削る

四天王像の彫刻を進めていきます。
木に貼り付けた四天王像の作図に従って輪郭線をまずは、バンドソーで削ります。

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お釈迦様の下図


ずいぶん前のお釈迦様の下絵ですが、お釈迦様だけに限らず仏像の基本的な木取りの寸法の考え方です。

まずは髪の生え際の部分が額口といいますが、そこまでの高さを五つに分割します。

すると最大幅である膝の幅が額口までの高さと同じ五つ分になり足裏までの(厚み)高さが一つ分になります。

顔の幅は一つ半になり奥行きもほぼ同じですが髪の毛の分、少し多くとります。

胸の幅は二つ分になります。

胴体の厚みも二つ分になります。

目の高さが額口から半下がった所になり、口の高さは額口から一つ下がった所になります。

そういう感じで額口を基準に主だった箇所をを計測しています。

話は変わりますが、原始仏教を研究された中村元先生の『ブッダのことば・スッタニパータ』という本を思い出します。

古代インド語であるパーリ語を研究し、それを元にお釈迦様のことばを日本語に翻訳しわかりやすく本にまとめたものです。

私は会ったことはありませんがご本人の言葉や文章などからとても温厚な暖かい人柄を感じる先生です。

この本を読んでしまうと仏像を制作する意欲をもしかしたらなくすのではないだろうかと感じることがあります。

それはあまりにも素晴らしい内容なのですが、仏像という偶像崇拝をお釈迦様はあまり快く思ってはいないのだろうなって思ってしまうからです。

実は私自身20代の中頃に制作することに対する考え方の方向が一瞬わからなくなってしまった事があるからです。

人が生きるという事は様々な苦しみがつきまといますが、人生の苦しみの根源を追求し悟られたお釈迦様は人々を苦しみから救ってこられました。

偶像崇拝の事は一切言われていません。

ですので、原点であるお釈迦様の事を考えると、この下絵のように寸法を考える事自体に意味を見出せなくなるからです。

それに、仏像を作れるからといって優れた人格者である事もないからです。

私のような遊び人がお釈迦様のような崇高なものを技術だけで表現して、皆様から賞賛を受けるとあたかも自分が人格者であるかのような錯覚を起こしてしまうからです。

現実にはただ立体表現が人よりも少し上手いだけの事なんです。

しかし私なりにこう考えて今は落ち着いています。

このただ立体表現が上手いだけの私は、作るということで人に楽しんだり喜んでもらったり最終的には崇高な気持ちになってもらったりできたら嬉しいなって思います。

お釈迦様のようなことはできませんが、作ったり木彫りを教えたりする事で、多くの人々に幸せな気持ちになっていただけたらそれが今は一番の本望ですね。

ですので皆が楽しいと思えるような木彫りを模索して行きたいですね
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四天王像の下絵の完成

 

四天王像のの下絵が完成いたしました。

彫刻をする前に絵を描くというのはかなりお勧めなやり方です。

ただし時間があればの話ですが

下絵を描く前にモデルとなる快慶作の四天王像の輪郭線を拝借しました。

彫刻を前提としての下絵ですので微調整しながら描き、輪郭線が整うと彫刻のサイズに拡大コピーして、それを和紙の下にひき墨線を描いていきます。

この下絵をコピーすればどなたでも彫刻できますので試しに彫ってみてください。

しかし完成した絵よりもそのプロセスが大切だったりします。

というのも、彫刻で迷いが出て手が止まるときがあります。

それは、細かい部分がどういう風になっているのかわからなかったり、あらかじめ頭に形が入っていなかったりするからです。

しかし四体の仏像を鉛筆線で起こすという作業と墨線で描くという二つの工程を踏んでいるとそれだけで頭の中にその形が明瞭に残ります。

するとあまり迷わないので、とてもスムーズに手を動かして削るだけ、ということになります。

おそらく今回は荒彫りの状態でも見られるように仕上がるのではないかと思います。

次回もお楽しみいただけたら幸いです

 

 

 

光背の炎の揺らぎ

火炎光背の揺らぎ

個人的に平安時代、鎌倉時代の仏像が好きなので自然と光背も同じ平安や鎌倉時代のものに目がいきます。

おそらく仏像彫刻という形はすでに、この時代で完成されたからだと思います。

江戸時代にまで時代が進むと大きな仏像を作る事に対しての制限や太い木が使えないこともあり、それらを技術的なところでカバーするようになります。

非常に細かい木のパーツを沢山組み合わさって一つの大きな仏像に完成させ職人が細かさや技巧的な所に腕を競った時代でもあります。

仏像の修理をしても江戸時代の仏像のパーツの多さに驚くことが多いです。

その数は細かい破片を含めると数百パーツはいくと思います。😵

それとは反対に鎌倉時代さらに平安時代まで遡ると部品というのは胴体二本と膝前一本と両腕それぞれ一本ずつぐらいのパーツでしかできていません。

ですので古くてもかなり耐久性があります。

光背も同じように、時代が進むと沢山の部品で構成されていますが、江戸時代にまでなると炎も不動明王を包み込むような立体感を演出して作ったりと造形的な挑戦を試みている事が大く見受けられます。

個人的に仏像には美しさと高貴な気品が必要だと思っているのですが、それは技巧的であったり奇抜であったりする事が当てはまらなかったりします。

理想的ではありますが、粗彫りの状態で普遍的な美しさや気品を自分の腕で表現できたら良いなって思っています。

仏画を元に仏像制作

 

仏画と仏像はとても密接な関係にあります。

もともと彫刻は仏画などの絵を参考に立体に表現しているという事もあります。

現代では彫刻ならその元となった彫刻を、絵ならその原画である絵を参考に別々のものとして捉えられている傾向にあります。

仏画と彫刻を両方できるのが理想ですがなかなか難しい所ですね。

しかし、仏様を彫刻で表現する場合でも仏画の軽やかな線の動きを意識しているのとそうでないのとでは立体彫刻の表現に多少の違いが出てきたりする事もあります。

衣の風でなびいているリズムカルな動きなどは、彫刻だけで表現しようとしてもなかなか難しいですが、仏画の表現を取り入れて下図を描く時に参考にしたりすると、柔らかい表情を作るヒントになる場合もあります。

また彫刻だけで考えると一本の四角い原木に収まるように作ろうと思って、自分の中に制作する上での制限をかけてしまうことがあります。

仏画は奥行きや幅を大きく優雅に表現できるので、仮に彫刻のように原木に収めようと考えていたとしても、仏画の表現が頭に入っていると原木の中でその表現を演出できないかと考えたりできます。

逆に仏画を描く場合でも、彫刻の立体感が頭に入っているのと入っていないのでは、その表現方法において立体感が違ったものになったりするので、やはり両者は同じぐらい大切なものだと思います。

そして仏画は線がとても重要な要素になります。

筆で描くその線の濃淡を太い線、細い線だけで表現するのは非常に難しいことで初めて筆を持った人は、ビクビクして線がガタガタにぎこちなくなってしまうと思います。

しかも一発勝負で、大胆にスムーズに繊細に堂々と、ひと筆で仕上げていくその作業は沢山の経験を積まなければ本当に難しいです。

忿怒尊の光背の彫刻

光背の彫刻とその形の流れは、複雑きわまりなく感じますが、シンプルに考えると単純で、ある一つのパターンの複数の組み合わせで成り立っています。

炎の元となるものは、小さな球体です。


この小さな球体をどこに配置するのかということを全体的なバランスを見て配置し、その球体にまとわりついているように炎が組み合わさっています。

炎の流れは昆布に見えないようにしないといけないのですが、そのために揺らぎを大きくして、その揺らぎの内側の揺らぎを大きく作ると、動きがさらにでてきます。

 



揺らぎの先の外側のラインはできるだけ尖らさないようにするのですが、絵のように内側の丸刀ですく所は尖らしても大丈夫です。

大きな炎の光背は、シンプルなパターンの連続なので、光背の大きなフォルムの美しさを感じ、そして光背の中の一つのパターンを把握すると、より一層光背を含めて仏像彫刻を楽しめるのではないでしょうか。

 



補足ですが、最後の写真には私が紫檀で作ったマドラーが二枚あります。


この丸くなっている所は如意と呼ばれる形で、こういった表現は先ほどの光背でも使われたり、また水しぶきや雲など様々な場所にとても多く見ることができます。

この如意という形って意外と難しく、彫り手の技量というよりも形に対する考え方で大きく違った表現になってきます。

ではどうしたら美しく如意を表現できるのかという事ですが、先ほどの光背の形のように球体が入っていて、そこにまとわりついているように表現すると良いのですが、さらに球体が回転して動きを想像すると、形に対する迷いが取れて上手く彫れるのではないだろうかと私なりに解釈しています。