火炎光背の揺らぎ
個人的に平安時代、鎌倉時代の仏像が好きなので自然と光背も同じ平安や鎌倉時代のものに目がいきます。
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おそらく仏像彫刻という形はすでに、この時代で完成されたからだと思います。
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江戸時代にまで時代が進むと大きな仏像を作る事に対しての制限や太い木が使えないこともあり、それらを技術的なところでカバーするようになります。
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非常に細かい木のパーツを沢山組み合わさって一つの大きな仏像に完成させ職人が細かさや技巧的な所に腕を競った時代でもあります。
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仏像の修理をしても江戸時代の仏像のパーツの多さに驚くことが多いです。
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その数は細かい破片を含めると数百パーツはいくと思います。😵
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それとは反対に鎌倉時代さらに平安時代まで遡ると部品というのは胴体二本と膝前一本と両腕それぞれ一本ずつぐらいのパーツでしかできていません。
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ですので古くてもかなり耐久性があります。
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光背も同じように、時代が進むと沢山の部品で構成されていますが、江戸時代にまでなると炎も不動明王を包み込むような立体感を演出して作ったりと造形的な挑戦を試みている事が大く見受けられます。
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個人的に仏像には美しさと高貴な気品が必要だと思っているのですが、それは技巧的であったり奇抜であったりする事が当てはまらなかったりします。
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理想的ではありますが、粗彫りの状態で普遍的な美しさや気品を自分の腕で表現できたら良いなって思っています。