先日、彫塑教室でお世話になった方がお亡くなりになられました。
私は彫塑教室には一年ご無沙汰していたのでお亡くなりになられた事はしばらくしてから知りました。
お世話になっていたのも関わらず、はっきりとした年齢も知らなかったのですが、60代後半で、まだまだ精力的に創作活動をされていました。
そのグループの中には50年以上グループの設立当初から活動されている方がいます。
歳が80代半ばですが、今でも創作活動されています。
ですので60代後半というのは、私の中でまだまだ続けていける年齢のように錯覚していたところもあります。
お亡くなりになられた方は、前回お会いしたときは腰を痛めておられて、足を少し引きずって歩いていたのが印象的でした。
しかし言葉もはっきりしていて、自分のアトリエの今後の構想、自慢のスピーカーがある音楽を楽しむための部屋でレコードを使ってクラシック特にバッハなどを好んで聞いている事を楽しげにお話をされていました。
そのようなこともあって、これからも素晴らしい作品を制作されるのであろうと思っていました。
その方は日展にもいくつか出品されていて、具象彫刻を得意としていました。
彫塑で一緒になるときはいつも参考にさせていただいておりました。
具象彫刻というのは抽象的な表現の反対で、ギリシャ彫刻のように写実的な表現のことをさします。
写実的な表現は最近のアートと逆行するような形になるので、写実を勉強せずにいきなり抽象的であったり、デザイン的な造形のものに挑戦される方が大半です。
私もデザイン的な造形も挑戦してみたいという気持ちもありますが、しかし基本的に彫塑は仏像の表現を深めるために勉強したいと考えていたので、最初から写実的な表現にこだわっていました。
そのような事もあって今回の訃報は私にとってとても残念な気持ちになりました。
その方は沢山の作品を残されていますが、細かな制作段階、制作方法、制作道具の解説などは今となってはその方と共に彫塑を励んでいた周りの方々にそれぞれの解釈によって記憶となって継承されていると思います。
しかし、その継承も少しずつ時間の経過とともに薄れていくと思います。
もしかしたら、その方の残された作品から刺激を受けて、彫塑に挑戦したいという人が現れるかもしれません。
話が変わりますが、鎌倉時代に作られた刀が現代では非常に高く評価されています。
鎌倉時代から室町時代に年号がたった一年違いで変わったとしても、鎌倉の刀と室町の刀との差は取引金額としても大きく差が出てきます。
そんな、鎌倉時代の刀を昭和時代以降に再現しようという試みがありました。
それでも鎌倉時代当時の製法は正確には憶測の域を出る事はできません。
もしかしたら、実際の戦場を想定して作られた実用性の高い鎌倉時代の刀の製法は私たちが難しく考えすぎていて、実際にその現場を目撃してみたら、手品の種を知るように意外と単純な方法なのかもしれません。
なぜそのように感じるのかというと、沢山の仏像を彫るにつれ、仕上げは細かいのですが、途中段階の目印の当たりが、結構アバウトなところがあります。
中心線と額口、この二つを絶対的な基準と考えて、そこからアバウトに計測して、荒彫りを進めて、形が仕上げに近づくにつれて、計測が細かくなります。
仏像を作り始めて経験が少ないと、最初からミリ単位ですべてを計測しないと彫り進めないというところがあります。
計測が細かくなりすぎて制作スピードが格段に遅くなります。
すると、彫刻に勢いがなくなり、全体的に小綺麗な仏像になってしまいます。
そのように考えると、戦国時代のように実践で使われるような刀を沢山作ってきた鍛治師は、これは私の独断と偏見ですが、無駄がなくスピーディーに正確に作られているのではないだろうかと感じます。
そのように考えると、実際に残っている物と、それらがどのように制作されているのかという事の間にはとても大きな隔たりがあるように感じます。
そして、いつも思うのですが、伝統技術に関して言えば、技術が最も洗練されている時に様々の分野で多くの方々が、手順や製法を残していくのはとても大切な事のように感じます。
多くの場合、技術が拡散してしまうことに恐れることもあるかもしれませんが、現実にはより深刻に伝統技術は衰退する方が早いように思います。
それは、どんなに制作方法が事細かく記載されていても、手の動かし方などの実践で使われるような技術の多くは、実際に数多くの研鑽を積み重ねながらしか身に付く事が出来ないからです。
そして今はその伝統工法の過渡期にあるのかもしれません。
最後になりましたが、木彫家の高村光雲さんの偉業の一つに、その時代の常識を覆すようなやり方で、広く弟子を募集し沢山の人に教え、木彫の技術を継承されました。
そんな事がインターネットを使って世界中の人と木彫というカテゴリーで共有出来れば、どれだけ楽しいだろうかと最近はそんな事を思っています。