光聚仏頂 こうじゅぶつちょう (梵名:Tejorasyusnisaテージョーラーシウシュニーシャ)
身色 黄色
左手 仏頂形をのせた蓮華を持つ
右手 胸の前で掌を立て薬指、小指を屈す
台座 赤い蓮華に坐す
五仏頂の一尊、放光とも訳すように、輝く光を意味します。
太陽が昇れば夜があけるように、如来の光明は普く衆生の闇を照らし功徳を与え、その徳を司る尊像です。
合掌
今年も香合の制作が始まります。
一年に一つだけとはいっても、お茶席で沢山の人の目に触れるということもあってか、気合いが入ります。
そして仏像ではなく、木のシンプルな箱です。
一からデザインができるので普段使わない感覚を使うので良い刺激にもなります。
今回は、どのようなデザインにするか大まかには考えていますが、試し試し作りながら考えていきます。
なので、回り道も多いと思います。
このブログを見ている人にとっては答えが早くわからないのでイライラとするかもしれませんが何卒ご了承ください。
まずはじめに、四角い香合をイメージして木取りをしてみました。
下は厚みの半分を鋸でカットして蓋と身に分けました。
この状態で一度、鉋をあてて表面を奇麗に整えます。
蓋と身の両方に溝を彫る前に枠の幅を罫引でひきます。
今、罫引という道具の撮影をするのを忘れていたことに気がつきました。
罫引というのは上下の画像のような目安を引くための道具です。
側面の面に罫引をあてて、側面を基準に充てがいながらひきます。
金属の刃がついてるので、それで目安線が付きます。
次回は身の部分を彫っていきたいと思います。
白傘蓋仏頂 びゃくさんがいぶつちょう (梵名:Sitatapatrosnisa シタータパトローシュニーシャ)
身色 黄色
左手 傘を載せた蓮華を持つ
右手 仰げて、親指は伸ばしそれ以外の4本の指を屈する
台座 赤い蓮華に坐す
五仏頂の一尊、インドでは、国王や貴人を雨や日差しから護るため、侍者が背後から傘をかざす。
仏教では傘に関してこんな話があります。
村人が須菩薩のために住居をつくったが、屋根を葺くのを忘れてしまいました。
雨が降ってきたので、このことを思い出した村人は、あわてて須菩薩のところへ駆けつけてみると、そこだけ雨がふらなかったという。
須菩薩の神通力をいうための一つの説話であるが、後に仏にはこのような徳があるとされた。
尊像の上にかかっている傘を仏天蓋といい、仏徳を示すものとしました。
白傘蓋仏頂尊はこのような徳の傘をもって衆生にかざし、衆生を純白な心で覆い護る誓願を表しています。
合掌
高仏頂 こうぶつちょう(梵名:Adhyudgatosnisa アビウドガトーシュニーシャ)
身色 黄色
右手 薬指を屈し、他の四指を立てます。
左手 宝珠を載せた蓮華を持ちます。
台座 赤い蓮華に坐ります。
三仏頂の一尊。極広生仏頂・広生仏頂ともいいます。
三形の如意宝は、菩提心を表します。
広生という名のごとく、この尊は人々の菩提心を目覚めさせる徳を司ります。
尊形の右手は、御室版による。『諸尊便覧』では「右手・無名指・中指を屈し、他の三指はたてる」とあります。
現図曼荼羅では、この尊像は釈迦院の南側前列の最勝仏頂の左に置かれいるが、『大日経』では北側前列の如来白毫相菩薩の所説に従いこの場所に置きました。
種字のシュロンは『諸尊便覧』にはトロン(trum)とあります。
すなわち大転輪仏頂との混乱がみられます。
合掌
力波羅蜜菩薩 りきはらみつぼさつ (梵名:Balaparamita バラパーラミター)
身色 肌色
右手 荷葉を持つ、荷葉の上に獅子がある
左手 拳にして左腿の上に置く
台座 赤蓮華に坐る
十波羅蜜の第九、力の徳を表します。
力には二種類あり、思択(判断力)と思住(習慣力)です。
これを展開すれば、深心・深信・大悲・大慈・総持・弁才・波羅蜜・大願・神通・加持の十力の行となります。
これらを行ずる勇猛心を荷葉上の獅子で表します。
獅子とは勇勤の菩提心であり、初発心より精進大勢力を得て、くじけることのないことを表します。
例えば、百獣の王であるライオンが狙った獲物をけっして取り逃がすことがないように、衆生を救済するに一人も漏れることのないことを示しています。
合掌
如来悲菩薩 にょらいひぼさつ (梵名:Tathagatakaruna タターガタカルナー)
身色 肌色
手 両手を合わせて合掌
髪型 髪を垂らし金鬘を戴く
着衣 天衣を着す
台座 荷葉に坐す
この尊像は、四無量心(慈・悲・喜・捨)の悲無量心を表します。
悲無量心とは、あらゆる衆生の困苦を除かんとする心で、特に怒り(憤)の心を除くことです。
すなわち『秘蔵記』によれば、悲無量心観を修することにより第七末那識(まなしき)(自我意識)を転じて平等性智を得て、虚空のごとき心になります。
それがゆえにこの尊像は、大悲の心をもって一切の衆生を念じ、彼らをして虚空蔵菩薩と等しい境地に至る願いを表します。
合掌