金剛界 6 阿閦如来尊像 

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阿閦如来・あしゅくにょらい(梵名:Aksobhya アクショーブヤ)

身色 青色

左手 拳にして臍(へそ)の前におく

右手 触地印

梵名のアクショーブヤは「動かざる尊」の意味で、『阿閦仏国経』によると、かつて遥か東方の仏国土で大目如来の六波羅蜜の説法に触れ、無瞋恚(むしんに)の誓願をたて、不動の境地を修行し、成仏したとされる。

その仏国土を善快(妙喜国)という。

密教成立以前に、古くからこの尊の進行がインドには見られ『道行般若経』『法華経』『維摩経』など多くの仏典に登場します。

密教では、大日如来の大円鏡智を体現しており、菩提瞋の徳を司り、四仏のうち東方に位置する尊とされます。

 

 

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胎蔵界 120 如来語菩薩尊像

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如来語菩薩・にょらいごぼさつ(梵名:Tathagatavaktraタターガタヴァクトラ)

身色 肌色

左手 宝形をのせた蓮華を持つ。

右手 掌を仰げて胸に当てる。

台座 赤い蓮華に坐す。

如来の説法は円かであり、その言葉を聞いた衆生は皆よく理解したといいます。

如来語菩薩尊は、如来の智慧から発した言葉の徳、すなわち如来が説法している口の徳を司ります。

三形の唇は如来の言葉を象徴し、宝形は仏の智慧が言葉として具現化し、思いのままに衆生に降り注ぐことを表しています。

合掌

 

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胎蔵界 119 如来舌菩薩尊像

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如来舌菩薩・にょらいぜつぼさつ(梵名:Tathagatajihvaタターガタジフバ)

身色 肌色

左手 舌の三昧耶形を置いた蓮華を持つ。

右手 掌を仰げて胸の前におく。

如来舌菩薩は如来の説法は常に真実のみ語ることを示すために、如来舌といいます。

すなわち『大日経疏』に「如来とは真如である。如来の舌はいつも真実語であり、あざむくことなく、噓偽りがない」と説かれています。

説法の巧みさを言うのではなく、言葉のすべてが真実であるということを表現した菩薩さまです。

合掌

 

 

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胎蔵界 113 如来捨菩薩尊像

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如来捨菩薩・にょらいしゃぼさつ(梵名:タターガタトーペークシャ)

身色 肌色

左手 白珠を持つ

右手 股におく

台座 蓮葉に坐す

この尊は、四無量心の捨無量心を表します。

これは恨みの念を捨て、苦楽喜憂を離れる心です。

また、貪・瞋・痴の三毒の煩悩を捨てることでもあるようです。

『秘蔵記』によれば、捨無量観を修することにより、前五感を転じて成所作智を得て、あらゆる衆生を観想し一切の執着を離れさせる。すなわち衆生はすべて平等という立場から、彼らを虚空庫菩薩と等しい境地に導かんとする。

虚空庫菩薩とは、虚空が平等であるように、平等心という功徳を自在に衆生に施す菩薩といいます。

合掌

 

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白玉の水鳥を白檀で彫刻 後編

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この白玉の水鳥は後ろを向いて顔を体にくっつけている姿をしていて首の下に隙間が空いています。

この隙間は最後まで彫らずにきっちりと形が整ってから隙間を空けていきます。

 

 

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羽の下線を描いていくと、厚みを残すところと、彫りだす箇所が明確になってきて、画像では表現しきれない微妙なオウトツがよくわかるようになります。

すると迷いがなく彫り進む事ができます。

最後に首の隙間を貫通させて仕上げにかかります。

 

 

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今回は彫刻刀のみの仕上げで完成とします。

紙ヤスリなどを使って、表面をつるっとさせる仕上げ方もありますが、彫刻刀のみで仕上げます。

彫刻刀での仕上げだと削り後が若干残って木彫らしい仕上げになります。



香佛舎で制作行程をまとめました。

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白玉の水鳥を白檀で模刻 前編

西洋などの豪華な石と言えばダイヤモンドなどきらきらと輝く石などが高級品として扱われていますが、日本でも、ヨーロッパなどで制作された宝石に魅了されている方々も多いと思います。

キラキラ輝く宝石に比べてアジアに目を向けると特に中国で産出される石の中でも白玉は、西洋で重宝されるような輝きを放ってはいませんが、どちらかというと鈍い光り方をしています。

しかし、この濁ったような石の質感ですが、身近でみると何とも言えない魅力を感じます。

中国では代々と玉(石)が珍重され、故宮博物館などでは国宝に指定されているものもあります。

今回、この水鳥の彫刻が施されている白玉(はくぎょく)を模して白檀に刻んでいきたいと思います。

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白檀の彫刻をブログに載せるのは意外と今回が初めてで、彫刻している最中、一刀、一刀彫るにつれ新鮮な白檀の匂いが漂ってきます。

白檀にも彫りやすいものと少し彫りづらいものがありますが、赤くて濃い色ほど彫りやすく、薄くなってくると彫りにくくなり見た目も、濃い色の方が白檀らしい奇麗な色に仕上がります。

今回、彫刻をした白檀の木は前者の赤くて濃い色の部類に入る木です。

 

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削ると削り屑がでますが、白檀や、香木と言われる貴重な木になると、この削り屑も捨てないで大事に取っておきます。

香りの成分の粉に使ったり、熱を加えて匂いを楽しんだりすることができます。

 

 

 

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白檀は固い木です、それで上の様に荒彫りの段階でも一刀一刀の刻みの面積は小さなものになり、仕上げの様に小刻みに荒彫りをしていきます。

柔らかい木のような感覚で彫るととても固いですが、彫り方を変えて小さく小刻みに時間をかけて彫ると適度な力で彫り上げる事が出来ます。

 

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続く

胎蔵界 204 一髻羅刹尊像

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一髻羅刹・いちけいらせつ(梵名:Ekafataraksasa エーカジャターラークシヤサ)

身色 青黒色

髪  赤色

表情 忿怒形で轆轤の冠を戴き、眼は三つある。

手  四臂(四本の腕)

右の第一手に剣

右の第二手に鉞斧鉤

左の第一手に羂索

左の第二手に三鈷杵

尊名は「怒髪を一つに結髪する羅刹」という意味で、羅刹は、インドの神話では人を食べてしまうとまで恐れられた悪鬼、後に仏教の守護神になります。

『一髻尊陀羅尼経』には、観自在菩薩が無能勝三昧の境地にあるとき、頂よりでてきた化身とされます。

そして、観自在菩薩の働きを具現するために、諸々の悪魔・悪鬼・災厄を撃ち破る。

また、羅刹は人を食べると信じられていましたが、ここでは人の苦悩の原因の煩悩を撃ち破るためで、羂索は余すところなく衆生を救いとるための道具です。

合掌

 

 

 

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胎蔵界 198 曼荼羅菩薩尊像

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曼荼羅菩薩・まんだらぼさつ (梵名:Mahacakra マハーチャクラ)

身色 黒緑色

姿  忿怒形

眼  三つの眼

右手 第一 三鈷杵を持つ

第二 左手と組んで頭の頂上に置く

第三 剣を持つ

左手 第一 独鈷杵を持つ

第二 右手と組んで頭の頂上に置く

第三 輪を持つ。

転法輪菩薩すなわち纔発心転法輪菩薩(ざいほっしんてんぽうりん)のことで、弥勒菩薩の教令輪身です。

真言は小金剛輪の真言と呼ばれ、行者が曼荼羅観想の後、この真言を唱え、曼荼羅の諸尊がすべて出現するように祈願するもので、ここでいう輪(cakra)とは曼荼羅のことのようです。

合掌

 

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胎蔵界 151 不思議慧童女尊像

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不思議慧童女・ふしぎえどうにょ(梵名:Acintyamati アチントヤマティ)

身色 肌色

手  両手で杖を持ち杖の上には半月があり、その上に星形がある。

姿  ひざまずいて蓮華に坐す。

『諸尊便覧』や『諸説不同記』には、サンスクリット名をキンカリニー(Kimkarini)とあります。

キンカリニーとは召使の女の意味で、不思議慧童女の尊名というより、この尊の左右に配された奉教者を指すとおもわれます。

不思議慧童女の尊名は文殊八大童女の一尊ですが、その由来は不明です。

不思議慧童女を中心とした5尊は、トムロの5尊と対象に配されており、真言も同じものを用いています。

合掌

 

 

 

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胎蔵界 140 妙音菩薩尊像

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妙音菩薩・みょうおんぼさつ(梵名:Manjughosa マンジュゴーシャ)

身色 黄色

左手 お経の入った箱を持つ

右手 青蓮華を持つ

姿  童子

髪  髪を三髻にする

台座 赤い蓮華に坐す

妙徳とも呼び『大日経疏』に「この尊は、大慈悲の心から妙なる法音をもって、衆生に説法し導く」とあるように、妙音菩薩は文殊菩薩の説法の徳を表します。

『秘蔵記』や『石山七集』などでは、この尊を五字文殊あるいは五髻文殊(ごけいもんじゅ)などとも称します。

五髻文殊の名は、この院の文殊菩薩が髪を五髻にしていることによります。

五字文殊も五髻文殊も、本来はこの院の主尊の文殊菩薩を指すものと思われます。

ここでいう妙音菩薩は、文殊菩薩の五智の一智を司る尊です。

合掌

 

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