前回漆を塗ってから3週間程経過しました。
全体的に漆が固まり、内側の黒い部分を砥石とサンドペーパーを併用して滑らかにしていきます。
砥石やペーパーを使って研ぎだした状態ですが、黒い漆と木の部分がまばら模様になっています。
あまり突っ込んで研ぐと研ぎすぎになり、塗ったところがすべてはがれてしまいます。
何回も塗り重ねることを前提にこの上に黒い漆を塗り重ねます。
塗りあがりました。
漆が固まるまでしばらくの間この状態で置いておきます。
羯磨波羅蜜菩薩尊像(インドの古い言葉:Karmaparamita カルマパーラミタ)
この菩薩さまは、羯磨波羅蜜菩薩(かつまはらみつぼさつ)です。
肌の色は緑色、天女の形で羯磨衣を着ています。
左手に宝珠を載せた蓮華を持ち、右手に羯磨杵を持ちます。
この金剛界八十一尊曼荼羅の中尊のである毘盧遮那如来の北方に佇んでいます。
羯磨波羅蜜の羯磨は、インドの古い言葉でカルマン(Karman)の音写語で作業という意味です。
その作業とは、精進形を指しています。
精進波羅蜜には4種類あります。
①有情利益のために倦まず勤める利楽精進
②怠け心を退治して一切の善法のために倦まず勤める摂善精進
③もろもろの障害に打ち勝って邁進する被甲精進
④仏の妙業を一身に体現する拳精進
その中の①の有情利益のために勇猛邁進する姿を表現したのが羯磨金剛女尊で、その妙用を事物で象徴すれば羯磨杵となります。
三形の羯磨杵は三鈷杵を十字型に組み合わせたもので、通常は十字三鈷杵と呼びます。
十二鈷杵ともいいます。
三鈷は三業(如来の身、口、意の働き)を示し、二つの三鈷杵を交えることは衆生の三業と仏の三密とが融合して一体となることを示しています。
合掌
久しぶりに金継を知り合いから頼まれました。
ちょうど私の使っているマグカップも金継をしたいと思っていた所だったので、同時に直していきます。
上の写真の抹茶椀は井戸茶碗です。
知り合いから頼まれたものですが、この手の器は個人的に好きで、古くから朝鮮に伝わり日本でもお茶会などで良く使われます。
また金継をしても映える器なので、とても直し甲斐があります。
このマグカップはウェッジウッドで普段使いに私が使っていました。
このマグカップはエルメスのマグカップでこちらも個人的に使っていました。
マグカップはよく使うので早く直したいですね。
以前から直そう直そうと思っていましたが、知り合いの器を修繕するのをきっかけに一気に進めたいと思います。
これからの時期は漆日和で、漆作業をするのにとても適した時期です。
だいたいの目安として乾かすのに適した温度が20度ぐらいです。
湿気も必要で、だいたい湿度70パーセントぐらいが良いとされています。
もともと、漆の木が生える山の中の多湿地帯と同じような環境を作ってあげるのがよいのではないでしょうか。
今回の作業は、接着です。
接着も漆を使います。
しかし漆の原液をそのまま使うわけではなく、小麦粉と一緒に練ります。
練りこむことにより粘着性が出てきて、接着力も高まります。
他にもご飯を練りこんだものに漆と一緒に混ぜて、さらに練りこんだものを接着剤として使うこともあります。
こうして漆と小麦粉を混ぜて練りこんだものを使って漆を接着していきます。
これで接着作業は終了、しばらく固まるまでゆっくり待ちます。
完全に漆が固まるには一か月ぐらいかかりますが、作業ができる程度に固まるのは3日ぐらいです。
合掌
焔摩天 (インドの古い言葉:Ymama ヤマ)
の天部の仏さまは、焔摩天(えんまてん)です。
肌の色は赤黒く、右手に檀挐杖を執り、左手は拳を腰に当てます。
檀挐杖の先端には半月、人頭があります。
外金剛部二十天の一つで、北方に位置します。
五類天の中では水居天に属する際叱迦主(せいたか)の一。
十二天、八方天の一で、南方を守護します。
密号と呼ばれる名前では、金剛葛羅と呼ばれ、葛羅はサンスクリット語のカーラの音写で、時間を意味しています。
真言では焔摩天を時間の尊とみています。
時間は人間の死をもたらし、この世を破壊するので神格化されたものです。
合掌
写真が一般的になかった時代、我々のようないわゆる一般的な人が写真を気軽に撮影したり、本を取り寄せたりできなかった昭和初期ぐらいまで、物を作る職人として生活していた人は、今でいう重要文化財クラスの美術品を写真でチェックしたり、展示会で鑑賞することもなかった。
学ぶところは、丁稚奉公先の師匠のところで、中には手とり足とり教える人も中にはいたかもしれませんが、ほとんどの場合、師匠の技を見て勉強をしていました。
丁稚奉公は11歳ごろから、親元を離れて全く違う環境で、仕事をこなす能力を身に着けていきます。
こんなことを書くのも変かもしれませんが、その当時はスマートフォンはありませんでした。
ゲームもありませんでした。
ですから、仕事を身に着けるためにみっちりと10年間は師匠の下で師匠の仕事の手順や感性を受け継ぎます。
奉公先は親が決めたところに行かされるのが一般的だったようですが、親が子供の能力に見合ったところを見繕って、子供に選ばせることもあったみたいです。
個人的には、10代の間に仕事をする能力をみっちりと身に着けるやり方は一流の仕事人を育てる上ではとても良いことだと思います。
私は参考図書のことを書くつもりでいましたが、丁稚奉公の話にイメージが飛んでタイピングしていましたが、参考図書がなかった時代は師匠が手本です。
例えば仏像を彫るうえであまりにもたくさんの参考資料を取り寄せて、様々なやり方を勉強をしていくのも一つのやり方だと思いますが、それがかえって技術を身に着けるのが遅くなる可能性が高くなります。
それに対し師匠を信じそれに一心不乱に自分のものにするほうが身に着けるのが速く、仕事人としての一人前の人物に育てるのには良いと思います。
いわゆる天才は育ちにくいと言われていますが、天才を必要としなかった時代には問題はありませんでした。
今では私も情報発信していますが、日本全国にいるであろう仏師さんの情報が一瞬で確認できるようになり、参考図書の写真もカラフルで鮮明になってきて、国宝や重文の仏像などの資料写真が簡単に手に入るようになりました。
私は、これだけの資料が豊富にあると、きっと素晴らしいものがたくさん造り出せると思っていましたが、残念ながら私たちは、平安、鎌倉時代のような素晴らしい技術には到底及ばず、みなさんも経験があると思いますが、正直なところ新しい今の仏像よりも平安や鎌倉時代の仏像には及ばないと内心思っていらっしゃる方もたくさんいらっしゃるということが話の節々から垣間見えることがあります。
もちろん数百年という経過により当時きらびやかだった金箔や彩色が適度にはがれ、護摩などを焚いたときに出てくる煙などでうっすらと黒く煤がつくことによって、重々しさが出てくることもあります。
またさらに風化により金箔や彩色部分がほとんどはがれてしまい、材も部分的に欠損して、細かくひびが入り、それが写真家などの腕で素晴らしい作品として生まれ変わることもあります。
そういうことを、踏まえても鎌倉時代の仏像はわれわれの技術をはるかに超えていると思います。
それは、3Dスキャンしても3Dプリントしても、あの雰囲気を出すのは難しいと感じます。
しかしながら博物館やお寺の参拝ができる今の時代には平安、鎌倉などの優れた仏像を間近で鑑賞できる場がたくさんありますので、そのような場を大切にして、できるだけ私個人は近づけていけるように努力して、仏像を紹介できればと思います。
そんな私が、参考にしている本を少しづつ加筆してご紹介していきたいと思います。
仏像彫刻技法 1234 太田古朴 綜芸舎
仏師の系譜 佐藤昭夫 淡交社刊
日本の美術 至文堂 シリーズ
魅惑の仏像 シリーズ
日本彫刻史基礎資料集成 シリーズ
曼荼羅図典
仏像彫刻の道具
上の写真は、私の愛用の道具の一部です。
数えた事はないですが100本以上あるのではないかと思います。
仏像を本格的に彫る場合は彫刻刀が沢山必要になります。
仏師さんがテレビや雑誌、ネットなどで仏像を紹介している場面がありますが、その片隅にある道具に興味をもたれたりする方もおられます。
同業者ならなおさら、どんな道具だろうかと気になる所だと思います。
そんなたくさんの道具をどのように使うのか、どのような気持ちで接しているのかという事を少し掲載してみたいと思います。
他にも、彫刻刀以外に仏像を造る道具は沢山の道具があります。
掲載した画像は一部ですが、まずは沢山ある彫刻刀の中でも特に、頻繁に使う道具として印刀という下の写真のような道具があります。
使用頻度が高く、さらにその下の画像の平刀という道具も印刀に続けてよく使います。
この印刀や平刀は刃の部分に少しアールがある刃と真っすぐな刃があります。
そしてもう一つ代表的な彫刻刀として、すぐ上の画像の彫刻刀ですが、丸刀があります。
丸刀と書いてマルトウと普通は呼びますが、私たちはガントウと読んで使います。
丸刀は、彫り始めの粗彫りの段階では極力使わないようにしています。
丸刀を粗彫り段階で使用すると、木を彫りすぎてしまう恐れがあるのと、もう一つ粗彫り段階で丸刀を使いすぎると、木彫が慣れてない人のように見えてしまう場合があります。
つまり、初心者の段階では丸刀や三角刀などを粗彫り段階で使用すると、とても使いやすくて多用してしまいます。
そうすると、木彫の全体のバランスがうまくとれない事が多いのです。
かといって初めて彫る人にいきなり印刀や平刀を使って高度な彫刻を粗彫りでかっこ良く彫ってもらうのは技術的にもできない事なので、私は、楽しんで彫るぶんには何を使ってもよいと思います。
現に私も、昔は丸刀や三角刀を早い段階で使用して、彫りすぎて失敗したりしたり、どこを彫れば良いのかわからなくなってしまう経験は数えられないぐらいあります。
だれでも、沢山彫刻刀を握り、数をこなす事で手が慣れてきて粗彫りをかっこ良く見せたいという意識を持ち続けたら、いずれ粗彫りの段階でもかっこ良く彫れるようになります。
かといって全く丸刀を使わずに粗彫りをしてはいけないということはなくて、彫る対象の形状や、隙間など丸刀をつかわなければどうしようもないときもあります、そんな時は丸刀と粗彫りで使いますが、彫り始めのときは外側から内側へ彫りすすめます。
ではどうして外側から内側かというと、まず外側のアウトラインを粗彫りで彫ります、そして頭、肩、胴体、足先、と外側のアウトラインから内側に向かって彫り進めると、修正がしやすいのですが、例えば早い段階で衣を作ると、その段差がずっと残り、後で少し広げたいと考えても狭まったものは広くできないので、全体の体のバランスが決まってから、次の段階で衣のラインを考えます。
粗彫りがすんだ後、この丸刀が非常に役に立ちます。
丸刀の使い方ですが、このように小さな丸刀は仕上げの場面でよく使います。
例えば、光背の炎のへこみであったり、仏像の衣のへこみ部分や、仕上げでは沢山の種類を小刻みに変えながら使用します。
そのため、丸刀の幅は細いものから、太いものまであります。
そして同じ幅の丸刀でも、浅い丸から深い丸まであります。
中には極浅いきわめて平刀に近い丸刀を極浅丸と読んだり、また極々浅丸、などと呼ばれたりする丸刀もあります。
この平刀に近い極浅い丸刀は粗彫りにも使えます。
また丸刀だけではなく、平刀にも幅のものすごく狭い極めて細い彫刻刀もあります。
一般的に5里(1.5㍉)が細いのですが、中には3里とか、別注でさらに細い道具を手に入れる仏師さんもいます。
この極細い道具をでは、よく使う場所が髪の毛の線をいれたりします。
私は3里まではもっていますが、特に小さな仏像を彫られる仏師さんは、非常に細い道具を沢山使いこなします。
丸刀を彫るときは削るときに、少しひねりを加えます。
そうすると、彫り跡がきれいに残ります。
これは刺身を包丁で切るとき、刃の長さを利用して引きながら刺身を切るのに似ているような気がします。
他にも、特殊な彫刻刀として曲がりの彫刻刀などがあります。
同じ浅丸刀の彫刻刀ですが、左のように、刃の幅は広いのに、首は細くなっていたり、右のように一般的に良く見かける丸刀もあります。
この首が細くなっている道具が小道具と呼ばれています。
仏像の道具については、下記にリンクを張っておきます。
金剛界 47 大精進菩薩尊像
(インドの古い言葉:Sura,Suramgama シューラ、シューランガマ)
この菩薩さまは大精進菩薩尊像(だいしょうじんぼさつ)です。
お姿を説いた書物として 『諸尊便覧』がありますが、その中に「白 頗璃色。左拳にしい腰に当て、右はショウ戟を持つ」とあります。
身体は肌色で、左手を拳にして腰に当て、右手には独鈷戟(ショウ戟)という槍をもちます。
衆生の苦しみを鎮める菩薩さまで、一切の煩悩を脱しています。
三形の独鈷戟とは槍のことで、槍のようにものを貫通するのをもって精進の意味を表しています。
釈尊もまた精進論者ともいわれているようですが、涅槃(お亡くなりになる直前)の時に最後の教えとして「世の中のものはすべて移ろい行く。怠ることなく励めよ」と述べられました。人に精進努力を説き、また自らも常に精進を怠らなかったようです。
その釈尊の精進力を尊格化した菩薩とも取れます。
合掌
除憂闇菩薩尊像 (インドの古い言葉、Sokatamonirghatana ショーカタモ―ニルガータナ)
この菩薩さまは除憂闇菩薩(じょゆうあんぼさつ)です。
肌の色は白肉色、左手を拳にして腰に当て、右手で木の枝を持ちます。
除憂闇という名前の通りすべての人々の憂悩や暗愚を取り除く徳を表しております。
この右手で持っている枝は、楊柳という説もあるようですが、無憂樹の枝です。
この枝はインドではアショーカとよばれており憂悩がないという意味を表しており、その枝で人々の煩悩を払います。
釈尊の生母摩耶夫人はルンビニー園でこの木の枝に手を差し伸べた時に、一切の憂いなく釈尊を産んだと伝えられています。
合掌