電源スイッチの隠し引き戸

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私の知り合いの指物師の森地さんの制作された引き戸です。

電源スイッチを使わないときは引き戸を使って閉めておきます。

 

 

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実は取っての部分は骨董市で見つけたものを、取り付けています。

お寺さんはとても品のある方で、既製品の取ってではなく、このように古い取ってを上手に使われています。

古い取っ手と新しい木目の美しさが合わさって何ともいえない上品な引き戸に仕上がっています。

この引き戸を制作された木工塾もりちのリンクを最後に貼付けておきます。

木工塾もりち

 

京都の北野天満宮の骨董市で砥石を購入

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早速ですが本日、天神さんにいってきました。

朝6時過ぎに到着、こんなに早く来たのは久しぶりです。

まだまだ準備中のお店が沢山ありますが、今回は砥石屋さんに行く事が目的なので一直線に目的の砥石屋さんに足を運びました。

 

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お店に到着するととご主人が顔を覚えてくれていて、なんだか恥ずかしいのですが、「おはよう、砥石見に来たよ」といって物色させていただきました。

お店はまだ半分ぐらい品物を出している最中でしたが、見たかった砥石はすでに並んでいたので、5分程良さげな砥石を選び、試し研ぎをさせてくれるので、一通り試し研ぎをします。

その中からいくつか選び、私は木っ端という小さな砥石が欲しかったので、数は少ないのですが、私がほとんど購入してしました。

私が今日初めてのお客さんだったみたいで、それで木っ端の良い砥石が手に入りました。

 

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上が青砥で、仕上げの前に当てる砥石ですが、今回6本手に入れました。

そして、その下が仕上げ砥石です。

中でも黄色い砥石が今回一番の戦利品です。

 

 

 

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さらにその下においてあるのが、刀の仕上げ研ぎに使われる薄い砥石です。

これは、裏に和紙を漆で張合わせて指に砥石をのせます。

指に当てた砥石で刀を擦るようにして使います。

刀剣の仕上げに使われていますが、私は細い丸刀の裏研ぎに使います。

 

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今回一番欲しかった木っ端の砥石です。

 

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この砥石は初めて手に入れる色の砥石です。

試しに購入しました。

これで当分は砥石には困らないですね。

 

 

京都でお買い物 ー 菊一文字、鳩居堂 ー  

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今日は夕方、菊一文字という刃物屋さんに行こうと4日前から決めていました。

菊一文字の閉店時間が夕方6時30分までだったのですが、閉店時間が30分早くなったので何とか買いにいけるのが今日でした。

丸刀の裏を研ぐ砥石が欲しくて、別の刃物屋さんでも購入していたのですが、ほとんど私が買って、そのまま供給できていない状態でした。

それで菊一文字にあるという情報を聞いたので、早速行ってきました。

そしたら欲しかった3ミリ幅の石も置いてあって、3ミリと6ミリを、とりあえず5枚購入させてもらいました。

もう少しゆっくりと物色したかったのですが、閉店間際だったので次の鳩居堂へ急いでいきました。

鳩居堂では、お皿に入った金泥と小さな筆を購入、こちらも閉店間際なので物色せずに目的の物を購入して閉店となります。

鳩居堂は魅力的な商品が多く、店内の雰囲気も上品でいつも、お香の香りが漂っています。

今回初めて金泥のお皿を購入したのですが、いつもは葉書や封筒などの書き物を購入しています。

お気に入りの紙や筆やペンを使うと、書くという作業ではなく、書きたい雰囲気や気分にさせてもらえます。

近くにお気に入りの道具を購入できる環境に今日はなんだか感謝したい気持ちになりました。

実は、当たり前だと思っていた事が最近思うところがあって本当は恵まれていたのだなと気付かされました。

丸刀の裏を砥ぐ石なんて日本全国、どこでも手軽に購入できる物でもないし、特殊な細筆、金泥も大型ショッピングモールには置いていない。

今回購入した金泥は、香合佛に金線を描く為に購入しました。

翌日の日曜日に一日ゆっくりと金線で描きたいと思います。

 

 

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向って左がお皿に入った金泥、細筆、丸刀の裏研ぎ用の砥石

 

 

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本金の色はとても上品で、仏像の高貴な雰囲気にぴったりの色です。

ただ、金を定着させるための膠が入っていないので、薄めた膠を筆に含ませて使います。

新しい造佛記のロゴ

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実は時間に余裕ができたらロゴを変更したいと前々から思っていました。

Macのフォントも美しいロゴが用意されているとはいえ、書体は古い中国の書家の字を使いたいと考えていました。

それで試したかったのが昔の人達が書かれた字を組み合わせて貼付けてみようと思っていました。

今回の修正したロゴがそれなのですがこれは集字(しゅうじ)というやりかたです。

習字(しゅうじ)と間違えそうになるのですが、集める字と書いて集字です。

これは、自分の好きな書体の特に王羲之や欧陽詢などの書家が書かれた字を一字一字集めて組み合わせて一つの文にします。

それを見本にして字を書く練習にするのですが、私はそれをブログのロゴで試してみました。

昔の人のおかげで、すごく良いロゴができたと勝手ながら満足しています。

これからのブログの記事を書くモチベーションにもなります。

合掌

 

あべのハルカスで高野山の名宝を鑑賞

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あべのハルカスでは高野山の名宝展が開催中です。

見所がたくさんあるので楽しみにしていました。

運慶作の八大童子像、快慶作の四天王像や孔雀明王像など、名品ぞろいです。

しかし、せっかくあべのハルカスまで来たので地上300メートルの天井回廊への興味も出てきて、天井回廊と名宝展をセットでチケットを購入すると割安になるという事も背中を押され、天井回廊まで行ってみました。

 

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今日は一日雨で、スムーズに進む事が出来ました。

 

 

 

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16階から一気に60階までは、感覚としては30秒ぐらいでしょうか、意外と早く到着しました。

 

 

 

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59階から58階を撮影。

 

 

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57階は中庭のになっていて天井は吹き抜けになっています。

 

 

 

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展望台から高野山の名宝展が開催されている16階まで降りてきました。

展覧会では以下の仏像を中心に見ていきました。

室町時代作の弘法大師坐像(金剛峰寺)

唐代の諸尊仏龕(ぶつがん)(金剛峰寺)

平安時代の不動明王坐像(金剛峰寺)

不動明王を囲む運慶作の八大童子像 (金剛峰寺)

快慶作の孔雀明王坐像(金剛峰寺)

快慶作の四天王立像(金剛峰寺)

その中で唐代の諸尊仏龕は総高23.1センチの白檀で出来た観音開きの中に、中央に釈迦如来、向かって右側に観音菩薩、向かって左側に弥勒菩薩が配置され、その周りにも多くの修行者が刻まれています。

とても細かく多くの像を彫りだしているにもかかわらず、どの像を見ても良い表情をしていました。

唐時代の工人の技量の素晴らしさを垣間みる事が出来ます。

平安時代の不動明王は、平安時代の柔和な雰囲気と怒りの様相が、とても上品で吸い込まれるような魅力があります。

日本では忿怒形の姿をただの怒りとして表現していないように不動明王をみていつも感じています。

もちろん、大日如来の化身でもあるので当たり前といえばそれまでなのですが、仏像には儀軌といって、仏像を制作するのに当たって、守るべき法則があります。

その法則を守って制作しても、魅力的に表現できるという事はまた別です。

儀軌だけでは、伝えられない表情の中に垣間見える怒りの中の優しさや包容力などは、どのようにして当時の工人達が学んだのだろうか。

とても知りたいところです。

その不動明王の周りを取り囲む八大童子像は、運慶作でとても生き生きとした彫刻使いが感じられます。

1メートル前後程の高さの童子像で、彫刻としてはとても表現しやすい大きさです。

ですので、素晴らしい造形美の仏像がこのサイズには、多く作られています。

なんといっても八大童子像の魅力は肌の弾力感だと思います。

この弾力感を木彫で表現するのは非常に難しいのですが、それを運慶の才能で見事に表現されています。頭の先から、足先まで、どこを見ても力を手を抜いていない、それがまるで生きているような清々しい童子像は、本当に日本の宝だと強くおもいました。

そして、快慶作の四天王像も見事です。

写真で見ると大きく感じるのですが、実際には134センチ程の高さの像です。

快慶さんの仏像の素晴らしさは、完璧なところだと思います。

精密に計算された力強さを感じます。

これは私の独断なのですが、彫刻を始めた当初は運慶さんよりも快慶さんの方が上手だと感じていました。

それは上記のような精密に計算された美しさが理由なのですが、この四天王像は私の中で上位にはいる素晴らしい像である事は今でも変わりませんが、完璧な作品が持つ人を寄せ付けない壁を感じさせるのではないだろうかと、今日改めて見て感じました。

私の嘆きですが、よくもまあ鎌倉時代の名工達が完璧な仏像のお手本を残してくれたものだと思います。

そのおかげで私たちは目指すべき仏像の姿がより高度に、より難しく、そして楽しく学ばさせていただくことができます。

先代の技量に感嘆と尊敬を再確認した一日でした。

 

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合掌

作品を残す事と技術の継承の違い

先日、彫塑教室でお世話になった方がお亡くなりになられました。

私は彫塑教室には一年ご無沙汰していたのでお亡くなりになられた事はしばらくしてから知りました。

お世話になっていたのも関わらず、はっきりとした年齢も知らなかったのですが、60代後半で、まだまだ精力的に創作活動をされていました。

そのグループの中には50年以上グループの設立当初から活動されている方がいます。

歳が80代半ばですが、今でも創作活動されています。

ですので60代後半というのは、私の中でまだまだ続けていける年齢のように錯覚していたところもあります。

お亡くなりになられた方は、前回お会いしたときは腰を痛めておられて、足を少し引きずって歩いていたのが印象的でした。

しかし言葉もはっきりしていて、自分のアトリエの今後の構想、自慢のスピーカーがある音楽を楽しむための部屋でレコードを使ってクラシック特にバッハなどを好んで聞いている事を楽しげにお話をされていました。

そのようなこともあって、これからも素晴らしい作品を制作されるのであろうと思っていました。

その方は日展にもいくつか出品されていて、具象彫刻を得意としていました。

彫塑で一緒になるときはいつも参考にさせていただいておりました。

具象彫刻というのは抽象的な表現の反対で、ギリシャ彫刻のように写実的な表現のことをさします。

写実的な表現は最近のアートと逆行するような形になるので、写実を勉強せずにいきなり抽象的であったり、デザイン的な造形のものに挑戦される方が大半です。

私もデザイン的な造形も挑戦してみたいという気持ちもありますが、しかし基本的に彫塑は仏像の表現を深めるために勉強したいと考えていたので、最初から写実的な表現にこだわっていました。

そのような事もあって今回の訃報は私にとってとても残念な気持ちになりました。

その方は沢山の作品を残されていますが、細かな制作段階、制作方法、制作道具の解説などは今となってはその方と共に彫塑を励んでいた周りの方々にそれぞれの解釈によって記憶となって継承されていると思います。

しかし、その継承も少しずつ時間の経過とともに薄れていくと思います。

もしかしたら、その方の残された作品から刺激を受けて、彫塑に挑戦したいという人が現れるかもしれません。

話が変わりますが、鎌倉時代に作られた刀が現代では非常に高く評価されています。

鎌倉時代から室町時代に年号がたった一年違いで変わったとしても、鎌倉の刀と室町の刀との差は取引金額としても大きく差が出てきます。

そんな、鎌倉時代の刀を昭和時代以降に再現しようという試みがありました。

それでも鎌倉時代当時の製法は正確には憶測の域を出る事はできません。

もしかしたら、実際の戦場を想定して作られた実用性の高い鎌倉時代の刀の製法は私たちが難しく考えすぎていて、実際にその現場を目撃してみたら、手品の種を知るように意外と単純な方法なのかもしれません。

なぜそのように感じるのかというと、沢山の仏像を彫るにつれ、仕上げは細かいのですが、途中段階の目印の当たりが、結構アバウトなところがあります。

中心線と額口、この二つを絶対的な基準と考えて、そこからアバウトに計測して、荒彫りを進めて、形が仕上げに近づくにつれて、計測が細かくなります。

仏像を作り始めて経験が少ないと、最初からミリ単位ですべてを計測しないと彫り進めないというところがあります。

計測が細かくなりすぎて制作スピードが格段に遅くなります。

すると、彫刻に勢いがなくなり、全体的に小綺麗な仏像になってしまいます。

そのように考えると、戦国時代のように実践で使われるような刀を沢山作ってきた鍛治師は、これは私の独断と偏見ですが、無駄がなくスピーディーに正確に作られているのではないだろうかと感じます。

そのように考えると、実際に残っている物と、それらがどのように制作されているのかという事の間にはとても大きな隔たりがあるように感じます。

そして、いつも思うのですが、伝統技術に関して言えば、技術が最も洗練されている時に様々の分野で多くの方々が、手順や製法を残していくのはとても大切な事のように感じます。

多くの場合、技術が拡散してしまうことに恐れることもあるかもしれませんが、現実にはより深刻に伝統技術は衰退する方が早いように思います。

それは、どんなに制作方法が事細かく記載されていても、手の動かし方などの実践で使われるような技術の多くは、実際に数多くの研鑽を積み重ねながらしか身に付く事が出来ないからです。

そして今はその伝統工法の過渡期にあるのかもしれません。

最後になりましたが、木彫家の高村光雲さんの偉業の一つに、その時代の常識を覆すようなやり方で、広く弟子を募集し沢山の人に教え、木彫の技術を継承されました。

そんな事がインターネットを使って世界中の人と木彫というカテゴリーで共有出来れば、どれだけ楽しいだろうかと最近はそんな事を思っています。

 

遠い国からの贈り物

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思わぬプレゼントをいただきました。

遠い国で仏像彫刻を挑戦されている方からワラジを送ってもらいました。

ワラジを手に取ってみると、その瞬間、すごく丈夫なワラジだという事が実感として伝わりました。

ぎゅっと固く編み込まれているようで、全体的に固いのですが、使っているうちに柔らかくなり自分の足の形に馴染むのではないだろうかと思われます。

そして、ワンポイントに青い筋が入っていて、洒落た雰囲気で着流しにとても似合いそうなワラジです。

送っていただいた方の尊敬しているワラジ職人さんが丁寧に編んで作られたもので、本当に造りがしっかりとしていて鼻緒もとても丈夫に出来ています。

実は一昨日の新年会に使いたいと考えていましたが、転送先の郵便局にまだ届いていないという事だったので今回はあきらめました。

しかし次の機会にワラジを履くための自分企画を考える楽しみが一つ増えました。

そして貴重なワラジを送っていただいた方には大変感謝をいたします。

本当にありがとうございました。

合掌

釈迦三尊像を作り直す 3 普賢菩薩像について 

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曼荼羅を制作することで表現したかった仏像の姿に近づいている実感がわきました。

尊像数の多い曼荼羅は的確にバランスよく形を決める事とスピードが求められるのでこなしていくうちに、上達しているのが実感できました。

曼荼羅を制作している間は釈迦三尊像はそのまま手付かずの状態で離れていました。

離れたというか、どう彫れば良いのかわからなくなってきたというのが正確だと思います。

わかるまで離れていたかった。

私は自分の仏像として手元に置いておくのは少なくて良いと思っていますが、そのかわりに理想の姿に限りなく近い仏様を手元に置きたいと考えています。

その中で両界曼荼羅と釈迦三尊像は私の生涯のテーマとしては少ないのかもしれませんが、それを完成させるために多くの仏様が私の削り後から現れては消えていきます。

それは多くの仏様が経験という見えない形で私の心の中にしまい込んでいくのだと思います。

今回、釈迦三尊像はここまで制作してきましたが、改めて最初から制作し直します。

かといってこれまで作ってきた多くの仏様が無駄になった訳ではありません。

ステップアップするために必要だった経験だと強く実感じています。

合掌

 

 

 

 

 

 

釈迦三尊像を作り直す 2 普賢菩薩像について 

前回、普賢菩薩の二体目を彫り始めたところからお話をしました。
二体目は一体目を一度、制作しているので比較的スムーズに行きました。
そして仕上げの一歩手前まで彫刻をしてそこから仕上げられなくなってきたのですが、どこが原因かというと、お顔と首の関係性がおかしくなってきたからです。

首とあごの関係なのですが、本来ならばあごの下はまだ残しておくべき個所でその前に周りを彫刻すべきところでした。

なぜ、あごと首の関係がおかしくなってきたのかというと、私が完璧な平安時代のお顔を表現したかったからでした。
そのため顔を微調整して鼻の位置が高くなりすぎたり、鼻が高くなるとあごの位置が高くなってどんどん肩が下がっているように見えます。
すると胸の厚みがなくなってきてました。

そのようなことがあって、どんなに仕上げをきれいにしてもお顔が下に下がることもなく、細い首が
太くなることもないので、仕上げようという気がなくなりしまいにはそのまま放置することになりました。

日数がたてばたつほど、その欠落した形がさらに強調されているように見えました。

三体目を彫刻しようと改めて思ったのはその彫刻からしばらく経過した時のことでした。

私は普賢菩薩によっぽどこだわりがあるみたいで、大蔵集古館蔵の美しい普賢菩薩像の印象が強く
どうしても彫り上げたかったです。

そしてこの写真の向かって左の像が普賢菩薩像が三体目の像です。

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この像は私が曼荼羅を制作する前にここまで仕上げたのですが、途中曼荼羅の制作をしようと思い立ち
ました。

曼荼羅の制作で私が会得したかったことがあるのですが、それは仏像の美しいフォルムを作れるようにするには
数をこなす事だろうと思っていたのですが、ただ単に小さな仏像を造っているだけでは面白みがないので
そこで曼荼羅を制作することを思いつきました。

これは大正解でした。
最初の数体は時間がかかっていた割にバランスが少しおかしく、しかし数を彫ると的確にバランス感覚が身についているのがじっかんとして
感じました。

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彫刻刀の柄を細く削り落として複数の彫刻刀をペンケースに収められるようにする。 その4 6ミリ幅の丸刀の調整

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2分(6ミリ)の丸刀をペンケースに入るサイズに調整する。

前回同様に、ペンケースに入る長さに切り落とします。

 

 

 

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今回は、ドリルで穴を開けずに彫刻刀で差し込み穴を作ってみます。

 

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このままでは彫刻刀で溝を彫る事が出来ないので、まずは差し込み蓋を幅が広い平たい彫刻刀で半分に割ります。

 

 

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これで丸刀の溝を彫りだす準備が整いました。

 

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まずは線を引いて同じ丸刀か、もしくは少し細めの丸刀で調整彫りします。

 

 

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少しきつめで調整します。

 

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接着剤を入れてセロテープで固定して接着剤が固まるまで待ちます。

 

 

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前回同様に彫刻刀の柄をペンケースに入るサイズに調整彫りします。

 

 

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彫刻刀の柄に合わせて差し込み蓋も削り合わせます。

 

 

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下の画像は別の道具で説明しています。

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差し込み蓋と柄の隙間を埋めていきます。

 

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彫刻刀を仕上げながら細めます。

サンドペーパーで仕上げますが、この鉋の作業でほぼ仕上げます。

サンドペーパーは軽くかける程度で済むようにします。

 

 

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使い心地をチェックします。

自分がよく使う道具がちゃんと入るかどうか確かめてみます。

 

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ちゃんと丸まりました。

これで完成です。

曲名】 moment オルゴール
【サイト名】フリー音楽素材 H/MIX GALLERY
【管理者】 秋山裕和
【アドレス】http://www.hmix.net/

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