金剛界 80 触金剛菩薩尊像

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触金剛菩薩・そくこんごう(梵名:Kelikilavajra ケーリキラヴァジュラ)

身色 白肉色

手  金剛拳にした両手を交差させ三鈷杵(五鈷杵)を抱く。

姿  冠を戴き、瓔珞を着る。

尊名のうち触とは、五官(眼・耳・鼻・舌・身)を通して悦楽の対象に触れようとする欲望を意味します。

梵名のケーリキラとは、愛の戯れの絶頂の歓喜を意味します。

漢訳ではそれを感覚的な悦楽を求める欲望と解して触とした。

それゆえに、別名を金剛喜悦ともいいます。

慾金剛菩薩の愛欲をそそる働きを受けて、この尊は愛欲が感覚的な欲望として対象に触れている悦楽を表します。

合掌

 

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金剛界 9 金剛愛菩薩尊像

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金剛愛菩薩−こんごうあい(梵名:Vajraragaヴァジュララーガ)

身色 肌色

手  二手に煎(矢)を矯めた姿で坐る。

尊名の愛(raga)とは、仏教では一般に貪欲を意味し、善根を積む妨げとなる三種の煩悩、すなわち三毒の一つとされています。

この貪欲は菩提を得る際の障害であり、釈尊の成道の際にも誘惑者となって現れた。

それゆえ仏教ではこの貪欲を悪魔と見て、魔羅(mara)ともいう。

このようないわれの愛を名とする尊であるから、また魔羅菩薩とも称します。

密教はそれまでの仏教では否定すべきとされたさまざまな煩悩を抑制するよりも、その心の働きをより一層菩提のために活かすことを追求するので、この貪欲にも新たな意味を見いだし、尊格化しました。

すなわち、衆生が具える愛著や貪欲は、その欲求の本源においては、金剛薩埵が菩提へ向かう欲求と同じであるとされる。

このように、愛著や貪欲という一見否定すべきように思われる心も、その本源を洞察してみれば、金剛薩埵の清浄な菩提心の三昧の境地と同じです。

この立場を煩悩即菩提といいます。

この煩悩即菩薩という考えは、大乗仏教において教理的に確立されたが、それはまた、大乗仏教以前に展開した小乗仏教の煩悩否定の教理を乗り越えた大乗仏教のこの教理が、密教に受け継がれ展開しました。

合掌

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金剛会 29金剛舞菩薩尊像

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金剛舞菩薩・こんごうぶ(Vajranrya ヴァジュラヌリトター)

身色 緑色

お姿 天女

手  両手で踊りの仕草

内の四供養の一尊像で,成身会などの議会の東北の月輪にえがかれる。

この尊は、大日如来が不空成就如来を供養するために出生したものであるようです。

この供養は、もてなすのに女性が舞踏を見せるように、喜びを踊りに示したものであります。

すなわち不空成就如来は精進の徳を表すことから、舞うという行為で供養の意を表しました。

合掌

 

 

 

 

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金剛界 7 金剛薩埵尊像

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金剛薩埵・こんごうさった(梵名:Vajrasattva ヴァジュラサットバ)

身色 肌色

右手 五鈷杵を斜めにして胸前に持つ

左手 五鈷鈴を持って膝に当てる

成身会・三昧耶会・供養会・降三世会・降三世三昧耶会では阿閦如来の四進近の第一尊として同尊の西に、四印会では毘盧遮那如来の東に、理趣会では中尊として位置します。

胎蔵曼荼羅の金剛手院の主尊でもあります。

この尊像の名称は金剛堅固な菩提心を具えた勇猛な衆生という意味であるようで、その性格のゆえに普賢菩薩と同体とされるようになった。

金剛手・執金剛・金剛手秘密主・持金剛・普賢薩埵などとも称されています。

衆生が本来具えている本質でもあり、本有の菩提心を体とするから、一切衆生の本質でもあり、大日如来(毘盧遮那如来)の眷属の上首でもあり、大日如来の説法を聴聞する筆頭に位置します。

それゆえに、真言宗では大日如来の教えを広めた付法の第二祖とします。

このように、菩提心を発して密教の教えを受け止める衆生の代表者の立場にあり、しかも密教を大日如来から正統に受け継ぐ真言修行者の理想像としての性格も持ちます。

成身会・微細会・四印会・理趣会で左手に持つ金剛鈴は衆生の迷妄を驚覚させ菩提心を発させるためであるようです。

右手の金剛杵は如来の五智を表します。

合掌

 

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金剛界 6 阿閦如来尊像 

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阿閦如来・あしゅくにょらい(梵名:Aksobhya アクショーブヤ)

身色 青色

左手 拳にして臍(へそ)の前におく

右手 触地印

梵名のアクショーブヤは「動かざる尊」の意味で、『阿閦仏国経』によると、かつて遥か東方の仏国土で大目如来の六波羅蜜の説法に触れ、無瞋恚(むしんに)の誓願をたて、不動の境地を修行し、成仏したとされる。

その仏国土を善快(妙喜国)という。

密教成立以前に、古くからこの尊の進行がインドには見られ『道行般若経』『法華経』『維摩経』など多くの仏典に登場します。

密教では、大日如来の大円鏡智を体現しており、菩提瞋の徳を司り、四仏のうち東方に位置する尊とされます。

 

 

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胎蔵界 120 如来語菩薩尊像

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如来語菩薩・にょらいごぼさつ(梵名:Tathagatavaktraタターガタヴァクトラ)

身色 肌色

左手 宝形をのせた蓮華を持つ。

右手 掌を仰げて胸に当てる。

台座 赤い蓮華に坐す。

如来の説法は円かであり、その言葉を聞いた衆生は皆よく理解したといいます。

如来語菩薩尊は、如来の智慧から発した言葉の徳、すなわち如来が説法している口の徳を司ります。

三形の唇は如来の言葉を象徴し、宝形は仏の智慧が言葉として具現化し、思いのままに衆生に降り注ぐことを表しています。

合掌

 

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胎蔵界 119 如来舌菩薩尊像

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如来舌菩薩・にょらいぜつぼさつ(梵名:Tathagatajihvaタターガタジフバ)

身色 肌色

左手 舌の三昧耶形を置いた蓮華を持つ。

右手 掌を仰げて胸の前におく。

如来舌菩薩は如来の説法は常に真実のみ語ることを示すために、如来舌といいます。

すなわち『大日経疏』に「如来とは真如である。如来の舌はいつも真実語であり、あざむくことなく、噓偽りがない」と説かれています。

説法の巧みさを言うのではなく、言葉のすべてが真実であるということを表現した菩薩さまです。

合掌

 

 

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胎蔵界 113 如来捨菩薩尊像

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如来捨菩薩・にょらいしゃぼさつ(梵名:タターガタトーペークシャ)

身色 肌色

左手 白珠を持つ

右手 股におく

台座 蓮葉に坐す

この尊は、四無量心の捨無量心を表します。

これは恨みの念を捨て、苦楽喜憂を離れる心です。

また、貪・瞋・痴の三毒の煩悩を捨てることでもあるようです。

『秘蔵記』によれば、捨無量観を修することにより、前五感を転じて成所作智を得て、あらゆる衆生を観想し一切の執着を離れさせる。すなわち衆生はすべて平等という立場から、彼らを虚空庫菩薩と等しい境地に導かんとする。

虚空庫菩薩とは、虚空が平等であるように、平等心という功徳を自在に衆生に施す菩薩といいます。

合掌

 

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胎蔵界 204 一髻羅刹尊像

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一髻羅刹・いちけいらせつ(梵名:Ekafataraksasa エーカジャターラークシヤサ)

身色 青黒色

髪  赤色

表情 忿怒形で轆轤の冠を戴き、眼は三つある。

手  四臂(四本の腕)

右の第一手に剣

右の第二手に鉞斧鉤

左の第一手に羂索

左の第二手に三鈷杵

尊名は「怒髪を一つに結髪する羅刹」という意味で、羅刹は、インドの神話では人を食べてしまうとまで恐れられた悪鬼、後に仏教の守護神になります。

『一髻尊陀羅尼経』には、観自在菩薩が無能勝三昧の境地にあるとき、頂よりでてきた化身とされます。

そして、観自在菩薩の働きを具現するために、諸々の悪魔・悪鬼・災厄を撃ち破る。

また、羅刹は人を食べると信じられていましたが、ここでは人の苦悩の原因の煩悩を撃ち破るためで、羂索は余すところなく衆生を救いとるための道具です。

合掌

 

 

 

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胎蔵界 198 曼荼羅菩薩尊像

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曼荼羅菩薩・まんだらぼさつ (梵名:Mahacakra マハーチャクラ)

身色 黒緑色

姿  忿怒形

眼  三つの眼

右手 第一 三鈷杵を持つ

第二 左手と組んで頭の頂上に置く

第三 剣を持つ

左手 第一 独鈷杵を持つ

第二 右手と組んで頭の頂上に置く

第三 輪を持つ。

転法輪菩薩すなわち纔発心転法輪菩薩(ざいほっしんてんぽうりん)のことで、弥勒菩薩の教令輪身です。

真言は小金剛輪の真言と呼ばれ、行者が曼荼羅観想の後、この真言を唱え、曼荼羅の諸尊がすべて出現するように祈願するもので、ここでいう輪(cakra)とは曼荼羅のことのようです。

合掌

 

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