金剛界 50 無量光菩薩尊像

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無量光菩薩尊像(梵名:Amitaprabha アミタプラバ)

この菩薩さまは無量光菩薩(むりょうこうぼさつ)です。

右手で持っているのは光明蓮華で左手は伏せて腰におきます。

無量の智慧の光によって普く十方を照らすところから無量光の名がある。

『浄諸悪趣経』にはその名前を甘露光(Amrtaprabha アムリタプラバ)としています。

甘露というのは不死の妙薬のことで、この尊像は無量の寿命を与える者というようです。

無量光では光に、甘露光では甘露にその比重がおかれ、全く別の尊格となるなります。

合掌

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金剛界 68 羅刹天

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羅刹天(梵名:Raksasa ラークシャサ)

この天部の尊像は羅刹天(らせつてん)です。

左手は拳にして腰に置き、右手は、ばいを持ちます。

外金剛部二十天の一つで、西南に位置します。

尊形のばいについて『賢劫十六尊』では槌、東寺曼荼羅では刀、御室版曼荼羅は棒をもつなど違いがあります。

羅刹は性質が暴虐で人肉を食べるようです。

胎蔵界曼荼羅の涅哩帝王(ねいりちおう)に同一視されています。

合掌

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金剛界 57 普賢菩薩尊像

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普賢菩薩尊像(梵名:Samantabhadra サマンダバドラ)

この菩薩さまは普賢菩薩(ふげんぼさつ)です。

左手は拳にして腰に当てます。

右手には剣を持ちます。

普賢の普とは偏在、賢とは祝福の意味で「あまねく祝福されたもの」と訳されています。

すべての時と場所で、すべての徳を具えている尊です。

本有菩提心(本来持っている菩提の心=所求菩提心)を指します。

釈迦三尊像では脇侍として文殊菩薩と並んでいますが、文殊の剣が衆生の智慧を表しているのに対し、

普賢菩薩の三形の剣は本有の智慧を表しています。

合掌

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香佛舎 薬師如来坐像を追加しました

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香佛舎にアップする今回の香合佛は四角い檜(ひのき)の木にお薬師さんがレリーフで刻まれています。

その蓋は平たい状態から丸みをつけています。

今回お薬師さんを彫刻しようと思った理由ですが、私は曼荼羅を木彫で制作していますが、お薬師さんが一体もありません。

日本でもなじみのある薬師如来ですが、500体近い仏様が表現されている曼荼羅の中には一体もないというのも不思議な気持ちがします。

曼荼羅でご紹介できないということもあり、今回はお薬師さんを彫らせてもらいました。

日本に古く平安や鎌倉時代より現存するお薬師さんの中には持物である薬壺がなくなっている場合が多くあります。

それは、仕方がないといえば仕方がないのかもしれません、外れやすい持物が1000年近く左の手にずっと残っているというのは奇跡に近いと思います。

他の仏像でも言えますが、観音菩薩なら持物である蓮がなくなっていたり、不動明王の左手で持つ羂索が別のものになっていたりします。

しかし薬師如来の場合薬壺が紛失すると釈迦如来坐像と間違うことがあります。

お釈迦さんの姿もいくつか種類がありますが、その中に施無畏与願印というお姿が、薬壺を持っていないお薬師さんと同じになります。

補足ですが、人差し指を親指にくっつけて指で丸を作ると今度は阿弥陀如来坐像になります。

今回のお薬師さんの彫刻の参考にさせていただいた仏像は興福寺像(平安初期)、法隆寺像(平安時代)を主に参考にさせていただきました。

他にもいくつかありますが、大きなところではこの二体です。

法隆寺の薬師如来坐像は平安時代とかなり古いのですが、どうしてもさらに古い飛鳥時代の釈迦三尊像の陰に隠れてしまい、あまり大きく取り上げられることがありません。

法隆寺の薬師如来の台座は個人的にとても美しいと感じてみています。

派手な彫刻ではなくまた地味でもないのですが、全体の姿がまとまっていてちょうど良い塩梅でおさまっています。

それは台座の中に上から蓮台、華盤、返花、框など、それぞれのパーツの長さ、幅、厚み、遠くから見ても、どこのパーツも主張しすぎていないバランスの整った素晴らしい台座です。

法隆寺に参拝に行かれる際には是非、台座まで拝観してみてください。

また本体の説明は後日させてもらいます。

合掌

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香佛舎 弥勒菩薩の制作工程を追加

醍醐寺の三宝院に快慶作の弥勒菩薩坐像があります。

快慶が制作した仏象は比較的多く現存していますが、その中でも醍醐寺三宝院の弥勒菩薩は特に見ごたえがあります。

どうしてこんなにも魅力があるのだろうかと、今タイピングしながら考えています。

これは私の仏像の好みの問題なのかもしれませんが、基本的に座禅を組んでいる姿は、美しく見えるのではないだろうかとおもいます。

そして衣の表現では快慶の弥勒菩薩は通肩(つうけん)という両肩に衣が、かぶさっている姿をしています。

その姿が厳密にはちがうのですが、全体的に遠くから見ると左右対称に見えます。

そしてその袈裟の衣文線(衣のしわ)が組んだ手を中心に放射状に広がっているような印象を受けそれが、より魅力的に感じさせているのだと思います。

また持物である五輪塔がアクセントとして全体の中心にあります。

高く結いあがっている菩薩の髻(結い上げた髪の毛)、その髻をすっぽりと覆いかぶさるように宝冠がついていますが、この頭上の宝冠が高い位置にあることで像全体の表現をスマートにまとめ、それが菩薩の叡智や賢さなどを引き立てているように感じます。

他にも魅力的な要素はまだまだあるのだと思いますが、今回は弥勒菩薩の歴史的なことがらやそのご利益などは多くの方々が書き記しているので、私は、弥勒菩薩を見ていて惚れ惚れするところを、稚拙ながら記してみました。

香佛舎 弥勒菩薩の制作工程

 

 

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香佛舎 吉祥天尊像の制作工程を追加しました。

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香佛舎に吉祥天尊像の制作工程が追加されました。

仏像の中で少ない女性像の吉祥天ですが、個人的に吉祥天は彫る機会が少ないのと私の親しい人が昔から吉祥天を携帯できる守り本尊にしたいと言っていたこともあり、今内緒で制作しています。

私の中で吉祥天は、京都浄瑠璃寺と滋賀県園城寺の二体がイメージとしてあります。

時代的にも平安時代、鎌倉時代という、とても古い像ですが、全体のバランスも整っていて、お顔の表情にも気品を感じられる素晴らしいお像です。

大きさの面でも全く同じように彫ることができませんが、両方の良いところを感じながら制作していました。

彫刻の作例だけでなく仏画も参考にすることがあります。

仏画と彫刻では全然違うのではないかと思われるかもしれませんが、服装の表現や衣文線といわれる衣のしわの流れ、園城寺の吉祥天は彩色が確認できませんが、判別できないところを仏画を参考に形作っていきます。

香佛舎 吉祥天の制作工程

 

合掌

 

 

 

 

金剛界 46 香象菩薩尊像

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香象菩薩尊像(梵名:Gandhahastin ガンダハスティン)

この尊像は香象菩薩(こうぞうぼさつ)です。

右手には蓮の上に鉢器(三形の鉢器)を載せたのを持ち、左手は拳にして腰に置きます。

ガンダハスティンとは発情期の象をいいます。

その時期の象はこめかみから芳香を放ち異性を引き付けます。

その妙なる香りと偉大な力を象徴した尊です。

この尊像の密号という秘密の名前は大力金剛と呼び、大力とは象の力を勇猛精進に喩え、焼香の徳として、護戒とは声量を表す塗香の徳を示しています。

焼香は目には見えないけれど、その薫りを残すように、精進もまた目には見えないのだけど、悟りへの原動力となるものです。

塗香はその身体に塗ると熱を奪い、すがすがしい気分となります。

戒もそれを保つことによって心の清涼がえられます。

三形の鉢器は塗香の器だといわれています。

合掌

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