金剛界 61 梵天 

kongoukai 61-2

梵天(梵天:Brahma ブラフマー)

この尊像は梵天(ぼんてん)です。

梵天像のお姿ですが、右手に紅蓮華を持ち、左手は臍前におきます。

外金剛部二十天の一で、東方に位置します。

五類天の中では三界主の一。

十二天のとしては上方の守護を司ります。

密号の寂黙(mauna)は古代インドの修行者の総称の牟尼(muni)に由来しています。

牟尼は宇宙の根本存在である梵(ブラフマン)との一体感を求めて思索し、ひたすら沈黙の生活に徹しました。

釈尊もそのような宗教者の一人で釈迦牟尼と呼ばれています。

ブラフマンは元来ヴェーダ聖典の讃歌などの神秘的なことばを意味していました。

後に宇宙創造の神話が発達すると創造主として、生類の主(ブラージャーパティ)などが現れるに至りました。

根本原理であった梵は神格化され、梵天となりました。

梵天は宇宙の創造を司る最高位を占めます。

しかし、後世のヒンドゥー教の宇宙論では、創造・維持・破壊の中、創造の一部門を司る地位に後退しました。

梵天は仏教においては、釈尊の成道に際し、帝釈天と共に説法を懇願し、また仏教守護の善天として知られています。

仏教の世界観である須弥山世界にあっては、色界の初禅天に位置しています。

合掌

 

kongoukai 61-1

 

金剛界 60 金剛摧天 

kongoukai 60-2

金剛摧天 (梵名:Vajravikirana ヴァジュラヴィキラナ)

この尊像は、金剛摧天(こんごうざいてん)です。

体は人ですが、頭は象です。

右手で傘蓋を持ち、左手を添えます。

毘盧耶迦(びなやか)の一類。

外金剛部二十天で、東方に位置しています。

名前のヴィキラナは粉砕を意味しています。

密号の舜拏はサンスクリット語のシャウンダ(Saunda)が当てられ、酒精、酔いを意味しています。

合掌

kongoukai 60-1

金剛界 59 倶摩羅天

kongoukai 59-1

倶摩羅天(梵名:Kumara クマーラ)

この尊像は倶摩羅天(くまらてん)です。

青緑色で童子のお姿をしていて、左手は拳にして腰に当てます。

右手は胸前で鈴を執ります。

外金剛部二十天の一で、東方に位置しています。

古いインドの名前、梵名のクマーラは少年や童子という意味のようで『金剛頂経』巻10では童子天と呼ばれています。

サンスクリットでは、この尊像の名前をサナトクマーラ(永遠の青年)としています。

サナトクマーラは梵天の息子とも軍神スカンダともいわれています。

そして、倶摩羅天は大自在天の子とされており、その理由から『大日経疏』では混乱が見られ、スカンダを童子天と呼んでいます。

合掌

kongoukai 59-2

 

 

金剛界 27 金剛鬘菩薩尊像

kongoukai 27-2

金剛鬘菩薩尊像(梵名:Vajramala ヴァジュラマーラー)

この菩薩さまは金剛鬘菩薩(こんごうまんぼさつ)です。

天女のお姿で、両手は華鬘を持っています。

内の四供養の一尊で、成身会などの諸会の西南の月輪に位置します。

この菩薩さまは大日如来が南方の宝生如来を供養するために出生しました。

『金剛頂経』によれば宝鬘をもって供養する、とあります。

ここでは手に持つ華鬘は宝生如来の福智の二徳を讃えたもので、大日如来は金剛鬘菩薩を出生することをもって供養の意を表します。

合掌

kongoukai 27-1

金剛界 24 金剛牙菩薩尊像

kongoukai 24-2

金剛牙菩薩尊像(梵名:Vajrayaksa ヴァジュラヤクシャ)

この菩薩さまは金剛牙菩薩(こんごうげぼさつ)です。

お姿は、二手を金剛拳にして、外に向け、胸に当てます。

不空成就如来の四親近のうちの一尊で、不空成就如来の東(図では下)に佇んでいます。

梵名のヴァジュラヤクシャは金剛薬叉(ヤクシャ)という意味です。

薬叉は、インドのヴェーダ以前に遡って、古くから信じられた霊的な存在です。

初期の仏教では仏法の守護神として説話や仏塔彫刻などに端正な表情をした姿で登場します。

次第に羅刹と並んで猛々しいものと見なされ、人を食べる悪鬼と信じられました。

しかし、インドの神話では怪奇ではあるけれど、悪人のみを食べ、善人を守るとも信じられ、仏教の神話に取り入れられたようです。

『金剛頂経』には、口に金剛牙を持つ尊です。

この牙で一切の魔を摧伏するので摧一切魔菩薩ともいわれ、『理趣経』などにも登場します。

合掌

kongoukai 24-1

 

 

金剛界 23 金剛護菩薩尊像

kongoukai 23-1

金剛護菩薩尊像(梵名:Vajraraksa ヴァジュララクシャ)

この菩薩さまは金剛護菩薩(こんごうごぼさつ)です。

二本の手を胸前で金剛拳にして人差し指を伸ばし、端を相い対します。

不空成就如来の四親近のうちの一尊像です。

不空成就如来の西(画像では上)に位置します。

尊名の金剛護の「護」というのは、身を保護するものを意味します。

『金剛頂経』では、衆生界を救護し、また一切如来が金剛堅固な身を得ることであるとされています。

大乗仏教の菩薩行の理想では、菩薩は勇敢に衆生の救済に努めるのでありますが、そのためには菩薩の身を堅固に護らねばならない。

その場合に菩薩を護るのは菩薩行に努める精進であるとされました。

これが六波羅蜜のうちの精進波羅蜜です。

この尊像の密号を精進金剛としているのもそのためです。

武士が戦場で身を護るのに喩えて、甲冑で表しますが密教でも、この思想を取り入れ修法のはじめには身口意の三業を浄めて、菩薩の境地になって、甲冑を着る思いをして印契(いんけい)を結び、真言を唱えることを必ず行います。

甲冑を着て、制服し難いものに果敢に立ち向かうから、密号を難敵金剛とも呼ばれています。

また、この甲冑は菩薩行の基礎になる慈愛の心でもあるとされています。

合唱

kongoukai 23-2

 

 

金剛界 22 金剛業菩薩尊像

kongoukai 22-3

金剛業菩薩尊像(梵名:Vajrakarma ヴァジュラカルマ)

この菩薩さまは金剛業菩薩(こんごうごうぼさつ)です。

左手は金剛拳にして腰におき、右手は羯磨杵を掌に載せ胸前におきます。

不空成就如来の四親近のうちの一尊像です。

副成就如来の南(画像では左)に位置します。

『金剛頂経』では、毘盧遮那如来がヴィシュバカルマンという菩薩の誓願によって、仏の働きを加持して金剛堅固にする三摩地に入って、仏のあらゆる衆生救済の働きを可能にするとされる。

ヴィシュバカルマンとは『金剛頂経』では、四波羅蜜のうち羯磨波羅蜜菩薩となった毘盧遮那如来の属性としても説明されます。

元来インドでは、ヴェーダの時代にはブラフマンと同体とされ、宇宙の建立の働きをするとされ尊崇された尊格のです。

この遍満する働きを仏の働きに認めたのが『金剛頂経』といえます。

合掌

kongoukai 22-1

金剛界 17 金剛法菩薩尊像

kongoukai 17-2

金剛法菩薩尊像(梵名:Vajradharma ヴァジュラダルマ)

この菩薩さまは金剛法菩薩(こんごうほうぼさつ)です。

左手で胸前で蓮華を持ち、右手でその一弁を開いている姿を表しています。

無量寿如来の四親近のうちの一尊で、無量寿如来の東(図では下)に坐っています。

胎蔵界曼荼羅では観自在菩薩です。

観自在菩薩は煩悩に汚れた凡夫の世界を、本性は蓮華のごとくに清らかであると観察し、言葉にいい表せない正しい教えを説法して衆生を救済するので、このように尊名を金剛法菩薩とも称されています。

持っている蓮華は清らかな菩提心を象徴している。

凡夫の説法によって菩提心が発されずにいますが、この尊の正法の説法によって菩提心が発されます。

その有様を、この尊が左手に持つ蓮華の花弁を右手で開くことで象徴します。

合掌

kongoukai 17-1

金剛界 8 金剛王菩薩尊像

kongoukai 8-1

金剛王菩薩尊像 (梵名:Vajraraja バジュララージャ)

この菩薩さまは金剛王菩薩(こんごうおうぼさつ)です。

両手を金剛拳にして胸の前で交差させます。

胎蔵界曼荼羅の金剛手印の金剛王菩薩と同じ尊像とされています。

一切如来を引き寄せ自利行に自在となり、一切衆生を引き寄せ利他行に自在であるとされます。

一切如来と一切衆生を引き寄せることを象徴するために、三昧耶会・供養会・降三世三昧耶会には引き寄せることを象徴した印を結びます。

合掌

 

kongoukai 8-2

金剛界 56 金剛蔵菩薩尊像

 

kongoukai 56-1

金剛蔵菩薩尊像(梵名:Vajragardha ヴァジュラグルバ)

この菩薩さまは金剛蔵菩薩(こんごうぞうぼさつ)です。

金剛蔵とは金剛の胎児あるいは、金剛を懐胎しているものの意味で、金剛は大智(仏の智慧)のことです。大智の子、あるいは大智を具えているとの意味でもあります。

金剛薩埵と同体とされ、また一百六臂金剛蔵王菩薩とも同体とされています。

金剛薩埵が大智の因(菩提を求める心)

金剛蔵菩薩は大智の果(菩提そのものとしての心)です。

合掌

kongoukai 56-2