金剛界 26 金剛嬉菩薩尊像

kongoukai 26-1

金剛嬉菩薩尊像(梵名:Vajralasi ヴァジュララーシー)

この尊像は金剛嬉菩薩(こんごうきぼさつ)です。

天女の姿で両手を剛拳にして、腰の側におき、左を向いて、やや頭を下げます。

この尊像は大日如来が阿閦如来を供養するために出生したものであります。

あたかも女性が愛する男性につくすように、自然の発露としての喜びが金剛嬉菩薩という女尊として生々しく表現されるます。

『摂真実経』によれば、行者は金剛嬉菩薩を観想する場合、自らが金剛嬉菩薩になりきり、十方世界の諸仏・菩薩・衆生に喜楽を与える如くせよ、とあります。

『聖位経』には、金剛嬉菩薩から光明が流出し、遍く十方世界を照らし一切如来を供養し、凡夫の貪りに染まった世界を破し、嬉菩薩そのものである円満安楽を獲得するとあります。

合掌

 

kongoukai 26-2

金剛界 34 金剛鉤菩薩尊像

kongoukai 34-1

金剛鉤菩薩尊像 (梵名:Vajrankusa ヴァジュラーンクシャ)

この菩薩さまは金剛鉤菩薩(こんごうこうぼさつ)です。

左の手を拳にして腰に当て、右の手に鉤を執ります。

鉤・索・鎖・鈴 (こう・さく・さ・れい)の四摂菩薩の一つです。

四摂の摂とは摂取の摂で、衆生を救いとる意味と、一切の如来たちを集める意味があるようです。

この尊像は一切の衆生を曼荼羅に招集して涅槃に入らしめる。

菩提心の発生の意味で、一切の衆生に菩提心を発さしめて涅槃に入らしめるところから、そのように言われています。

合掌

kongoukai 34-2

 

金剛界 52 光網菩薩尊像

kongoukai 52-1

光網菩薩尊像(梵名:Jaliniprabha ジャーリニープラバ)

この菩薩さまは光網菩薩(こうもうぼさつ)です。

左手を拳にして腰に置き、右手には羅網(らもう)を持ちます。

網明菩薩ともいいます。

『浄諸悪趣経』には熾盛光菩薩(しじょうこう)といい、梵名はジュヴァ―リニープラバ(jvaliniprabha)とあります。

梵字ではjaと jvaとが似ているところから混乱したものと思われます。

『浄諸悪趣経』の梵本にはjalini(網)とjvalini(火炎)の両方がでてきていますがどちらとも決定しがたいようです。

網で魚を捕るように、四弘誓願の船に乗り、教えの網を張って苦界に沈没している衆生を救済せんと誓願をもった菩薩であります。

一人も残すことなく救い取る手段(方便)としては網がもっとも象徴的で密号の方便、普願もその意を表して余すところがない菩薩さまです。

合掌

kongoukai 52-1

 

 

 

 

金剛界 69 風天

kongoukai 69-1

風天(梵名:Vayu ヴァ-ユ)

この尊像は風天(ふうてん)です。

羅刹形で右手は胸先で風幢を執り、左手は拳にして腰に当てます。

外金剛部二十天の一つで、西方に位置します。

五類天の中では地居天の一つです。

種字をni(二)といいますが二は風を意味するアニラの二です。

合掌

kongoukai 69-2

kongoukai 69-1

金剛界 50 無量光菩薩尊像

kongoukai 50-1

無量光菩薩尊像(梵名:Amitaprabha アミタプラバ)

この菩薩さまは無量光菩薩(むりょうこうぼさつ)です。

右手で持っているのは光明蓮華で左手は伏せて腰におきます。

無量の智慧の光によって普く十方を照らすところから無量光の名がある。

『浄諸悪趣経』にはその名前を甘露光(Amrtaprabha アムリタプラバ)としています。

甘露というのは不死の妙薬のことで、この尊像は無量の寿命を与える者というようです。

無量光では光に、甘露光では甘露にその比重がおかれ、全く別の尊格となるなります。

合掌

kongoukai 50-2

 

金剛界 68 羅刹天

kongoukai 68-1

羅刹天(梵名:Raksasa ラークシャサ)

この天部の尊像は羅刹天(らせつてん)です。

左手は拳にして腰に置き、右手は、ばいを持ちます。

外金剛部二十天の一つで、西南に位置します。

尊形のばいについて『賢劫十六尊』では槌、東寺曼荼羅では刀、御室版曼荼羅は棒をもつなど違いがあります。

羅刹は性質が暴虐で人肉を食べるようです。

胎蔵界曼荼羅の涅哩帝王(ねいりちおう)に同一視されています。

合掌

kongoukai 68-2

 

金剛界 57 普賢菩薩尊像

kongoukai 57-2

普賢菩薩尊像(梵名:Samantabhadra サマンダバドラ)

この菩薩さまは普賢菩薩(ふげんぼさつ)です。

左手は拳にして腰に当てます。

右手には剣を持ちます。

普賢の普とは偏在、賢とは祝福の意味で「あまねく祝福されたもの」と訳されています。

すべての時と場所で、すべての徳を具えている尊です。

本有菩提心(本来持っている菩提の心=所求菩提心)を指します。

釈迦三尊像では脇侍として文殊菩薩と並んでいますが、文殊の剣が衆生の智慧を表しているのに対し、

普賢菩薩の三形の剣は本有の智慧を表しています。

合掌

kongoukai 57-1

 

 

金剛界 46 香象菩薩尊像

kongoukai 46-1

香象菩薩尊像(梵名:Gandhahastin ガンダハスティン)

この尊像は香象菩薩(こうぞうぼさつ)です。

右手には蓮の上に鉢器(三形の鉢器)を載せたのを持ち、左手は拳にして腰に置きます。

ガンダハスティンとは発情期の象をいいます。

その時期の象はこめかみから芳香を放ち異性を引き付けます。

その妙なる香りと偉大な力を象徴した尊です。

この尊像の密号という秘密の名前は大力金剛と呼び、大力とは象の力を勇猛精進に喩え、焼香の徳として、護戒とは声量を表す塗香の徳を示しています。

焼香は目には見えないけれど、その薫りを残すように、精進もまた目には見えないのだけど、悟りへの原動力となるものです。

塗香はその身体に塗ると熱を奪い、すがすがしい気分となります。

戒もそれを保つことによって心の清涼がえられます。

三形の鉢器は塗香の器だといわれています。

合掌

kongoukai 46-2

 

 

金剛界 70 金剛衣天尊像

kongoukai 70-1

金剛衣天尊像 (梵名:Vajravasi ヴァジュラヴァシー)

この尊像の名前は金剛衣天(こんごうえてん)です。

胴体は人の体ですが、頭は象です。

左手に弓を執り、右手で箭(せん)を引きます。

毘那耶迦の一種で外金剛部二十天の一つで、西方に位置します。

金剛衣天は金剛衣服天とも呼びます。

『諸尊便覧』は尊名の衣について、この尊の大悲を意味してそれは母体に宿った胎児をつつむ胞衣に喩えられています。

三形の弓箭は性愛のカーマの持ち物で『賢劫十六尊』は西門に位置し、弓箭を持つといいます。

合掌

kongoukai 70-2

 

 

金剛界 18  金剛利菩薩尊像

kongoukai 18-1

金剛利菩薩尊像(梵名:Vajratiksna ヴァジュラティークシュナ)

この菩薩さまは金剛利菩薩(こんごうりぼさつ)です。

金色に輝き左手にお経を載せた蓮の華を持ち、右手には剣を持ちます。

無量寿如来の南方、図では向かって左に佇んでいます。

胎蔵界曼荼羅でいう文殊菩薩です。

文殊菩薩の持つ鋭利な剣を象徴して、金剛なる鋭利な剣を持つ菩薩という意味が尊名としてつけられています。

剣には般若波羅蜜多という仏の智慧を表すようで、仏の智慧が衆生の苦やその原因の煩悩を断ち切ることをこの剣が象徴しています。

またこの剣が両刃なっているのは、二辺の両極端を断ち切る中道を表すともいわれています。

般若という智慧は、姿かたちがないですが、智慧は説法の声で衆生に受け止められています。

それゆえに、すべての如来が獲得した般若は仏の声となって出てくきますが、文殊菩薩は般若と同体とみなされるので、般若の声に即したものと考えられています。

合掌

kongoukai 18-2