このブログタイトルの刃物を一年間寝かせるということはどういう事かということですが、実はちゃんと科学的に実証されている訳ではないので各個人それぞれの判断におまかせいたします。
見せる刃物としての刀剣と彫刻刀や大工道具そして包丁などの実用的な刃物では刃物を作る上で目的が違ってきます。
戦国時代のように人を殺傷することを追求した刀だと話は違ってくるのかもしれませんが、たとえ鑑賞するための刀であっても刃が付いていると大変魅力的に見えます。
良いのか悪いのか別にして実際に刀を見てみると古い物であれ新しく作られた刀であっても、刃先の鋭利さに一瞬、死を連想します。
そして自分自身の心が磨ぎ済まされるような、なんともいえない緊張感に包まれます。
小さな、彫刻刀や大工道具でも殺傷能力はそこそこあるのだと思います。
しかし刀剣ほどの緊張感に包まれる事はありません。
刃先の鋭利な切れ味だけをいえばわずかな差だとおもいますが、彫刻刀や大工道具のように木を刻む道具の方が切れ味は良いのだと思います。
しかし彫刻刀や大工道具には死をイメージする事はなかなか難しいと思います。
私たちの中には木を削るというイメージが既に定着しているのだと思いますが、道具が醸し出す雰囲気もあるのだと思います。
実生活において死を意識する事はあまりないと思いますが、祖父母との死別など身近な人との別れの時に意識をすることがあります。
そして刀にも死を意識させられます。
もちろん刃先の鋭利さや波紋の美しさに目を奪われるのですが、それと同時に死を連想します。
自分は死について何を恐れているのか、孤独に対する寂しさなのか等々様々な事を考えさせられます。
それは自分が今この瞬間死んでも後悔しない人生だったのか、まだやり残した事があるのか明確に目を見開かせるという道具としてはとても優れているのかもしれません。
世の中には人を切りたくなる名刀があるといわれるぐらい人の心を麻痺させる力を持つ刀があります。
鎌倉時代にそのような名刀が多いというのは、当時の鍛冶職人が、殺傷能力の高い刀を注文主の武士の依頼に応えるべく何度も何度も改良に改良を重ねて刀の形を完成させたのではないだろうかと思われます。
幸いにも現在では鑑賞するための道具として刀が作られています。
今からお話するのは、二張の和傘(以前ブログでご紹介しました。リンクを張っておきます)のご主人が若い頃に鍛冶職人さんから聞いた話なので終戦間近か戦後の話だと思います。
ある大変変わり者の刀鍛冶職人さんがいました。
その鍛冶職人さんは生活のため、大工道具や包丁などをつくる鍛冶屋さんに転向しました。
周りから元々変わり者だといわれていたために、相談する相手もなく突然転向されたそうですが
刀剣を作っていたという経験から、大工道具や料理人が使う包丁などは刀を作る技術を生かして作りあげました。
そして販売する事になりました。
販売すると思っていた以上に大変良く売れたそうです。
しかし、しばらく日数が経過すると刃物の返品が頻繁におこるようになりました。
当の本人にはどうしてこのような自体になったのかわからなかったのですが、刃先の切れ味が悪いということが原因のようです。
当時の日本人は刃物を砥ぐことは日常生活の一部なので、購入した本人の砥ぎの腕が悪いということでもないようで実際に道具それ自体に切れ味を持続させる力がなかったのだと思います。
元々変わり者で通っていたので頭を下げて、他の鍛冶職人さんに理由を訪ねる事が出来なかったのですが、返品が続く中、やむを得ず二張の和傘のご主人さんの知り合いの鍛冶職人さんにその理由を聞きに頭を下げて訪ねる事になりました。
そして返ってきた答えが、「作りたての刃物を販売するからこのような事になるんだよ」とそしてこの記事のタイトルの通り、「刃物は一年以上寝さなければならない」
と答えが返ってきました。
ではなぜ一年以上寝かせなければいけないのかという理由については、よくわからないのですが、経験的に作り立ての刃物が切れない事は昔から伝統的に伝わっていたようです。
このお話はここまでにしておきますが、今現在においては、どこの刃物屋さんでもちゃんと切れる刃物を置いているところばかりなので特に上記の事を意識する事はないと思います。
逆に作り立ての刃物を手に入れる事の方が非常に難しいと思いますので、参考程度に読んでいただければと思います。