江戸時代 色絵蕎麦猪口の金継ぎ 2

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この高温多湿時期は漆は比較的早く固まります。

それは、温度も関係がありますが、どちらかというと湿度が高いほうが大きいです。

今回、3日間という短い間でしたが、盛り上げておいた木屎漆が刃物で削れるぐらいまで固まっていました。

上下の写真はその削り終えたあとですが、モニターでは見えづらいのですが、細かな隙間が所々あります。

その隙間に錆漆(さびうるし)を埋めていきます。

錆漆は砥の粉(とのこ)と漆を練り合わせてパテのようにヘラを使ってうめていきます。

今回使用した砥の粉ですが、普通の砥の粉よりも粒子が細かい、鳴滝砥の粉(なるたきとのこ)を使用しました。

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下の写真が、錆び漆で穴埋めした状態です。

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あとは固まるまでしばらく放置しますが、これが冬場の作業になると、何もしなければ固まるのがものすごく遅くなります。

では冬場にはどうするのかというと、器が余裕をもって入る段ボールがあればその中に湿らせた新聞紙などを敷き詰めて、器をいれます。

段ボールを閉めたらさらに段ボールに水スプレーをかけビニール袋で覆いかぶせます。

器が入った段ボールの下には一人用の電気カーペットを敷き段ボールを暖めます。

小さい物なら良いのですが、これが段ポールに入りきらない物になると、色々と工夫をしなければならず、出来るなら梅雨の時期から秋口までの間だけ漆作業をしたいですね。

 

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金剛界 63 日天

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日天(梵天:Aditya アーデイトヤ)

この尊像は日天(にってん)です。

右手を胸前で仰げ、その上に日輪を置きます。

左手は拳にして腰に置きます。

この日天尊像は外金剛部二十天の一つで、南方に位置します。

五類天の中では飛行天の一つ。

『金剛頂経』巻10は甘露軍荼利、『賢劫十六尊』の真言では金剛軍荼利としますが、古来より日天とされて来ました。

そのため種字のア、三形の日輪、印相の日天印はいずれも日天のものです。

合掌

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寄木造りの制作行程 1 釈迦如来座像 下図

寄木造りの制作行程 釈迦如来坐像

【曲名】 千年の追憶
【サイト名】フリー音楽素材 H/MIX GALLERY
【管理者】 秋山裕和
【アドレス】http://www.hmix.net/
目次

寄木造りの制作行程 1

寄木造りの制作行程 2 釈迦如来座像 下図の完成

寄せ木造りの制作行程 3 釈迦如来座像

寄木造りの制作行程 4 木取りの状態 釈迦如来座像

寄木造りの制作行程 5 三千本(膠)で接着

寄木造りの制作行程 6 彫刻開始

寄木造りの制作行程 7 釈迦如来坐像の全体の荒彫り

寄木造りの制作行程 8 釈迦如来坐像 体のラインを意識して彫る

寄木造りの制作行程 9 釈迦如来坐像 衣の線

寄木造りの制作行程 10 釈迦如来坐像 衣の彫刻

寄木造りの制作行程 11 釈迦如来坐像 YOUTUBEへ投稿

寄木造りの制作行程 12 釈迦如来坐像 衣紋線を描く

寄木造りの制作行程 13 釈迦如来坐像 衣紋線を刻む

寄木造りの制作行程 14 釈迦如来坐像

寄木造りの制作行程 15 釈迦如来坐像 トースカンを使う

寄木造りの制作行程 16 釈迦如来坐像 仕上げの段階 (ニコニコ動画の話題の動画に取り上げられました。)

寄木造り制作行程 17 釈迦如来坐像 仕上げ

寄木造りの制作行程 18 釈迦如来坐像 螺髪の下図線。

寄木造りの制作行程 19 釈迦如来坐像 螺髪の彫刻開始

寄木造りの制作行程 20 釈迦如来坐像 完成

 

 

 

 

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寄木造りと聞いて皆さんはどのような感覚を覚えられるでしょうか。

少し仏像の事を勉強なされた方なら、平安時代後期に定朝さんが完成された仏像制作の技法だと思われると思います。

理系の人間なら、ちょっと図面を見たらその仕組みを一瞬で理解されると思います。

しかし私は非常に飲み込みの悪い人間で、学校の勉強でも成績表を見せたくないような評価でしたが、そんな私が少しずつ、ゆっくりと時間をかけて寄木造りを学ばせてもらいました。

普通の人が10年でマスターするところを、私は15年かけました。

それぐらい飲み込みが悪いのですが、そこで逆転の発想になって考えてみました。

世の中、本を出版する人は賢い人が大半だと思います。

私のような人間にでもわかりやすく教えられるような、テキスト本があったら面白いだろうなあ。

飲み込みの悪い人間が、作るとテキスト本がどのようになるのか少し実験をしてみたいなと思うようになりました。

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寄木造りの第一歩として白紙にセンターラインを引きます。

 

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次に、仏像の底辺を線でひきますが、下からの高さは仏像が収まれば適当でよいです。

 

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この定規は一般的なセンチ(メートル法)の定規ではなくて、日本で昔使われていた、竹で出来た、尺の定規です。

この尺の定規、長さが一尺(いっしゃく)が30.3㎝で、その一尺の10分の1のメモリが一寸(いっすん)です。

続いて、一寸の10分の1が一分(いちぶ)です。

つまり

1尺=10寸

1寸=10分

という計算になります。

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7列、線を引きましたが、一寸幅で統一しています。

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続いて縦の線も7列ほど線を引きましたが、同じく1寸幅で統一しています。

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同じマス目を隣のページにも加筆しました。

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仏像の髪の生え際の位置が下から5列目になります。

髪の生え際を基準に顔の幅と高さと顎の位置を線で囲います。

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続いて、膝の幅が5マス分になるように鉛筆で線を強く引きますが、膝の幅と額口の高さが同じ長さになります。

上図では、膝の幅の位置がマスの半分にあたります。

そして胴体は幅が4マスになるように同じく強く線を引きます。

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続いて隣のページの横の図面に移ります。

仏像の左側からみたずめんですが、胴体が2マス分になり、背面から膝先までが4マス分になるように線を強く引きます。

そして、横顔の寸法は鼻先が中心線から1分半(1.5分)ほど後ろに線を引き鼻先から耳の中心までの幅が1寸になるように線を引きます。

そして鼻先から後頭部までの幅が1寸7分になりますが実際には1寸5分に髪の毛の幅1分プラス余分の1分という感じになります。

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顎の高さは3寸半目盛り、つまり3.5マス目の位置に切り込み線を入れます。

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基準線が決まる、基準の位置を動かさずにフリーハンドで描いていきます。

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今回は、ラフに描いてみましたが、時間を置くと新鮮な気持ちで確認する事が出来るので、しばらく放置しておきます。

忘れた頃に、つまり私には何の縁もゆかりもない全くの他人が描いたと思えるぐらいの感覚になると、客観的に見る事が出来ます。

気持ちが乗った状態で一発で完成させようとしても後から修正するはめになります、その手間を惜しんでここで止めておきます。

続く

江戸時代 色絵蕎麦猪口の金継ぎ 1

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今回、修繕する器は江戸後期の色絵の蕎麦猪口です。

依頼された方は、大切な人とお茶を楽しむために使われていましたが、少しかけてしまい直してほしいという事で私の手元で修復させていただく事になりました。

修復箇所は一カ所、ほつれた部分がありますので、その部分を木屎漆(粉末状の木と漆で練り合わせたもの)で埋めてはみ出た部分を彫刻刀で削り落とすのが今回の流れになります。

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陶磁器には、大きく分けて二種類あります。

土が原料の陶器

石が原料の磁器

今回は石が原料の磁器です。

磁器の場合、表面がツルッとして滑らかなため木屎漆だけで固めても後でぺろっと剥がれる場合があります。

そのために、磁器の表面に麦漆(小麦粉と漆を練ったもの)を薄く塗りこみます。

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盛り上げすぎないように薄い膜をつくります。

次に、木屎漆を作ります。

木屎漆の材料は焼き挽粉と漆を練り合わせて作りますが、焼き挽粉は、粉末にした檜(ひのき)を焦がさないようにチョコレート色になるまで丁寧に火であぶったものです。

粉末にした檜を火であぶる事により、水分が飛んで少し体積が小さくなります。

そうする事で収縮を防ぎ、強固になります。

 

 

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木屎漆で埋めた状態です。

 

 

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今回は埋めるところまで、漆が固まるまでしばらく待ちます。

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金剛界 61 梵天 

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梵天(梵天:Brahma ブラフマー)

この尊像は梵天(ぼんてん)です。

梵天像のお姿ですが、右手に紅蓮華を持ち、左手は臍前におきます。

外金剛部二十天の一で、東方に位置します。

五類天の中では三界主の一。

十二天のとしては上方の守護を司ります。

密号の寂黙(mauna)は古代インドの修行者の総称の牟尼(muni)に由来しています。

牟尼は宇宙の根本存在である梵(ブラフマン)との一体感を求めて思索し、ひたすら沈黙の生活に徹しました。

釈尊もそのような宗教者の一人で釈迦牟尼と呼ばれています。

ブラフマンは元来ヴェーダ聖典の讃歌などの神秘的なことばを意味していました。

後に宇宙創造の神話が発達すると創造主として、生類の主(ブラージャーパティ)などが現れるに至りました。

根本原理であった梵は神格化され、梵天となりました。

梵天は宇宙の創造を司る最高位を占めます。

しかし、後世のヒンドゥー教の宇宙論では、創造・維持・破壊の中、創造の一部門を司る地位に後退しました。

梵天は仏教においては、釈尊の成道に際し、帝釈天と共に説法を懇願し、また仏教守護の善天として知られています。

仏教の世界観である須弥山世界にあっては、色界の初禅天に位置しています。

合掌

 

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金剛界 60 金剛摧天 

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金剛摧天 (梵名:Vajravikirana ヴァジュラヴィキラナ)

この尊像は、金剛摧天(こんごうざいてん)です。

体は人ですが、頭は象です。

右手で傘蓋を持ち、左手を添えます。

毘盧耶迦(びなやか)の一類。

外金剛部二十天で、東方に位置しています。

名前のヴィキラナは粉砕を意味しています。

密号の舜拏はサンスクリット語のシャウンダ(Saunda)が当てられ、酒精、酔いを意味しています。

合掌

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金剛界 59 倶摩羅天

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倶摩羅天(梵名:Kumara クマーラ)

この尊像は倶摩羅天(くまらてん)です。

青緑色で童子のお姿をしていて、左手は拳にして腰に当てます。

右手は胸前で鈴を執ります。

外金剛部二十天の一で、東方に位置しています。

古いインドの名前、梵名のクマーラは少年や童子という意味のようで『金剛頂経』巻10では童子天と呼ばれています。

サンスクリットでは、この尊像の名前をサナトクマーラ(永遠の青年)としています。

サナトクマーラは梵天の息子とも軍神スカンダともいわれています。

そして、倶摩羅天は大自在天の子とされており、その理由から『大日経疏』では混乱が見られ、スカンダを童子天と呼んでいます。

合掌

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金剛界 27 金剛鬘菩薩尊像

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金剛鬘菩薩尊像(梵名:Vajramala ヴァジュラマーラー)

この菩薩さまは金剛鬘菩薩(こんごうまんぼさつ)です。

天女のお姿で、両手は華鬘を持っています。

内の四供養の一尊で、成身会などの諸会の西南の月輪に位置します。

この菩薩さまは大日如来が南方の宝生如来を供養するために出生しました。

『金剛頂経』によれば宝鬘をもって供養する、とあります。

ここでは手に持つ華鬘は宝生如来の福智の二徳を讃えたもので、大日如来は金剛鬘菩薩を出生することをもって供養の意を表します。

合掌

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金剛界 24 金剛牙菩薩尊像

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金剛牙菩薩尊像(梵名:Vajrayaksa ヴァジュラヤクシャ)

この菩薩さまは金剛牙菩薩(こんごうげぼさつ)です。

お姿は、二手を金剛拳にして、外に向け、胸に当てます。

不空成就如来の四親近のうちの一尊で、不空成就如来の東(図では下)に佇んでいます。

梵名のヴァジュラヤクシャは金剛薬叉(ヤクシャ)という意味です。

薬叉は、インドのヴェーダ以前に遡って、古くから信じられた霊的な存在です。

初期の仏教では仏法の守護神として説話や仏塔彫刻などに端正な表情をした姿で登場します。

次第に羅刹と並んで猛々しいものと見なされ、人を食べる悪鬼と信じられました。

しかし、インドの神話では怪奇ではあるけれど、悪人のみを食べ、善人を守るとも信じられ、仏教の神話に取り入れられたようです。

『金剛頂経』には、口に金剛牙を持つ尊です。

この牙で一切の魔を摧伏するので摧一切魔菩薩ともいわれ、『理趣経』などにも登場します。

合掌

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金剛界 23 金剛護菩薩尊像

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金剛護菩薩尊像(梵名:Vajraraksa ヴァジュララクシャ)

この菩薩さまは金剛護菩薩(こんごうごぼさつ)です。

二本の手を胸前で金剛拳にして人差し指を伸ばし、端を相い対します。

不空成就如来の四親近のうちの一尊像です。

不空成就如来の西(画像では上)に位置します。

尊名の金剛護の「護」というのは、身を保護するものを意味します。

『金剛頂経』では、衆生界を救護し、また一切如来が金剛堅固な身を得ることであるとされています。

大乗仏教の菩薩行の理想では、菩薩は勇敢に衆生の救済に努めるのでありますが、そのためには菩薩の身を堅固に護らねばならない。

その場合に菩薩を護るのは菩薩行に努める精進であるとされました。

これが六波羅蜜のうちの精進波羅蜜です。

この尊像の密号を精進金剛としているのもそのためです。

武士が戦場で身を護るのに喩えて、甲冑で表しますが密教でも、この思想を取り入れ修法のはじめには身口意の三業を浄めて、菩薩の境地になって、甲冑を着る思いをして印契(いんけい)を結び、真言を唱えることを必ず行います。

甲冑を着て、制服し難いものに果敢に立ち向かうから、密号を難敵金剛とも呼ばれています。

また、この甲冑は菩薩行の基礎になる慈愛の心でもあるとされています。

合唱

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